2026年9月30日、横浜駅西口のシンボルとして親しまれてきた「相鉄ムービル」が、37年の歴史に幕を下ろしました。営業終了間際の館内には、別れを惜しむ多くの人が集まっていました。1991年から通い詰めた筆者が、思い出を綴ります。
昨夜の11時頃、営業終了間際の館内を自分自身の目で焼き付けようと訪れてみたのですが、3階のライブハウス「サムズアップ」や「ミントホール」の周辺には、最後のお別れに駆けつけた多くのお客さんで非常に賑わっていました。
「本当に終わってしまうんだな……」と、長年この建物に通い詰めた人たちが愛おしそうに写真を撮ったり、立ち止まって思い出を語り合ったりしている姿がとても印象的でした。
お別れを惜しむ人々の熱気が館内に充満していて、私も胸に込み上げてくるものがありました。
ムービルの出会いは1991年白楽のから通った思い出

私とこの現在の相鉄ムービル(横浜駅西口に移転した2代目ムービル)との出会いは、1991年8月。私が横浜の街に引っ越してきてからのことです。
当時は東横線の白楽駅近くに住んでいたのですが、昔から映画好きだった私は「引越し先から気軽に行ける良い映画館はないだろうか」と真っ先に探しました。
そこで目に飛び込んできたのが、相鉄ムービルでした。東横線に乗り、白楽から横浜駅まで電車でわずか5分。そこから西口の橋を渡り、さらに徒歩5分ほどで到着する絶妙なロケーションです。「こんなに近所に映画館があるのか!」と、一気にテンションが上がったのを今でも鮮明に覚えています。
当時は日曜日になると、映画館へ直行する前に決まって「お決まりのコース」がありました。
まずは映画館の手前にある金券ショップ(チケット屋)へ立ち寄り、安売りされている映画の鑑賞券を買い求めます。そして当時はまだ館内への飲食持ち込みにも大らかな時代でしたから、途中の路地で見つけた格安自販機で缶ジュースを買い、ポケットに忍ばせてスクリーンへ向かうわけです。
上映を待つ間のあのワクワク感、照明が落ちて暗闇に包まれる瞬間の高揚感は、今でも私の原体験として残っています。
さらに、この建物は単なる映画館ではありませんでした。
映画観賞はもちろんのこと、身体が疲れたときには整体に通い、髪を切りに美容室へ行き、小腹が空いたら館内の飲食店で食事を楽しむ。私にとって相鉄ムービルという空間は、暮らしのすぐ隣にある「なくてはならない日常生活の一部」そのものだったのです。
時代の波とシネコン化、そして「日常使い映画館」
その後、時代の変化とともに映画を取り巻く環境は大きく変わっていきました。
みなとみらいエリアが開発されてシネコン(複合映画館)が次々と誕生し、さらに後には横浜駅の目と鼻の先に「T・ジョイ横浜」という最新設備を備えた映画館まで登場しました。
映画館同士の生き残りをかけた激しい競争が繰り広げられる中で、実は相鉄ムービルも一度閉館の危機を迎えています。相鉄グループ単体での映画館経営が厳しくなった時期があり、その後、109シネマズを運営する東急レクリエーション(現・東急株式会社)へ継承され、シネコンスタイルの「ムービル」として再デビューを果たしたという歴史的背景もありました。

しかし、シネコンの台頭や配信サービスの普及などによって、街から映画館へ足繁く通う人々の数自体が、少しずつ減っていったのもまた事実です。
それでも、私はムービルはいつだって「最高の居場所」であり続けました。
というのも、白楽から横浜駅の周辺に引越たおかげで徒歩5分という日常使いの映画館になっていたんです。
最新鋭の豪華なシネコンも魅力的ですが、ムービルには「思い立ったらすぐに行ける手軽さ」がありました。
どんなに世間で話題になっている大作であっても、「今日観に行こうか」とギリギリに駆け込めば、ほぼ確実にチケットが手に入って座席に座れる。
そんな良い意味での「空き具合」と「懐の深さ」が、地元住民である私にはたまらなく愛おしかったのです。
横浜西口の大改造計画と「スクラップ&ビルド」の街づくり
長年多くの思い出をくれたこの大切な建物も、いよいよ時代の要請によって大規模な「再開発」の波へと飲み込まれていきます。
以前、この計画に関わる関係者の方と直接お話しさせていただく機会があったのですが、この再開発構想は実に壮大で、深い戦略に基づいていることを知りました。

本来の目的地は、横浜駅西口の飲食店や店舗が密集する「5番街」エリア全体を含む巨大な再開発です。しかし、駅に極めて近い繁華街を一から立ち退かせて同時に開発するのは至難の業。だからこそ、まずは駅から少し離れたこの「相鉄ムービル」周辺の土地から先行して買い進め、ここを起点として西口全体の再開発を仕掛けていくというシナリオなのだそうです。
日本という国は、国土が非常に限られています。だからこそ、古い建物を壊し、新しい価値を創造する再開発を繰り返すことでしか、都市の血流を良くし、街を蘇らせる道はありません。
特に「横浜」という街は、歴史的な建築物をそのまま残す文化が根付いている京都などとは大きく異なります。時代時代の変化や経済の要請に合わせて、古いものを壊して新しい文化を創り出す「スクラップ&ビルド」を繰り返すことで発展してきた歴史があります。
相鉄ムービルは、昭和の香りを残すどこか武骨で個性的、かつ風情のある独特な建物でした。もし何か歴史的・建築的な保存価値のある遺産であれば、違う形で残されたのかもしれません。ですが、それも含めて「横浜という街の宿命」なのだと感じています。
この地域に暮らし、経営を行う一人の人間として、毎日仕事帰りや散歩のついでに眺めていたその姿が消えていくのはやはり寂しいものですが、その変貌を最後までしっかり見届けられたことを、心から嬉しく思います。
37年間、数え切れないほどの思い出と、映画の感動を与え続けてくれた相鉄ムービルさん。本当に、本当にありがとうございました。
この跡地からどのような新しい街が生まれ、次の世代に継承されていくのか。その未来を楽しみに見守りたいと思います。
ありがとう相鉄ムービル


2026年9月30日は最終日。夕方から大勢の人が相鉄ムービルに駆けつけました。
映画館は最後の映画を上映「ニュー・シネマ・パラダイス」そしてその後にイベント、これは事前予約が必要で気がついた時には売り切れでした。
滅多に満席にならなくなった相鉄ムービルの映画館も、最後は満席になったのでしょうね。
テナントの多くはすでに閉店をしており、唯一空いていたのは1Fの居酒屋さんと焼肉屋さん
そして3FのライブHouse ミントハウスとサムズアップです。
サムズアップのオーナーは知人の紹介で10年前にお世話になり。
当時代表をやっていた横浜バークルーズの横浜桁下イベントでは出店いただいたり、CSS Niteの夜のイベントをサムズアップで開催したりと…大変お世話になりました。
このサムズアップとミントハウスには閉店を惜しむ方がたくさんあつまり真夜中近くまで盛り上がっていました。まるで同窓会のような雰囲気です。 それにオシャレですね。

私はシャッターが閉まるのを見届けたかったのですが、途中で帰宅しました。
ところで2Fのモスバーガーは27年も営業していたんですね、凄い。

というわけで37年間、数えきれない思い出と映画の感動を届けてくれた相鉄ムービルが、静かに幕を下ろしました。
1991年、白楽のから通い始めた私にとって、ムービルは映画館であると同時に、整体や美容室、食事までそろう暮らしの一部でした。話題の大作でも「今日観に行こうか」と思い立てばふらりと立ち寄れる、その気軽さと懐の深さが、何よりも愛おしかったのです。
再開発によって街が生まれ変わるのは、古いものを壊して新しい文化を創ってきた横浜という街の宿命なのでしょう。毎日のように眺めていた姿が消えるのはやはり寂しいけれど、その変貌を最後まで見届けられたことを、心から嬉しく思います。
相鉄ムービルさん、本当に、本当にありがとうございました。この跡地にどんな新しい街が生まれ、次の世代へ受け継がれていくのか。その未来を、これからも楽しみに見守っていきたいと思います。



