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横浜 神奈川区に伝わる「浦島太郎伝説」とは?

浦島町 常盤橋

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横浜 神奈川区に伝わる「浦島太郎伝説」とは?
みなさんは「日本昔話」と聞いて何を思い浮かべますか?
桃太郎 浦島太郎 鶴の恩返し かぐや姫 など…
日本昔話を全て合わせると、およそ1,500話もあるのです。
その中でも特に有名な「浦島太郎」は、日本全国にゆかりの地が約150か所あります。
ここでは、横浜市神奈川区にある「浦島太郎伝説」を紹介するコンテンツです。

横浜 神奈川区に伝わる「浦島太郎伝説」とは?

古くから全国各地にある「浦島太郎伝説」の1つが、横浜市神奈川区にも存在します。
そのため、物語を思わせる場所が数多く残っており、その歴史に触れることができます。
しかし、横浜市に伝わる「浦島太郎伝説」と物語の内容は、少し異なっているようです。
今回は「地域有形民族文化財」にも指定されている横浜市神奈川区の「浦島太郎伝説」を詳しくお伝えいたします。

日本昔話「浦島太郎」はどんな物語?

日本昔話で特に有名な「浦島太郎」は、現在でも語り継がれており、子どもの頃に一度は聞いたことがあるはずです。
そもそも、浦島太郎の内容はこのようになっています。

浦島太郎が海辺を歩いていると、亀が子どもたちにいじめられていました。
数日後、いじめられていた亀を助けたお礼に竜宮城へ招かれます。
竜宮城へ訪れると、美しい乙姫様から豪華な食事や踊りのおもてなしを受けました。
家へ帰りたくなった浦島太郎は、乙姫様からお土産に玉手箱をもらいます。
乙姫様に「あなたの世界で絶対にこの玉手箱を開けてはいけません」と言われます。
住んでいた世界へ戻ってきた浦島太郎は、景色が一変していることに気が付きます。
なんと、竜宮城へいる間に300年もの時が経ってしまっていました。
そして、浦島太郎は持ち帰った玉手箱を開いてしまい、老人になってしまいます。

浦島太郎は、昔話の中でも「めでたし めでたし」にはならない物語なのです。

神奈川区には「浦島」と付く場所がたくさんある!?

神奈川区は、その歴史が今も残っているため「浦島」と付く場所がたくさんあります。
京急線「神奈川新町駅」から海側一帯の地名は「浦島町」です。

そのため「浦島丘」「浦島公園」「浦島小学校」など、さまざまな「浦島」を見つけることができました。
そして「亀住町」「七島町」「宝町」などの浦島太郎にまつわる地名もあります。

なんと言っても、神奈川区のマスコットキャラクターは亀がモチーフとなっています。

神奈川区に残る「浦島太郎伝説」の亀に因み、1983年(昭和58年)に制定しました。(右)
そして、誕生から25周年を迎えて、新しい「かめ太郎」が活躍しています!!(左)

神奈川区のマスコットマーク・シンボルマーク – 横浜市神奈川区

また、亀の街灯や亀の車止めなど「浦島太郎伝説 ゆかりの地」を肌で感じることができるのです。

浦島太郎 ゆかりの地を歩く

ここからは、浦島太郎にまつわる「ゆかりの地」を4つご紹介いたします。
訪れる際には、京急線「子安駅」からスタートするのがおすすめです。

3年と思ったのが実は300年、すでに父母はこの世の人ではなく、武蔵の国白幡の峰に葬られてあると聞いて尋ねてみると、二つの墓石が淋しそうに並んでおりました。

太郎は墓の傍らに庵を結んで菩薩像を安置し、父母の菩提を弔いましたが、この庵がのちの観福寿寺で、通称「うらしまでら」と呼ばれました。観福寿寺は明治5年に廃寺になり、現在は慶運寺に聖観世音菩薩像が安置されています。

なお、浦島丘の蓮法寺には浦島太夫・太郎父子の供養塔や亀塚の碑があります。

また、七島と大口通との境を流れていた川は浦島太郎が足を洗った川だということで、大口通に足洗川の碑があり、子安通一丁目には太郎が足を洗ったという井戸があります。

浦島太郎伝説 – 横浜市

住宅地に佇む「足洗いの井戸」(神奈川区子安通1-186)

まず、子安駅子安通一丁目に残っているのが「足洗いの井戸」です。
この「足洗いの井戸」は、竜宮城から帰ってきた浦島太郎が浜から上がった後に足を洗ったとされています。

足洗いの井戸は、住宅地の密集している場所にあるため、見つけるのが難しくなっています。
※訪れる際は、地域住民の迷惑にならないような配慮をしましょう。

この地域一帯が海側にあるため、他にもたくさんの井戸がありました。
地元の方に聞いたところ、戦前は「長命で病気にかかりにくい水」として、産湯や生活水に使われていたそうです。

現在は飲用水として利用できませんが、災害用の貯蓄井戸となっています。
用途は時代ととともに変化しましたが、地元の方々に長く親しまれている井戸です。
今も木造家屋・運河・船着き場などが残っているのは、下町ならではの風情がありますね。

常盤橋から見た浦島町

また、井戸以外にも浦島太郎は「足洗川」という場所で足を洗ったとされています。
その伝説から、足洗川で足を洗うと「足の病気にかかりにくい」「治癒する」と言われていたそうです。
現在はコンクリートで埋め立てられていますが、当時の川があった跡地には「足洗川の碑」が建てられています。

大口一番街にある「足洗川の碑」

足洗川の碑とは

浦島太郎が足を洗ったと伝えられる足洗川(あしあらいがわ)の碑
商店街に数多く残されている浦島伝説の一つ、かつて浦島太郎が足を洗ったといわれる足洗川があります。
昔から大雨や台風の影響で足洗川が再三にわたって氾濫することから、今は暗渠(あんきょ)となってしまいましたが、残された石碑から当時ここに川が流れていたことがわかります。
大口1番街の中央付近にあります。

大口1番街公式サイト

探す際の目印となるのは、大口一番商店街でも老舗の「ペンギンカメラ」さんです。
店主の方に聞いたところ、昔は商店街の通りに沿って川が流れ、頻繫に洪水が起きていたそうです。
石碑は大口一番街の中央にひっそりと建っていますので、ぜひ探してみてください。

昭和な雰囲気が残る 大口通り商店街 – 横浜で暮らそう

浦島太郎ゆかりの品を残す「蓮法寺」(神奈川区七島町21)

蓮法寺は、大口一番街から国道1号線沿いを歩くと10分ほどで見えてきます。
長い階段を上った丘の上にあり、立派な門構えで厳かな雰囲気が漂うお寺です。

もともと浦島太郎のゆかりの品を数多く祀っていた「観福寿寺」というお寺がありました。
しかし、寺院が明治初期に火事で焼失したため、その一部を蓮法寺が引き継いだのです。
境内には「浦島父子の供養塔」や「亀化大竜女の石像」などが安置されていました。

火事で焼失したゆかりの品には、物語でも登場し、浦島太郎が持ち帰ったとされる「玉手箱」や「釣り竿」もあったそうです。
どのような姿形であったか、今となっては知ることができません。

浦島太郎ゆかりの品の1つ「浦島地蔵」(神奈川区亀住町)

京急線「神奈川新町駅」から歩いて5分ほどの場所に「浦島地蔵」があります。
目印は亀住町公民館で、建物横にひっそりと佇んでいます。

この地蔵も浦島太郎ゆかりの品の1つで、もとは観福寿寺の参道入口にありました。
火事で慶運寺に移すことになったものの、牛車が途中で動かなくなってしまい、仕方なくこの亀住町に置かれたそうです。

浦島太郎を祀る「慶運寺」(神奈川区神奈川本町18-2)

運慶寺は、京急線「京急東神奈川駅」から南側に歩いて5分のところにあります
そもそも神奈川区には、明治時代初期まで現在の蓮法寺のある、七島町交差点付近に「観福寿寺」がありました。

蓮法寺近くの「七島町交差点」

浦島太郎が竜宮城から持ち帰った観音像を本尊としていたため、通称「うらしま寺」と呼ばれていたそうです。
しかし、本堂が火事で焼失したため、観音像と浦島大明神像・亀化龍女神像(乙姫像)は慶運寺に移され、祀られています。
また、江戸時代末期の横浜開港当時には、フランス領事館として使用されていました。

境内には「浦島観世音堂」があり、竜宮城へ行った浦島太郎が乙姫様からもらったとされる、観音菩薩などが安置されています。
これらの品々は、12年に1回(子年)の4~5月にしか開帳されない貴重なものです。

慶運寺にある「浦島観世音堂」

浦島太郎が過ぎし日を偲んだ「成仏寺」(神奈川区神奈川本町10-10)

最後に、慶運寺からすぐの場所に成仏寺があります。
成仏寺へ行くための目印は、滝の川公園に続く看板が出ている場所です。

境内を入った左側に「涙石」と呼ばれる、不思議な形をした石があります。
これは、竜宮城から帰ってきた浦島太郎が腰を下ろし、300年という過ぎし日を偲んで涙を流したといわれている石です。

不思議なことに、海が近いこの地域で潮が満ちてくると湿気を含み、表面が濡れてくるのです。
もしかしたら、石の表面に出てくる無数の雫は、今でも浦島太郎が流し続ける涙なのかもしれません。
また、江戸時代末期の横浜港が開港した当時には、アメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ヘボン式ローマ字の創始者・ヘボン氏が住んでいたことでも知られています。

浦島太郎伝説のある神奈川区に行こう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、神奈川区に伝わる浦島太郎伝説についてお伝えしましたが、少しでも参考になれば幸いです。

浦島太郎は地元の方々から愛され、大切にされてきたことが分かります。
神奈川区には、浦島太郎の物語を思わせるような場所がたくさんありました。

横浜市立浦島小学校「かめの子すべり台」

区役所では、神奈川区の歴史・史跡・名所や浦島太郎伝説に関するパンフレット「かながわ歴史亀さんぽ」が配布されています。
ぜひチェックしてみてください。

「浦島太郎はどのよう景色を見ていたのか?」と想像しながら、散策するのもアリですね。
古き時代へタイムスリップした気分を味わいに、神奈川区へ訪れてみてはいかがでしょうか。

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