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国道駅は横浜で昭和の歴史を語る駅

国道駅 town
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国道駅は横浜で昭和の歴史を語る駅
ここでは「みなと横浜」のイメージとは異なる昭和の歴史が刻まれた、地元でもとてもマニアな駅「JR国道駅」についてお伝えいたします。
いつもの横浜観光とは少し違い、横浜に訪れるなら一度は行ってみたい、おすすめスポットです。
「JR鶴見駅から鶴見線に乗り換えてもよし、京急線の花月総持寺駅から歩くいてもよし」の
国道駅に訪れることで、昭和へタイムスリップしてみてくださいね。

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国道駅は横浜で昭和の歴史を語る駅

国道駅は横浜市鶴見区にある、JR東日本(東日本旅客鉄道)鶴見線の駅のひとつ。
現在、横浜駅周辺は大幅なリニューアルに向けた開発工事が進められています。

横浜駅は、歴史ある駅の1つに加えて「利便性」や「新しさ」などを取り入れることで、利用する人々の時代に合わせた変化を遂げています。
一方で国道駅は、当時と変わらず昭和の歴史が残る古き良き駅なのです。
そんな国道駅についてご紹介します。

鶴見線「国道駅」はガード下にある廃墟!?

国道駅は「昭和レトロな雰囲気」と「歴史ある駅舎」が見どころです。
近くに京急本線の花月総持寺駅があり、徒歩5分圏内に2つの路線が乗り入れているアクセスの良さも魅力の1つです。

国道駅
花月総持寺駅前1

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鶴見線は、JR東日本(東日本旅客鉄道)の路線で、全長9.7kmからなる2線13駅と非常に短いのが特徴です。
ガード下にある廃墟のような国道駅は、無人駅となっています。

駅のホームは高架上にあり、上りと下りにそれぞれベンチが置いてあるだけの質素な雰囲気となっています。
ホームは全体的に狭く、電車との距離が大きく広がっているため、足元に注意が必要です。

ホームを下ると、改札口が見えてきます。
ただ、改札口には、自動改札機が設置されておらず、券売機と簡易的なICカード専用改札機のみの静かな駅です。
もちろん、駅構内にはエレベーターやエスカレーターなども一切、設置されていません。

鶴見線「国道駅」改札

国道駅の歴史

駅名は、旧東海道と国道15号線(第一京浜)の交わる場所にあることが由来しています。
現在では、国道15号線(第一京浜国道)と呼ばれている京浜国道も、国道駅開業当時は国道1号線(通称1国)と呼ばれていました。

国道駅が昭和の風情漂う雰囲気である理由は、駅舎の歴史にあります。
現在も貨物輸送に利用されている鶴見線は、1926年に鶴見臨港鉄道が貨物専用路線として開業しました。
1943年に国有化されるまでの13年間は、鶴見臨港鉄道が国道駅の所有となっていました。

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鶴見線の前身は鶴見臨港鉄道株式会社という私鉄でした。
大正13年7月、浅野総一郎、大川平三郎、白石元治郎ら7名が埋立地への輸送機関として発足させました。
大正15年に浜川崎ー弁天橋間、白石ー大川間が開通、4月に安善ー石油(浜安善)間が開通し、営業を始めました。
昭和3年に浜川崎ー扇町を結ぶ路線が開通して第一期事業が終了し、第二期事業を経て、昭和9年2月に鶴見から扇町が全線開通しました。
昭和15年11月には新芝浦から海芝浦の貨物線が開通し、ようやく現在の路線が完成したのです。
昭和18年、戦時下で国鉄に買収され「鶴見線」となり、会社は現在不動産の賃貸を中心に事業を行っています。

鶴見臨港鉄道 – 横浜市鶴見区
鶴見線「開業当時の国道駅」 – Wikipedia
鶴見線 国道駅 駅舎
鶴見線 国道駅 駅舎

私が地元の方から伺った中で一番驚いたのは、国有化される前まで高架下に臨港デパートという商業施設があったことです。
当時の臨港デパートでは、食品・玩具・洋服・雑貨・日用品など、さまざまなものが販売されていたそうです。
記録には残っているものの、写真などの現存する資料はないため、その詳しい真偽は謎に包まれたままとなっています。
国鉄の民営化に伴って1987年からは、現在と同じJR東日本(東日本旅客鉄道)が所有しています。

国道駅は、開業して90年という年月が経っていますが、その姿は、ほとんど変わっていません。
建物の外壁には、第二次世界大戦末期におけるアメリカ軍用機の銃弾痕が残っています。

国道駅舎 第二次大戦の跡
国道駅舎 第二次大戦の跡

横浜大空襲などの大きな被害から逃れた駅舎は現在でも、後世に伝え継がれるとても貴重な建物として学びに生かされています。
鶴見区育ちの私自身は、小学校で授業の一環として、地元の方から国道駅の歴史や戦争当時の体験談を伺いました。このように国道駅の駅舎は、歩んできた時代と歴史の長さを物語っています。

鶴見線の駅に関する紹介も別のコンテンツでお伝えしています。
こちらもあわせてご覧ください。

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国道駅周辺を散策してみた

ここからは、昭和レトロな懐かしい雰囲気が広がるガード下を散策してみます。
国道駅は、映画やドラマなどのロケ地としても数多く利用される有名な場所です。
過去には、明石家さんまさん・大竹しのぶさん共演の大ヒットドラマ「男女7人秋物語」や木村拓哉さん主演ドラマ「華麗なる一族」などの撮影も行われていました。

まずは、現在も夕方から営業している唯一の飲食店「やきとり国道下」です。
店内には、撮影中に訪れた木村拓哉さんの直筆サインと写真が飾られていました。

国道駅 やきとり国道下
国道駅 やきとり国道下

「やきとり国道下」
営業時間 16:30~20:00(L.O.19:40)
定休日 日曜・祝日
(*営業時間、定休日は異なる場合があります)

次に、国道駅横の旧東海道から約300mも続いている「生麦魚河岸通り」です。
この生麦魚河岸通りは、生麦のアメ横という感じでしょうか。
地元の方々に愛される下町の魚河岸です。
現在も約20店舗の鮮魚店やお食事処が営業しており、年末年始には毎年のように賑わうなど国道駅に訪れた際にはぜひ立ち寄ってみてくださいね。

生麦魚河岸通り
生麦魚河岸通り

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週末は横浜にある国道駅へ行って昭和の歴史を感じよう

横浜駅から少し離れると、横浜で昭和の歴史を感じられます。
横浜の中でもさまざまな一面を持つ区・鶴見区にある国道駅は、マニアックな駅舎と独特な雰囲気。
国道駅は、その歴史とともに後世へ残していきたい貴重な駅ですね。

国道駅の魅力は、アクセスの良さと情緒溢れる下町です。
令和では味わえない、「昭和レトロ」な雰囲気を体験しに週末は国道駅に行ってみませんか。

国道駅は国道15線沿いにあります
国道15線沿いにある「国道駅」