スポンサーリンク

巳を祀る 蛇骨神社—新横浜に息づく大蛇伝説と地域の歴史

蛇骨神社 蛇幸都神社 未分類
この記事は約4分で読めます。

2025年は巳年ですね!今年は蛇にちなんだスポットを巡ってみるのも良いかも。そんなわけで、今回は横浜のちょっとした隠れスポット、蛇骨神社をご紹介します。

横浜市港北区にある「蛇骨神社」(じゃこつじんじゃ)は、新横浜の町中にひっそりとたたずむ小さな神社。ぱっと見では目立たないけれど、実は地元の人たちの信仰や面白い昔話が詰まった場所なんです。この神社の歴史や大蛇伝説をちょっと覗いてみませんか?親しみやすくご紹介していきます!

スポンサーリンク

大蛇の伝説が生んだ「蛇骨神社」

蛇骨神社の始まりは、昔むかしの「大蛇の伝説」から来ているそうです。この地域には大きな蛇が住んでいて、村人たちはその蛇をちょっと怖がりながらも、自然の力を象徴する神聖な存在として大事にしていました。そこで村人たちは、大蛇を土地の守り神として祀り、「蛇骨」という名前の神社を作ったんだとか。

「蛇骨」という名前は、大蛇の骨を埋めた場所に小さな祠(ほこら)を建てたことが由来だそうです。この大蛇への信仰には、「土地を守ってほしい」「農作物がたくさん採れますように」という農民たちの願いが込められていました。実は、こういう石や蛇を祀る信仰は、日本各地でも見られるんですよ。

蛇骨神社 蛇幸都神社

蛇骨神社と「琵琶橋」

蛇骨神社の近くには、むかし「琵琶橋」という橋があったんです。この橋は昔の重要な通り道だったらしいんですが、残念ながら今はもうなくなってしまいました。でも、名前だけは地元でしっかり語り継がれています。(琵琶橋については今も調査されているそうです)

もし琵琶橋が今もあったら、昔の人たちがどんなふうに自然や地域と関わりながら暮らしていたのか、もっとイメージできたかもしれませんね。蛇骨神社を訪れたら、ぜひこの辺りも一緒に歩いてみてください。昔の風景に思いを巡らせる、ちょっと特別な時間が過ごせるかもしれませんよ。

2001年に復活した「蛇幸都神社」

長い歴史を持つ蛇骨神社ですが、一度その姿を消してしまいました。とはいえ、地元の人たちの熱い思いによって2001年に見事復活!今では「蛇幸都(じゃこつ)神社」とも呼ばれています。この「幸」という字が加わったのは、「骨」という字をちょっと明るく、良いイメージの言葉に変えたかったからだそうです。

再建された蛇幸都神社では、蛇神様が「長寿」「商売繁盛」「知恵」「医療の守護」など、いろいろなご利益を授けてくれると評判です。中でも「医療関係のご利益」があると言われていて、歯医者さんやお医者さんが訪れることも少なくないそうですよ。

スポンサーリンク

新横浜に蛇神が祀られている理由

蛇骨神社 蛇幸都神社

今の新横浜といえば、新幹線が通り、ビルや商業施設が立ち並ぶ都会のイメージですが、昔は田んぼが広がるのどかな農村地帯でした。この地域では、自然の力を神様として祀る信仰があり、特に蛇は水や土地を守る神聖な生き物として大切にされていました。

また、干支(えと)の「巳(蛇)」も、農業社会では豊作や繁栄の象徴とされていました。だから、蛇にちなんだ神社がこの地域で信仰されるのは自然なことだったのかもしれません。

蛇骨神社が再建された背景には、地元の人たちが「昔からの伝統や歴史を大切にしたい」という思いがあったそうです。都市化が進む中でも、こんな小さな神社が残っているのは、ちょっとした宝物みたいですね。

蛇骨神社への行き方

蛇骨神社 蛇幸都神社

蛇骨神社は、新横浜駅の篠原口から歩いて約10分。駅を出て新幹線の高架沿いを進み、高架の反対側へ抜けるとあります。ちょっとびっくりするのが、ファミリーマートの駐輪場の一角にひっそりと建っていること!

目印は駐輪場や高架下の道。けっこう小さい神社なので、通り過ぎてしまわないよう注意です。でも、一度見つけると、その静かな佇まいに「こんな場所にこんな神社が!」と驚くはずです。

蛇骨神社の魅力

蛇骨神社は、新横浜の歴史や地域の文化を肌で感じられる、ちょっとホッとする癒しスポットです。特に、大蛇伝説や干支にまつわる話が好きな人にはたまらない場所かも!

地元の人たちの思いで復活したこの神社、ぜひ一度足を運んでみてください。近くの「琵琶橋」跡とセットで散策すると、新横浜の意外な一面に出会えるかもしれませんよ。

9月には蛇骨神社例祭という「蛇骨祭り」が開催されるそうですよ。
地元のちっちゃなお祭りですが、興味にある方は訪ねてみると、蛇骨神社のことが聞けるかもです。

参考出典