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神奈川区ってどんなところ?

横浜ベイクォーター

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神奈川区ってどんなところ?
横浜市内には、県と全く同じ字がつく区「神奈川区」があることはご存知でしょうか?
どんな街?住みやすいの?
今回は、このような疑問と歴史や暮らしやすさの視点から「横浜市神奈川区」をご紹介いたします。
このコンテンツを通して、少しでも参考になれば幸いです。

神奈川区ってどんなところ?

横浜市神奈川区は、市内の北東に位置する海と山に囲まれた自然豊かな場所です。
神奈川区の地形は「臨海部/内陸部/丘陵部」の3つに分かれています。

横浜市域全体図 – 横浜市

隣接する地域としては、西区・鶴見区・緑区・港北区となっています。
鶴見区については、別のコンテンツでも紹介していますので、あわせてご覧ください。

横浜 鶴見ってどんな街? 暮らしやすいの? – 横浜で暮らそう

次に、神奈川区のシンボルマークとマスコットマークを見てみましょう。

神奈川区のマスコットマーク・シンボルマーク – 横浜市神奈川区

神奈川区のマスコットマーク「かめ太郎」

神奈川区に残る「浦島太郎伝説」の亀に因み、1983年(昭和58年)に制定しました。(左)
そして、誕生から25周年を迎えて、新しい「かめ太郎」が活躍しています!!(右)

神奈川区のシンボルマーク

カナガワの「カ」の文字をモチーフに、デザインしたもので、1981年(昭和56年)に制定しました。

神奈川区のマスコットマーク・シンボルマーク – 横浜市神奈川区

臨海部の横浜港エリアには「京浜工業地帯」が広がっていることも特徴です。

横浜・川崎は、明治期、横浜の鶴見区に、浅野財閥の創始者で、京浜工業地帯の生みの親と言われる浅野総一郎らが「鶴見埋立組合」(後の東亜建設工業)を設立し事業を開始した。 大正から昭和初期にかけて、今の神奈川区千若町・新浦島町・守屋町、鶴見区生麦・末広町・安善町、川崎市川崎区白石町・浅野町など、横浜・川崎地区に人工島を造成され、同時に運河が掘られた(これらを隔てていた運河は後に埋め立てられ、現在では陸続き)その後も土地の不足により、神奈川区出田町・恵比須町・宝町、鶴見区大黒町・末広町が埋め立てられる。埋め立てを行っている間にも様々な企業が集積し、工業地帯として発展を続けていった。

京浜工業地帯 – Wikipedia
京浜工業地帯

臨海部の横浜港エリアには「横浜市中央卸売市場本場」や「横浜郵便集中局」など、横浜市を支える施設が集中しています。

また、大野町・金港町・栄町にある「ヨコハマポートサイド地区」には、オフィスビルや高層マンションが立ち並び、横浜の都会らしさを感じます。

大野町・金港町・栄町の「ヨコハマポートサイド地区」

2020年は横浜ポートサイド地区はマンションラッシュ!? – 横浜で暮らそう

神奈川区の歴史と由来

1927年の区制施行に伴い、神奈川区・鶴見区・中区・保土ケ谷区・磯子区の4区が横浜市で初めて制定されました。
神奈川区の歴史は古く、江戸時代以前にさかのぼります。

1601年(慶長6年)、武蔵国橘樹郡に神奈川宿が置かれる。

神奈川区 – Wikipedia

神奈川宿の「神奈川」という名前の由来には諸説ありますが、こんな記載がありました。

いくつかの説があり、本当のところはわかりませんが…。

その昔、区内を流れていた小さな流れを「上無川(かみなしがわ)」といっていました。

それは、いつも水が涸れてほんの少ししか流れていない。水源地もどこかわからないので、「上(かみ)がない川」と呼ばれていました。それがいつしか「み」「し」の二字を略して「かな川」をいうようになったという話です。

また、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方へ赴く際、今の神奈川の海辺柚ヶ浦に船出の用意をしました。そこが「上無川(かみなしがわ)」なのでした。その時、倭姫(やまとひめ)にいただいた宝剣が金色燦然としてこの川水に映ったので、この地を金川(かながわ)と名付けました。その後時が移り、源頼朝がこの金川(かながわ)の風光を賞し、「<金>は西の方角をつかさどるというが、西方は上(かみ)にあたるし,皇城(こうじょう=都、天子のすむところ)にもあたる。これは神を大いに示す地である。」として<大いに示す>を「奈」の字にして、金川→神大示川→神奈川とすべきだといったので、その時から金川を神奈川としたという話です。

ほかにも、古文書の中に「神奈河」「狩野川」「かの川」「かな川」と記されているものがあります。

浦島太郎伝説 – 横浜市

神奈川宿は、「東海道五十三次」の宿場の1つです。
「東海道五十三次」は、江戸時代に整備された五街道の1つで、東海道にある53の宿場のことを指します。
「東海道五十三次」には有名な名所旧跡が多く、風景版画で有名な浮世絵師・歌川広重(安藤広重)の浮世絵をはじめ、和歌・俳句の題材にも数多く取り上げられていました。

東海道五十三次のひとつ神奈川宿。この地名が県の名前や区の名前の由来です。
またここが、近代都市横浜の母体でもありました。
しかし、関東大震災と第二次世界大戦によって、歴史的遺産の多くを失いました。
そのため地元の人でさえ、東海道がどこを通り、宿場町の様子がどのようであったかを知る人は少なくなりました。
現在、宿場町当時のものはほとんど失われてはいますが、台町の坂などに、当時の面影を見つけることができます。

神奈川宿歴史の道 – 横浜市神奈川区
旧東海道の神奈川宿
神奈川台関所跡

横浜駅西口最寄りの台町は歴史のある街道 – 横浜で暮らそう

浦島太郎伝説と神奈川区について

日本昔話の「浦島太郎」は、日本全国に150か所以上もゆかりの地があるとされています。
横浜市神奈川区もその1つで、古くから「浦島太郎伝説」が伝わり、物語を思わせる場所が数多く残っているため、その歴史に触れることができます。
京急線「京急東神奈川駅」から約5分の「運慶寺(別名:浦島寺)」では、浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったとされる記念物が安置されています。

「慶運寺」(神奈川区神奈川本町18-2)

太郎は助けた亀に連れられて「竜宮城」へ行き、乙姫様のもてなしを受けました。月日の経つのも夢のうちで、いつしか3年の歳月が流れました。
父母恋しさに暇を告げたところ、乙姫様は別れを惜しんで、玉手箱と聖観世音菩薩を太郎に与えました。
ついにこの玉手箱を開きますと、中から白い煙が出てきて白髪の老人になりました。3年と思ったのが実は300年、すでに父母はこの世の人ではなく、武蔵の国白幡の峰に葬られてあると聞いて尋ねてみると、二つの墓石が淋しそうに並んでおりました。
太郎は墓の傍らに庵を結んで菩薩像を安置し、父母の菩提を弔いましたが、この庵がのちの観福寿寺で、通称「うらしまでら」と呼ばれました。観福寿寺は明治5年に廃寺になり、現在は慶運寺に聖観世音菩薩像が安置されています。

神奈川区の歴史 – 横浜市

そもそも「観福寿寺」は、明治時代初期まで現在の蓮法寺のある、七島町交差点付近にがありました。
浦島太郎が竜宮城から持ち帰った観音像を本尊としていたため、通称「うらしま寺」と呼ばれていたそうです。

七島町交差点

しかし、本堂が火事で焼失したため、観音像と浦島大明神像・亀化龍女神像(乙姫像)は慶運寺に移され、祀られています。
また、江戸時代末期の横浜開港当時には、フランス領事館として使用されていました。

境内には「浦島観世音堂」があり、竜宮城へ行った浦島太郎が乙姫様からもらったとされる、観音菩薩などが安置されています。
これらの品々は、12年に1回(子年)の4~5月にしか開帳されない貴重なものです。

慶運寺にある「浦島観世音堂」

神奈川新町ってどんなところ? – 横浜で暮らそう

また、大口通には「足洗川の碑」、子安通一丁目には浦島太郎が足を洗った「足洗いの井戸」がありました。

足洗川の碑とは

浦島太郎が足を洗ったと伝えられる足洗川(あしあらいがわ)の碑
商店街に数多く残されている浦島伝説の一つ、かつて浦島太郎が足を洗ったといわれる足洗川があります。
昔から大雨や台風の影響で足洗川が再三にわたって氾濫することから、今は暗渠(あんきょ)となってしまいましたが、残された石碑から当時ここに川が流れていたことがわかります。
大口1番街の中央付近にあります。

大口1番街公式サイト
大口一番街にある「足洗川の碑」

足洗川で足を洗うと「足の病気にかかりにくい」「治癒する」と言われていたそうです。
現在はコンクリートで埋め立てられていますが、当時の川があった跡地には「足洗川の碑」が建てられています。

探す際の目印となるのは、大口一番商店街でも老舗の「ペンギンカメラ」さんです。
店主の方に聞いたところ、昔は商店街の通りに沿って川が流れ、頻繫に洪水が起きていたそうです。
石碑は大口一番街の中央にひっそりと建っていますので、ぜひ探してみてください。

昭和な雰囲気が残る 大口通り商店街 – 横浜で暮らそう

そして、子安駅子安通一丁目に残っているのが「足洗いの井戸」です。
この「足洗いの井戸」は、竜宮城から帰ってきた浦島太郎が浜から上がった後に足を洗ったとされています。足洗いの井戸は、住宅地の密集している場所にあるため、見つけるのが難しくなっています。
※訪れる際は、地域住民の迷惑にならないような配慮をしましょう。

子安通一丁目でひっそりと残る「足洗いの井戸」

この地域一帯が海側にあるため、他にもたくさんの井戸がありました。
地元の方に聞いたところ、戦前は「長命で病気にかかりにくい水」として、産湯や生活水に使われていたそうです。

現在は飲用水として利用できませんが、災害用の貯蓄井戸となっています。
用途は時代ととともに変化しましたが、地元の方々に長く親しまれている井戸です。
今も木造家屋・運河・船着き場などが残っているのは、下町ならではの風情がありますね。

浦島町 常盤橋
常盤橋から見える浦島町

他にも、亀がモチーフとなったものが数多くありました。
神奈川区を歩くと「浦島太郎伝説 ゆかりの地」を肌で感じることができます。

横浜市立浦島小学校「かめの子すべり台」
京急線「神奈川新町駅」近くの「浦島公園」

神奈川区役所では、神奈川区の歴史・史跡・名所や浦島太郎伝説に関するパンフレット「かながわ歴史亀さんぽ」が配布されています。

「浦島太郎はどのよう景色を見ていたのか?」と想像しながら、散策するのもアリですね。
古き時代へタイムスリップした気分を味わいに「浦島町」へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

かながわ歴史亀さんぽ – 横浜市神奈川区

横浜 神奈川区に伝わる「浦島太郎伝説」とは? – 横浜で暮らそう

「東神奈川」と「仲木戸」地名の由来とは?

「東神奈川」は神奈川区の町名で、JR線の「東神奈川駅」から由来しています。

町名は東神奈川駅から採られている[5]。

当時、国鉄に神奈川駅(後に廃止)が存在したため、頭に「東」を冠した。

東神奈川 – Wikipedia

現在の「東神奈川駅」ができる以前、同じく国鉄の隣駅には「神奈川駅」がありました。
その「神奈川駅」東側に位置していたことから、現在の「東神奈川駅」となったそうです。
JR線「東神奈川駅」は、JR横浜線の前身となる、横浜鉄道が1908年に開業したのが始まりです。

東神奈川駅は東海道本線上にある駅であるが、この区間の東海道本線開通時にはまだなく、横浜と八王子を結ぶことを目的として建設された私鉄の横浜鉄道(後の横浜線)が、東海道本線との接続駅として建設した。横浜鉄道では、横浜側の接続駅として神奈川駅や平沼駅などを検討していたが、土地が狭いなどの理由で、東神奈川駅の位置において接続する方針となった[2]。こうして1908年(明治41年)9月23日に、横浜鉄道線の開通とともに東神奈川駅は開設された。

東神奈川駅 – Wikipedia

ちなみに、国鉄「神奈川駅」という駅名は、旧東海道の「神奈川宿」から由来しています。
そのため、東神奈川の歴史は浅く、1976年にそれぞれ周辺地域の一部から新設されました。

1976年(昭和51年)の土地区画整理事業施行に伴い、神奈川通、御殿町、神明町、東神奈川町、亀住町、稲荷町の各一部から新設された[5]。

東神奈川 – Wikipedia

「京急東神奈川駅」の旧駅名である「仲木戸」という地名の由来は古く、江戸時代までさかのぼります。
もともと、京急線「京急東神奈川駅」は「仲木戸駅」という駅名でしたが、2020年3月に改称されました。
改称の理由は、JR線「東神奈川駅」に乗り換えできる駅として認知度が低かったためです。

東日本旅客鉄道(株)の東神奈川駅と隣接していながら、駅名が異なることで乗り換え可能な駅としてお客さまから十分に認知されていないことから、「京急」を冠したうえで同駅名とし、乗り間違いを防ぎつつ利便性を高める。

2020年3月に4駅の駅名を変更します – 京浜急行電鉄 ニュースリリース

東神奈川ってどんなところ? – 横浜で暮らそう

白楽といえば「六角橋商店街」

六角橋商店街は、旧綱島街道沿いの六角橋に約170店舗が立ち並ぶ、昭和レトロな商店街です。
東急東横線「白楽駅」が最寄りの六角橋商店街は、生鮮食品や雑貨・飲食店などの幅広いジャンルのお店が揃っています。
過去には、フリーマーケットやプロレスなどのイベントが開催されました。
近くには大学もあるため、地元の方で賑わう活気のある商店街です。

六角橋商店街
六角橋商店街

横浜でお部屋探し おすすめの街 白楽・六角橋商店街 そこで暮らした思い出 – 横浜で暮らそう

神奈川区で暮らしを始めるなら

神奈川区は、住まいにも便利な街です。
ここからは、実際に住むことになったら気になる情報をお伝えします。

交通アクセスと利便性

神奈川区には、JR線・京急線・東急東横線などがあり乗り換えも便利です。
京急線「京急東神奈川駅」とJR線「東神奈川駅」は、それぞれが歩道橋でつながっています。
そのため、行き先に応じて路線変更も可能です。
ただし、乗り換えには外を通るため、天気の悪い日には注意しましょう。

京急線「京急東神奈川駅」
JR線「東神奈川駅」

JR線「東神奈川駅」は、改札口にみどりの窓口やコンビニがあります。
また、構内には駅ナカ店舗もあり、電車の待ち時間に利用できて便利ですね。
その中でも1番のメリットは、京浜東北線と横浜線の2線が利用できることです。

JR線「東神奈川駅」は「品川駅」まで約23分となっています。
都心への通勤手段として考えると、乗り換えなしで行けるのは嬉しいですね。
通勤ラッシュ時間帯はもちろん、平日の昼間にも混雑していました。
JR線「東神奈川駅」から約10分歩けば、東急東横線「東白楽駅」へ到着します。

東急東横線 東白楽駅

便利な東白楽駅周辺で住みやすい! – 横浜で暮らそう

京急線「京急東神奈川駅」は、JR線「東神奈川駅」よりも質素な雰囲気となっています。
ホームへのエレベーターや自動販売機などはありましたが、その他は何もありません。

1番のメリットは、「エアポート急行」と「普通」の2つの車両が停車することです。
「エアポート急行」に乗車すれば、羽田空港へ乗り換えなしで約25分となっています。
ちなみに「横浜駅」までは約3分のため、休日のお出かけにも最適ですね。

羽田空港 国際線ターミナル
羽田空港 国際線ターミナル
JR横浜タワー

お買い物も便利

金港町には、大型商業施設「横浜ベイクォーター」があります。
また、各駅には商店街・スーパー・飲食店・コンビニなども充実しているため、お買い物に困ることはありませんね。

金港町にある「横浜ベイクォーター」
京急線「神奈川新町駅」ssyしゅしゅうしゅうhしゅうへ周辺周辺
JR線「東神奈川駅」の駅ビル「CIAL東神奈川」

休日は横浜観光の穴場 東神奈川駅周辺で遊ぼう – 横浜で暮らそう

行政手続きと治安について

実際に住むとなった場合に必要となる、行政手続きについてです。
JR線「東神奈川駅」から徒歩約10分の場所にもあり、神奈川区役所があります。
行政の各種手続きなどを行う際も、近くで済ませることができるのは嬉しいですね。

ここからは、東神奈川に住むことになったら気になる「治安」についてお伝えいたします。
まず、東神奈川のある神奈川区の治安について横浜18区から比較します。
横浜市の統計によると、神奈川区の人口は第5位となっています。(2021年4月1日現在)
そこで「横浜市人口/世帯数」の上位5区を犯罪発生率から比較しました。
(犯罪発生率=犯罪数÷人口×1,000)

順位区分犯罪発生率(%)人口(人)
1位青葉区0.51310,920
2位神奈川区0.66247,641
3位鶴見区0.67297,059
4位戸塚区0.76284,045
5位港北区0.79358,939
参考:推計人口・世帯数【最新】「横浜市人口ニュース No.1129」- 横浜市
参考:2021年1~3月累月暫定値 刑法犯 罪名別市区町村別 認知件数 – 神奈川県警察

神奈川区は、横浜市内で人口の多い港北区に比べて、犯罪発生率が低くなっています。
学校や商店街なども多くあり、比較的「住みやすい街」であることが分かります。

東神奈川に住んでみよう 暮らしてみよう – 横浜で暮らそう

神奈川区はこんなところ!

神奈川区は、ファミリーはじめての一人暮らしでも安心して暮らせる街です。
自然・歴史・ショッピングなど…
さまざまな顔を持ち、活気に溢れる「神奈川区」へ訪れてみてはいかがでしょうか。

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