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2022年も横浜「鶴見七福神めぐり」で開運アップ

安養寺

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2022年も横浜「鶴見七福神めぐり」で開運アップ
みなさんは「鶴見」と聞いてどんなイメージがありますか?
鶴見区は、横浜市の北東部に位置し、市内で3番目に人口が多い区となっています。
ここでは、鶴見区で開催されている「鶴見七福神めぐり」を紹介するコンテンツです。

2022年も横浜「鶴見七福神めぐり」で開運アップ

日本人の生活で、切っても切り離せないものの1つが「神社仏閣」。
初詣 夏祭り 七五三 冠婚葬祭 など…
地域によっては、古くから受け継がれている伝統文化や祭事などが数多く存在します。

神社 結婚式
七五三

では、なぜ日本人はこのように「神社仏閣」と関わりが深いのでしょうか。
それは、神社仏閣が日本独自の宗教である「神道」の神々を祀る場所だからです。
そんな神々が祀られている場所は、古くからパワースポットとして人気があります。
江戸時代には、全国から人々が伊勢神宮へ参拝に訪れる「お伊勢参り」が流行したのです。

「神無月?! 神様 in KENPAKU」- 神奈川県立歴史博物館

参拝では神々のおかげをいただくことから「おかげ参り」とも呼ばれていました。
この「お伊勢参り」が現在も続く、開運パワースポット巡りの始まりなのです。
今回は、横浜市鶴見区で開催されている「鶴見七福神めぐり」についてお伝えします。

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毎年開催されている「鶴見七福神めぐり」とは?

「鶴見七福神めぐり」は、鶴見区にある神社やお寺の七福神を参拝するイベントです。
イベントは、七福神の祀られる神社とお寺を1日で参拝できることが魅力となっています。
そのため、さまざまなご利益を授かれることから「開運巡り」として人気なのです。
「鶴見七福神めぐり」は、2011年から毎年1月に開催されています。

2016年【鶴見七福神めぐり】- 横浜市鶴見区区政情報 公式Twitter より

総持寺の鶴見移転100年と「鶴見歴史の会」創立30周年、「鶴見区文化協会」創立25周年を記念して制定されました。
企画は、鶴見区文化協会や歴史の会などで構成されている「鶴見七福神愛護会」です。
ここ数年は、神社やお寺が好きな「歴女」と「御朱印ブーム」で特に注目されています。
それでは、参拝へ行く場合「鶴見七福神めぐり」の神社やお寺はどこにあるのでしょうか。

「鶴見七福神めぐり」の神社やお寺について

「鶴見七福神めぐり」で七福神が祀られているのは、以下の7つです。

  1. 横浜熊野神社(福禄寿)
  2. 鶴見神社(寿老人)
  3. 大本山總持寺(大黒天「大黒尊天」)
  4. 東福寺(毘沙門天)
  5. 正泉寺(恵比寿「恵比寿神」)
  6. 安養寺(弁財天「福壽辨財天」)
  7. 松蔭寺(布袋尊)

ここからは、7つそれぞれの神社やお寺について詳しいご紹介いたします。
「鶴見七福神めぐり」を巡る際の参考にして頂けると幸いです。
なお、これより「大本山總持寺」は読みやすくするために「総持寺」と表記します。

横浜熊野神社(福禄寿)

まず1つ目は、福禄寿を祀る「横浜熊野神社」です。
横浜熊野神社は鶴見区市場にあり、約1200年の歴史を持つ神社となっています。

およそ一千二百年前弘仁年間、紀州熊野の別当尊慶上人が、紀州熊野本宮御祭神の御分霊をこの地に勧請したのが始まりです。

徳川家康公は、江戸入国の折当社に立ち寄り、天下泰平、国家安穏、武運長久を御祈念いたしました。

江戸幕府作成の「東海道分間延絵図」には熊野権現として画かれ、同じく幕府作成の「新編武蔵風土記」には熊野宮として記載されています。

「御由緒」案内 – 横浜熊野神社

当時の徳川家康も訪れて祈願したことから、とても歴史ある神社ということが分かりますね。
また、境内近くには、一里塚もありました。
そのため、旧東海道沿いの鶴見市場周辺が江戸時代から残る「歴史ある街」なのです。

一里塚(いちりづか)は、旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)である。

一里塚 – Wikipedia

慶長9年(1604)、徳川家康は街道を整備し、一里ごとに5間四方の塚を築いた。塚には榎などの樹木を植え、旅人の里程の目安とした。日本橋から5番目。地元では5年ごとに仮装や山車などをつくりパレードをする。平成元年に横浜市の登録文化財となった。

史跡や神社・寺6 – 横浜市鶴見区

6月になると、地元の方々で盛り上がる「熊野神社例大祭」が開催されます。
お祭り当日は、子どもから大人までが神輿を担ぎながら、町内を練り歩くのです。
神社の境内には屋台も出店するため、いつもは静かな神社周辺もにぎわいます。

横浜熊野神社は、交通安全・健康祈願・安産祈願・学業成就などにご利益があります。
木彫りの鷽(うそ)や八咫烏(やたがらす)のお守りや御朱印が有名です。
ただ、普段は無人のため、これらの授与品を希望する場合は事前に神主の不在を確認しましょう。
そして御祭神は、国常立尊・伊邪那岐命・伊邪奈美命の三柱となっていました。

アクセスは、京急線「鶴見市場駅」から徒歩で約3分です。
京急線「鶴見市場駅」北側の「市場銀座商店街」をまっすぐ170m進むと見えてきます。

市場銀座商店街

京急線 鶴見市場駅の魅力とは? 住みやすいの? – 横浜で暮らそう

鶴見神社(寿老人)

2つ目は、寿老人を祀る「鶴見神社」です。
鶴見神社は鶴見区鶴見中央にあり、1400年以上の歴史を持つ神社となっています。

創建は、推古天皇の御代(約一四〇〇年前)と伝えられています。大正九年に鶴見神社と改称しました。

昭和三十七年、境内より弥生式後期から古墳時代の土師器を中心として鎌倉期に及ぶ多数の祭祀遺物(祭りに使用された道具)が発見され、推古朝以前より神聖な場所として、すでに祭祀が行われていたことともに、横浜・川崎間最古の社であることが立証されました。

「由緒」鶴見神社の歴史 – 鶴見神社

横浜市内最古として、日本初の女性天皇・推古天皇の頃に創建されたそうです。
古くは「杉山神社(杉山大明神)」でしたが、1920年に社名を「鶴見神社」と改めました。
鶴見神社はこれまでに、火事による社殿の焼失・鉄道開通による接収など、さまざまな苦難を乗り越えて現在の姿に至っています。

明治 4年(1871)
この年を最後に平安時代から伝わる田祭りが県の令により廃絶となる

明治 5年(1872)
新橋・横浜間鉄道開通・鶴見駅開業/境内地西半分が鉄道用地として接収される

明治33年(1900)
1/11 汽車の火の粉で社殿焼失

「略年表」鶴見神社の歴史 – 鶴見神社

以前は、境内の敷地面積が5000坪以上もあった鶴見神社の鳥居には歴史を感じました。
それでは、鳥居を抜けて境内の見どころについて詳しくご紹介いたします。
まずは、向かって右側の手水舎です。

創建は鎌倉時代と歴史のある鶴見神社の手水舎は、なんと自動水栓となっていました。
龍の口へ手をかざすと、水が出てくるようになっています。
歴史のある神社で現代的な設備は、あまり見かけることがないため、とても驚きました。

次に、境内を進むと見えてくるのは、対になった大きな岩です。
神社で見る狛犬がゴツゴツした岩の上には狛犬が鎮座していました。
その光景は珍しく、境内では迫力ある厳かな雰囲気が広がっています。

そして、岩石を進んだ右側には、重厚感ただよう黒い屋根が立派な宝物殿があります。
ここには、宝物殿のほかに「横浜市指定史跡」の「鶴見神社境内貝塚」もあるのです。

古墳時代(300年代)
神社西側付近に稲作りのムラが作られた。ムラ人たちは、たくさんの土器を作り、使って、前面の海でとった貝を食べて貝塚を残した

「略年表」鶴見神社の歴史 – 鶴見神社
鶴見神社 宝物殿 貝塚

この貝塚は、1700年以上前の古墳時代に作られた貝塚です。
そのため、鶴見神社よりも歴史が長いことになります。
実際の貝塚は見れませんが、このような史跡が残っていることに歴史を感じますね。

そして、貝塚から拝殿の右奥をまっすぐ進むと、境内末社がずらっと一列に並んでいます。
この鶴見神社は、境内末社があることでも有名です。
そこには、稲荷社・大鳥神社・秋葉神社・関神社・祖霊社・清明宮などの神社がありました。

ちなみに、清明宮は小説家・三島由紀夫氏が祀られているのです。
「神社へ参拝したいけれど足を運ぶのが大変…」「ご時世的に遠出するのはちょっと…」
という方は、このような境内末社で参拝してみるのも良いかもしれません。

拝殿の右側にある境内末社を奥に進むと、浅間神社が見えてきます。
急な階段を上り、浅間神社の鳥居をくぐると小さな境内となっていました。
鶴見神社の境内にある浅間神社は、1872年(明治時代)に現在の場所へ鎮座したそうです。

浅間社

昔、現JR線路の上に三千五百坪の山(古墳)があり、鉄道開通にあたり山が接収され現在の場所に鎮座した。

「浅間社」浅間神社 案内板より
浅間社 鶴見神社

そして、右側手前には、ひっそりとカエルの石像と説明書きのある案内板がありました。
鶴見神社に参拝へ行ったら足を運んび、ぜひともカエルの頭を撫でてみてくださいね。

「蛙」

昔から富士山に祀られている。
参拝者が蛙の頭を撫でて帰ると無事に「帰る」という言い伝えがある。

「蛙」浅間神社 案内板より
浅間神社 鶴見神社 蛙

鶴見神社は、安全守護・厄除け・病気平癒・安産祈願・学業成就などにご利益があります。
鶴見神社の本殿は、杉山大明神と天王宮の二社相殿なのです。
御祭神は、須佐之男命(すさのうのみこと)と御子である五十猛命(いそたけるのみこと)となっています。
一方の浅間神社は、御祭神が木花開邪媛命(このはさくやひめのみこと)です。
「火難の神」として知られ、富士山にも祀られている美神がここにも祀られていました。
古事記にも登場する須佐之男命は「牛頭天王」としても知られているのです。

鶴見神社 絵馬掛け

また、日本書紀に登場する五十猛命は「こだね(木種)の神」と呼ばれているのです。
こだねの神は、林業・建設業・造船業を守護する「木の守り神」とされています。
他にも、木は生命の源でもあることに由来して、子供や成長の守護神でもあるのです。
そのため、安全守護(森の安全)・成長祈願など、多方面にわたるご利益もあります。

鶴見神社 絵馬掛け

アクセスは、京急線「京急鶴見駅」から徒歩で約7分です。
京急線「京急鶴見駅」から旧東海道沿いをまっすぐ進みます。
しばらく進むと二手に分かれている道が出てくるため、左側へ曲がると見えました。
横浜熊野神社から歩いて行くなら、旧東海道沿いをまっすぐ来れば到着します。

京急鶴見駅

鶴見神社は横浜市内最古の神社 – 横浜で暮らそう

総持寺(大黒天)

3つ目は、大黒天を祀る「総持寺(曹洞宗大本山總持寺)」です。
総持寺は鶴見区鶴見にあり、約700年の歴史を持つ仏教寺院となっています。
総持寺の正式名は「諸嶽山總持寺」となっています。

鶴見区にある総持寺は、全国に関連寺院が約1万5000寺もある曹洞宗の大本山なのです。
総持寺は、もともと石川県能登地方に本堂がありましたが、1911年出火で焼失しました。
そのため、現在の総持寺がある横浜市鶴見区へ移転したのです。
国際的な禅の根本道場としても有名な総持寺。
15万坪と広大な寺院に学校法人・総持学園の経営する三松幼稚園・鶴見大学附属中学高等学校・鶴見大学があります。

境内には「禅カフェ 茶房 おかげや」というカフェや、写経のできる場所もあります。
日ごろの喧騒から離れて静かなひとときを過ごすにはぴったりですね。
夏になると「夏季参禅会」や「み霊祭り納涼盆踊り花火大会」も開催されます。
み霊祭りは盆踊りや花火大会のほか、参道に100以上の屋台が立ち並ぶのです。
横浜市の夏祭りで特に動員数の多い有名なお祭りで、毎年多くの人で賑わいます。

総持寺は、昭和の大スター「石原裕次郎」さんの眠るお墓があることで有名ですよね。
毎年2月開催の豆まきイベントをニュース番組で見たことがあるのではないでしょうか。
1987年7月に亡くなった石原裕次郎さんを偲び、「節分会追儺式大祈祷豆まき」が開催されています。
石原プロモーション所属の渡哲也さん・舘ひろしさん・神田正輝さんなどが訪れていました。
2019年に三十三回忌を迎えたことで、2020年以降はイベントに区切りが付けられました。

地元民の私も、以前に境内を散策していると、修行中のお坊さんに遭遇しました。
普段はめったにお坊さんと出会えないため、この貴重な体験は今でも鮮明に覚えています。
神聖な寺院と豊かな自然が相まり、一歩足を踏み入れると、そこは別世界です。
厳かで心洗われる「総持寺」の魅力を発見しに一度訪れてみては、いかがでしょうか。

総持寺は、家内安全・安産祈願・良縁成就・交通安全・商売繫盛などにご利益があります。
アクセスは、京急線「花月総持寺駅」から徒歩で約7分です。
京急線「花月総持寺駅」の歩道橋を下りてまっすぐ道なりに進んでいくと見えてきます。

鶴見神社から歩いて行くなら、JR線「鶴見駅」西口へ行かなければなりません。
JR線「鶴見駅」駅構内にある西口連絡通路を通って、西口へ行きましょう。
そして、駅の大きなバスターミナルを通ってJR鶴見線沿いの道なりをまっすぐ進むと到着します。

JR鶴見駅

鶴見の総持寺と夏の思い出 – 横浜で暮らそう

東福寺(毘沙門天)

4つ目は、毘沙門天を祀る「東福寺」です。
東福寺は鶴見区鶴見にあり、約900年の歴史を持つ真言宗智山派の寺院です。
鶴見の現存するなかで、1番古いお寺となっています。
東福寺の正式名は「子生山東福寺(こいけさんとうふくじ)」です。
東福寺は、生麦浦で本尊如意輪観音を得てこの地に開創されました。

子育観音で有名な如意輪観音は、干支の「子年」のみ開帳されます。
山門の50m手前にある分かれ道では、5つの札所と毘沙門天の看板が出ていました。
このように記載されている通り、長い歴史の由緒あるお寺だということが分かりますね。
境内へ入る山門には「子育観音」の石碑が立っていました。
また、山門の左右には少し分かりにくいですが、目を見開いた力強い仁王像もいます。

山門をくぐり、木々に囲まれた石段を上ると、正面に本堂が見えてきます。
参道である階段の途中には石灯籠があり、鹿の彫刻が施されていました。
本堂の後ろから照らす太陽は、何とも言えない神々しさで幻想的な雰囲気です。
本堂の左手には「疣取地蔵尊」、正面には「慈悲観音」が建っています。

「慈悲観音」のある場所から少し奥へ進むと、境内で一番大きい「子育観世音」も見えてきました。
観世音はよく見ると、座っている膝のあたりに子どもを抱いています。
顔の部分は少し錆びていましたが、立派な像でした。

本堂の左手には「大師堂/修行大師像(弘法大師像)/心経塔」が並んでいます。
また、比較的新しい広めの寺務所もありました。
そこまで広くはない境内も、春になると桜が満開となり、何とも言えない風景です。

東福寺 心経塔

東福寺でのご利益は、金運・商売繁盛・合格祈願・健康祈願・厄除けなどです。
境内にこのような記載はありませんでしたが、上記は毘沙門天のご利益となっていました。
他にも子育観音があるため、子宝祈願・安産祈願などにもご利益があります。
子育観音で有名だった江戸時代には、多くの参拝者が訪れていました。
そのため、東福寺にある門の前では参拝者へのお土産にまんじゅうが売らていたそうです。
そして、現在ではこのまんじゅうは「こそだて饅頭」として鶴見名物となっています。

子育てまんじゅう

【こそだて饅頭】 お店 No.2

もうひとつの鶴見銘菓
「子育て観音」で知られる東福寺門前で売られ、江戸後期には芝居の題材にもなった銘菓です。日によっては作っていないこともあるので、事前に確認を!

「つるみみやげ」- 横浜市鶴見区

「こそだて饅頭」は、黒糖生地で包まれたこしあんのまんじゅうです。
京急線「花月総持寺駅」すぐ「花商会商店街」の和菓子屋「ふくべ」でも販売しています。
一度は販売が終了したものの、「街ゆかりの名物」として2009年に復活しました。
和菓子屋「ふくべ」は1928年に創業し、この地で三代続く老舗です。
地元の人なら知っている有名な和菓子屋で、あんこを使ったお菓子が人気となっています。
ぜひとも、歴史ある「こそだて饅頭」もあわせてゲットしてみてくださいね。

花商会 商店街 ふくべ

アクセスは、京急線「花月総持寺駅」から徒歩で約5分となっています。
総持寺から歩いて行くなら、JR鶴見線沿いの道を横浜方面へまっすぐ進みましょう。
しばらく道なりに進んで行くと、コンビニが見えてくるため、坂道を上っていきます。
保育園が見えてくるため、分かれ道の1番右側をそのまま上がっていけば到着です。

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正泉寺(恵比寿)

そして5つ目は、恵比寿神を祀る「正泉寺」です。
正泉寺は鶴見区生麦にあり、約400年の歴史を持つ真言宗智山派の寺院です。
旧東海道沿いの住宅街にあり、全浄法印が開創したと言われています。
境内入口には、木造でできた立派な山門に「南海山」と書かれていました。

この山門を抜けると、木々の生い茂る細長い参道が広がっていました。
紅葉の色づきがとても美しい雰囲気となっています。
趣ある参道の両端には、さまざまな種類の石像がたくさん並んでいました。

よく見ると、1番左側には亀の形をした「亀供養塔」の石像があります。
この石像には「亀供養塔」と書かれていました。
1912年、生麦で行われた地引き網に魚とともに体長1.2mの海亀がかかったのです。
横浜では「浦島太郎」にまつわる伝説が古くから言い伝えられていました。
そのため、漁師たちは「龍宮からの使いだ」といって酒を飲ませてしまったのです。
その後、亀は衰弱死してしまい、その死を哀れんで亀供養塔が建立されたとのことでした。

石像の並ぶ参道を抜けると、木造でできた立派な本堂が見えてきます。
1つ前に紹介した「東福寺」よりも境内は広く、まわりには庭園までありました。
本堂の薬師如来座像は、海中より出現したと言われています。

これまでに、津波や地震などの大きな自然災害で何度も被害を受けましたが、その度に再建しています。
そのため、1968年に完成した現在の本堂は、比較的新しい建物なのです。
境内は掃除が行き届き、静かで過ごしやすいお寺となっていました。
本堂の前にある大きな枝垂れ桜は、春になると開花してピンク色に染まります。

正泉寺でのご利益は、商売繁盛・大漁祈願・海上安全・五穀豊穣・無病息災などです。
境内にこのような記載はありませんでしたが、上記は恵比寿神のご利益となっていました。
生麦は「海の街」として古くから有名なため、このようなご利益なのも納得できますね。

生麦魚河岸通り

アクセスは、京急線「花月総持寺駅」から徒歩で約12分となっています。
東福寺から歩いて行くなら、京急線とJR線沿いの道をまっすぐ進み、人道橋を渡ります。
しばらく道なりに進み、信号を渡ると「生麦南仲通り」という商店街です。

生麦南仲通り商店街入口

商店街を通り、旧東海道へ出て右側に赤い鳥居の見える「道念稲荷神社」が見えてきます。
この神社とは反対側の左側にある小道を入って、まっすぐ進んでいくと到着です。
少し分かりにくく迷ってしまうため、この写真や地図から行くことをおすすめします。
なお、境内に駐車場はないため、徒歩で行きましょう。

横浜旧東海道【鶴見区生麦】2

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安養寺(弁財天)

6つ目は、弁財天を祀る「安養寺」です。
安養寺は鶴見区岸谷にあり、約500年の歴史を持つ浄土宗派の寺院です。
一到山弥陀院である安養寺の開創は、室町時代までさかのぼります。

室町時代中期の明応(1492~)
の開創と伝えられ、当初は子安町字風早のあたりに在ったらしく字名「安養寺畑」はその遺称です。
風早から現在地に移された年代は不明です。

「安養寺の由緒・沿革」- 安養寺縁起

境内を入ってすぐ右側には、朱色の山門と「檀信徒会館」と書かれた建物がありました。
「檀信徒会館」は、もしもの時にお寺ですべて済ますことできる場所となっています。

檀信徒会館

いざという時、斎場を探す負担を解消します。
安置から葬儀までご供養の全てが行えます。
祭壇完備により、檀信徒の経済的負担を軽減します。
葬儀社に心当たりがない場合は、会館所定の葬儀社が担当します

「檀信徒会館」- 安養寺縁起

ちなみにご本尊は阿弥陀如来のため、無縁墓にならない「月影」も建立されていました。

『月影』は、継承者不在の為、墓地建立の希望が叶わない方や、従来の先祖代々の家墓が絶えてしまう方など、没後祭祀の不安にお応えするために建立をいたしました。
申込には墓地の継承者は必要ありません。また、現在当山墓域内に家墓をお持ちの方で、後継者がいない場合など、無縁墓になる前に、『月影』へ遺骨を改葬することもできます。
本尊 阿弥陀様のお護りの中、当山をはじめ、納骨縁者に絶えることなくお参りしていただける環境がこの『月影』にはあります。遺骨は無縁になることなく、墓地が存在する限り永代にわたり埋葬されます。

「永代祠堂『月影』」- 安養寺縁起

これなら、お墓を持つことが難しい方や事情によってお墓を建立できない方も安心ですね。
ちなみに、安養寺にはトマトケチャップを日本で初めて販売した「清水屋」の創始者・清水興助も眠っているそうです。
写真では隠れていて見えませんが、紅葉あたりに写る白いものが「月影」となっています。

山門を抜けると、境内には銅が錆びて緑色の屋根となった本堂が見えてきます。
お寺全体は、これまでにさまざまな困難を乗り越え、現在の姿を残しているようです。

享保9(1724)年に殿堂の再建が成り、
その後、大正12(1923)年の関東大震災により本堂が大破し、
昭和2(1927)年に現在の本堂(七間四方)が再建されました。
51(1976)年には瓦葺だった屋根を銅板に葺き替えし、57(1982)年には山門を完成、翌58(1983)年には老朽化していた辨財天堂を修繕しました。
平成31年(2019)に門前整備工事(辨財天堂移設、参道の造設等)を行い現在に至っています。

「安養寺の由緒・沿革」- 安養寺縁起

他にも「六地蔵」や横浜市の名木古木に指定されている「イチョウ」もありました。
秋になると、黄色に色づくイチョウの大木は、境内外からでも目立つほど大きいです。
安養寺へ訪れた際には、迫力あるイチョウの大木も見逃せませんね。
安養寺でのご利益は、金運・商売繫盛・交通安全・恋愛成就・子孫繁栄・長寿などです。
境内にこのような記載はありませんでしたが、上記は弁財天のご利益となっていました。

アクセスは、京急線「生麦駅」から徒歩で約3分となっています。
正泉寺から歩いて行くなら、旧東海道沿いから「生麦駅前通り商友会」へ出ましょう。
旧東海道から商店街へ行くには、中華屋さんを通り「キリンビール横浜工場」が目印です。

横浜旧東海道ロゴ
横浜旧東海道【鶴見区生麦】5

工場入口前を右折すると、横断歩道の向こうに商店街「生麦駅前通り商友会」が見えてきました。
ここを抜け、踏切を渡るとすぐに約40mの短い商店街「岸谷商栄会」が広がっています。
商店街をまっすぐ進んだ先には朱色と白色のお寺の社が見え、到着です。

生麦駅前商店街2
商店街「生麦駅前通り商友会」

なお、安養寺前の踏切は「午前7時~9時/午後4時~7時」が車両通行止めとなるのです。
また、境内には広い駐車場がありますが、周辺道路は2車線で通行量が多くなっています。
車のスピードが出ていて危ないと感じることが何度かあったため、気を付けましょう。
安養寺の近くには「杉山神社」という神社もあります。
こちらも、時間があればあわせて行ってみてはいかがでしょうか。

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松蔭寺(布袋尊)

最後7つ目は、布袋尊を祀る「松陰寺」です。
松蔭寺は鶴見区東寺尾にあり、約700年の歴史を持つ臨済宗建長寺派の寺院です。

松陰寺は、仙鶴山と号し、臨済宗鎌倉建長寺派に属して、建武元年(1334)の草創と伝えています。
「武蔵風土記稿」には、「建長寺第三十世仏寿禅師退隠ノ後 幽棲ノ地トシテ此ニ菴ヲ結ビ正統庵ト号セリ」とあります。
幽棲の地として寺尾に草庵を結んだのが松蔭寺の始まりといわれます。

「松蔭寺の縁起」- 鶴見区役所掲示 より

此僧は延寳三年三月二十九日寂せり、寺號初は松音寺と書しが後に今の字に改めしなり、
古器寳物等は多く火災の為に失ひしよしを云傳ふ

「松蔭寺の縁起」- 新編武蔵風土記稿 より

もともとは寺号を松音寺と定めていましたが、のちに現在の「松蔭寺」に改称されました。
その後、何度も火災に見舞われたことで、什宝や古文書などが失わたそうです。
そのため、お寺に関する歴史や沿革についての詳細は現在も不明のままとなっています。
なお、境内の慈眼堂には、江戸時代に即身仏となった里見義高が祀られているのです。
「新編武蔵風土記稿」によると、お寺は江戸時代後期に現在の場所に移されました。
もともとお寺のあった周辺は「本屋敷」と呼ばれ、地名「寺尾」の起源であるという一説もあるようです。

松蔭寺が所有している銅造如来坐像は、横浜市の文化財に指定されているのです。
飛鳥時代後期につくられたもので、25.3cmの金銅仏となっています。
仏像彫刻としては横浜市内最古となっており、関東地方でも希少な如来坐像です。

「松蔭寺の仏像 市文化財に 市内最古の彫刻」-  鶴見区 | タウンニュース

これまで、天皇の権威を高めるために多くの仏像が壊されてしまいました。
しかし、松蔭寺の銅像如来坐像は、当時のさまざまな苦難を乗り越えて現存しています。
ただ、現在は「東京国立博物館」へ寄託されているため、境内で見ることはできません。

松蔭寺でのご利益は、商売繁盛・無病息災・子宝祈願・良縁成就・夫婦円満などです。
境内にこのような記載はありませんでしたが、上記は布袋尊のご利益となっていました。
安養寺から歩いて行くなら、まず国道1号線へ出ましょう。
国道1号線の横断歩道を渡って道なりにまっすぐ進んでいくと、薬局が見えてきます。

ここを左折し、突き当りにある茶色が目印の家を右折してしばらく歩くと到着です。
徒歩だと約30分掛かり、高低差のある坂道が続きます。
そのため、足の悪い方や体力に自信のない方は、横浜市営バスの利用もおすすめです。
その際は「安養寺前」バス停で乗車し、「白幡」バス停で下車となります。

「鶴見七福神めぐり」でおすすめの巡り方は?

それでは「鶴見七福神めぐり」でおすすめの巡り方をお伝えします。
7つの神社とお寺はそれぞれが離れた場所にあり、全長約10kmです。
万が一、スタート/ゴールが同じ駅で巡る順番を間違えると移動距離が倍以上になります。
そのため、効率的に巡るなら2つの駅を利用して一方向にまわりましょう。
特に、巡るのにおすすめのルートは以下の2通りです。

【京急線「鶴見市場駅」から行く場合】
京急線「鶴見市場駅」→ 横浜熊野神社 → 鶴見神社 → 総持寺 → 東福寺 → 正泉寺 → 安養寺
→ 松蔭寺 → JR横浜線「大口駅」

【JR横浜線「大口駅」から行く場合】
JR横浜線「大口駅」→ 松蔭寺 → 安養寺 → 正泉寺 → 東福寺 → 総持寺 → 鶴見神社
→ 横浜熊野神社 → 京急線「鶴見市場駅」

鶴見市場駅
JR横浜線 大口駅

途中にある山側は起伏が多く、平坦な道よりも長く感じます。
7つすべてを1日で楽しむには、小回りの利く徒歩やバスがおすすめです。
ちなみに、徒歩のみで巡ると約2~3時間もかかります。
神社やお寺の境内には、それぞれ駐車場もありますが、駐車台数が限られていました。
そのため「鶴見七福神めぐり」をする際は、アクセスの良い公共交通機関で訪れましょう。

昭和な雰囲気が残る 大口通り商店街 – 横浜で暮らそう

「鶴見七福神めぐり」の開催期間と御朱印について

「鶴見七福神めぐり」は、毎年1月4日~12日で約1週間の開催となっています。
拝観時間は、各日午前10時〜午後4時です。
2021年は新型コロナウイルス感染症の影響で、いつもとは違った形での実施でした。

3密を避けるため、以下のような取り組みが徹底されていました。

  • 神社やお寺における建物内への入場は不可
  • ガイドツアーや御朱印台紙の廃止
  • マスクを着用し、3密を避けながら間隔を空けての参拝
  • 熱や風邪の症状がある方の参拝は不可

神社やお寺も極力「非接触・非対面」で実施する工夫が施されていました。
御朱印台紙の代わりに、はがき程度の「ご朱印カード」というものが配布されたのです。
カードは、神社やお寺が各1,000枚用意し、参拝者は持ち帰って御朱印帳に直接貼れます。
御朱印を直接頂けないのは少し残念ですが、コロナウイルス対策が万全で安心ですね。
2022年も引き続き、感染対策を徹底して参拝しましょう。

「福求め、鶴見七福神めぐり 4日〜12日 今年はご朱印カード」- 鶴見区 | タウンニュース

2022年の新年は横浜「鶴見七福神めぐり」へ行こう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、鶴見区で毎年1月に開催されている「鶴見七福神めぐり」をお伝えしました。
2011年から毎年開催されている「鶴見七福神めぐり」も2022年で11回目となります。
新年からご利益を授かれ、縁起の良い「開運パワースポット巡り」。
厳かな雰囲気で心身ともにリフレッシュしつつ、神社とお寺を参拝してみませんか。

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