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生麦事件はなぜ起きた?戦争へ発展した理由は?

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生麦事件はなぜ起きた?戦争へ発展した理由は?
生麦事件は、1862年(文久2年)に現在の鶴見区生麦で発生した事件です。
イギリス人4名が殺傷され、うち1名が亡くなりました。
生麦事件が大きな政治問題へ発展し、1863年に薩英戦争が勃発。
ここでは、1862年に生麦村で起こった「生麦事件」を紹介するコンテンツです。

生麦事件はなぜ起きた?戦争へ発展した理由は?

鶴見区は、横浜市の最東端に位置する海と山に囲まれた自然豊かな場所となっています。
みなさんは、鶴見区「生麦」という地名を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
生麦は、日本の歴史を大きく変えた歴史的事件「生麦事件」の発生した街です。
「生麦事件ってどんな事件?」「石碑や発生場所は?」「日本の歴史はどう変わった?」
今回は、1862年に生麦村で起こった英国人殺傷事件「生麦事件」についてお伝えします。

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生麦事件ってどんな事件?

生麦事件は、文久2年(1862年)8月21日に現在の鶴見区生麦付近で発生した事件です。
当時の時代区分としては「江戸時代」で、生麦も「武蔵国橘樹郡生麦村」という村でした。
騎馬中だった4名のイギリス人が薩摩藩の行列に乱入し、斬りつけられた殺傷事件。

幕府改革の勅命を幕府に伝える勅使大原重徳の護衛の任を終え、江戸から京都に帰る薩摩藩主の父、島津久光の一行4百余名の隊列が生麦村にさしかかったとき、神奈川方面から馬を走らせてきた外国人4人と遭遇した。
その日は日曜日だった。上海在住のイギリス商人リチャードソン、その友人で香港商人の妻ボラデール夫人、夫人の義弟で横浜在留商人マーシャル、横浜のハーバード商会のクラークは、川崎大師見物へ行くべく、のどかに語り合いながら馬を走らせていた。4人の外国人に対して、行列を警護する武士たちは行列に近づかないように、下馬をするようにと身振り手振りで要求した。しかし、イギリス人たちは、大名行列が通るとき土下座するという日本の国の習慣を知らなかった。言葉も分からずただ右往左往しているうちに行列に巻き込まれてしまった。リチャードソンは列から抜け出そうと馬の手綱を引いたところ、馬首を久光の乗っている籠に向けてしまい、籠を警護していた供頭の奈良原喜左衛門に斬りつけられた。警護の武士たちも深手を負ったリチャードソンに斬りかかった。驚いた馬は心臓を突き刺されたリチャードソンを乗せて、きびすを返して神奈川方面に走った。リチャードソンは600メートルほど離れた松原で落馬し、落命した。
クラークとマーシャルもかなりの傷を負ったが、命からがら行列を抜け出し、アメリカ領事館のある神奈川の本覚寺まで逃げ帰り助けを求めた。帽子と前髪の一部を斬られたボラデール夫人は外国人居留地に逃げ帰った。

第1回:幕末の動乱期の外国人殺傷事件・生麦事件(その2)- 横浜市鶴見区
生麦事件発生現場 旧看板

この事件で1名が死亡/2名が重傷を負ったイギリス人4名の名前は、以下の通りです。

  1. ウッドソープ・チャールズ・クラーク
  2. ウィリアム・マーシャル
  3. マーガレット・ボロデール夫人
  4. チャールズ・レノックス・リチャードソン

4人は事件発生当日、観光のために川崎大師へ向かっていたそう。
その道中で、島津久光率いる薩摩藩行列に遭遇します。
しかし、大名行列が通るとき土下座する日本の習慣を知りませんでした。
また、4人は日本語も理解しておらず言葉の壁があったため、伝わらなかったのです。
当時の言語や身分制度を知らなかったため、痛ましい事件が起こってしまいました。
その後、イギリスは幕府に対して正式な謝罪と賠償金10万ポンドを要求します。
また、薩摩藩に対しては犯人の処刑と賠償金2万5千ポンドをそれぞれ要求したのです。
幕府はこのイギリスの要求に応じましたが、薩摩藩はこの要求を拒否。
薩摩藩とイギリスの国交関係が悪化し「薩英戦争」を引き起こすきっかけになりました。
生麦事件がきっかけで、政治問題へ大きく発展してしまった歴史的に悲惨な事件なのです。

薩英戦争 – Wikipedia

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生麦事件碑と発生場所はどこ?

ここからは、生麦事件の事件碑と発生場所について詳しくご紹介します。
訪れる際は、ぜひ参考にしてみてくださいね。

生麦事件の碑

生麦事件之碑は、鶴見区生麦1丁目16-14-2にあります。
ここは事件当時、リチャードソンが落馬した地点付近です。
1883年(明治16年)、リチャードソンの死を悼んで鶴見村の黒川荘三が建立しました。
事件を説明する看板に写真は載っていませんが、文章で詳しく書かれているのです。
海外の方でも理解できるよう、左側には日本語以外に英語の説明が書かれていました。

事件碑の後ろには「キリンビール横浜工場」、頭上には「首都高速道路」が走っています。
厳かな雰囲気も相まって、昼間でも全体的に歩道が少し暗く感じました。
こちらでは、当時の様子を想像しながら想いを馳せてみましょう。
他にも、生麦事件碑から目と鼻の先には「生麦事件ゆかりの井戸跡」が残っています。
この井戸跡は、キリンビール横浜工場敷地内の茂みにひっそりとありました。
見落としてしまいがちですが、こちらも合わせて見てみてください。

なお、生麦駅から歩いて2分の場所に「生麦事件参考館」があります。
生麦事件に関する資料が1,000点以上保存されている貴重な資料館です。
この施設は、語り部として後世に伝えることを目的として活動していました。
過去には横浜市の「横浜まちづくり功労者賞」を受賞。
後世に歴史を伝える役割を担っていましたが、2014年に惜しまれつつも閉館しています。
生麦事件を伝える施設として今後、何らかの形でぜひ復活してほしいですね。

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生麦事件発生場所

生麦事件の発生場所は、鶴見区生麦4丁目25-2です。
ここには「生麦事件発生現場」と書かれた案内板があります。
発生現場は、事件碑から鶴見方面へ約800m離れた旧東海道沿いの住宅街にありました。
現在は建物が多く立ち並んでいますが、当時は道も狭くてひらけた場所だったのです。
リチャードソンはここで斬られて約800m馬で走ったが、力尽きたということになります。

東海道と人物 – 国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所

こちらもひっそりと案内板が建っているので、見逃してしまいがち。
こちらの案内板は全文が日本語のみですが、当時を表す絵も一緒に載っています。
よく見ると、鶴見区役所によって2022年に建て替えられたばかりの案内板です。
それまでは、違った案内板が掲示されていました。

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生麦事件までの交通アクセスについて

それでは最後に「生麦事件碑」までの交通アクセスについてお伝えします。
アクセスは、京急線「生麦駅」から歩いて約5分です。
駅からすぐの商店街「生麦駅前通り商友会」を抜け、国道15線から訪れるのがおすすめ。
「生麦駅前通り商友会」と書かれたアーチを抜け、国道15線の横断歩道を渡ります。

信号を渡り終えたらすぐに右折し、道なりにまっすぐ直進です。
途中で横浜市営バス「京急生麦駅前」バス停が見えてくるため、さらに進みます。
事件碑は、左側の奥まった場所にひっそりと建っていました。
「生麦事件碑」と大きく書かれた看板が見えて少し分かりにくいですが、到着。
ちなみに、旧東海道から訪れる場合はJR鶴見線「国道駅」の方が分かりやすいですよ。

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生麦事件から日本の歴史を学ぼう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、鶴見区生麦の「生麦事件」についてお伝えしました。
少しでも参考になれば幸いです。
生麦事件は、1862年(文久2年)に生麦村でイギリス人4名が殺傷された歴史的事件。
日本の言葉や規則を少しでも知っていれば、悲劇は回避できたかもしれません。
「郷に入っては郷に従うこと」「多様性を受け入れること」「相手を理解し尊重すること」
他にも、これら3つが行えていれば薩英戦争へ発展せずに済んだかもしれないのです。
政治問題へ発展した生麦事件を知ることで、日本の歴史についても学ぶことができます。
生麦事件に関する場所をまわって「どのような事件だったのか」理解を深めてみませんか。

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