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横浜 山手のキリン園公園
横浜市中区に「キリン園公園」という場所があります。
キリン園公園の周辺は、他にも「キリンビール発祥の地」や「インターナショナルな街」の一面があるのです。
今回は、山手エリア周辺を散策しながら、街の魅力についてお伝えします。
目次
横浜 山手からほど近い、横浜市中区千代崎町1丁目に「キリン園公園」という、さほど大きくない公園があります。
この公園、歴史を知らなければ立ち止まることもないそんなに目立つ派手な公園ではありません。
そんなに大きい公園でないのに、大きい石碑が立っているのはちょっと気になりますよね!
みなとみらい線の終点「元町・中華街駅」を降りて、元町のある南側のエスカレーターを上がっていくと、壁にはこのような写真があります。
きっと横浜の歴史に詳しくない方には「ビール工場が元町や中華街となんの関係があるの?」と思うかもしれませんが、これが今回の話題にした「キリン園公園」と繋がります。
キリン園公園は何も知らないで入ると普通の住宅街の公園ですが、そんな中やけに大きな石碑が立っています。
そしてその横には記念碑の説明があります。
1870(明治3)年、アメリカ人ウィリアム・コープランドは横浜・山手にビール醸造所 スプリング・バレー・ブルワリーを設立し、日本で初めて産業として継続的にビールの醸造・販売を行いました。コープランドはその功績から、「日本のビール産業の祖」と呼ばれています。
1885(明治18)年、スプリング・バレー・ブルワリーの建物と土地は日本在住の外国人経営の会社ジャパン・ブルワリーに引き継がれ、1888(明治21)年に「キリンビール」が発売されました。そして、1907(明治40年)、ジャパン・ブルワリーの事業を引き継ぎ麒麟麦酒株式会社が創立。1923(大正12)年の関東大震災まで、この地においてビールを醸造しました。
麒麟麦酒開源記念碑記念碑 案内板にて
そう、皆様もよくご存知の「キリンビール」発祥の地だったのです。
グローバルな日本企業の発祥の地だなんて、結構地元の人しか知らないんですよね…。
横浜市立北方小学校の敷地内にある、この「ビール井戸」。今は蓋をされて利用はされていません。
というのも、現在横浜では上下水道が整備されているので、当然井戸は使われていないのです。
レンガでできた古めかしい井戸ですが、なぜ「ビール井戸」というのか??
もちろん、この井戸からビールが湧いて出てくるなんてことはありません。
1895年からビールを作るための水を汲み上げるために使われた井戸なんだそうです。
こちらが横浜市立北方小学校。
実はこの北方小学校は1873年に前身の「第一大学区二十五番小学就蘭学舎創立」したということなので、学校自体も相当歴史があります。
この周辺には、明治時代からビール工場があったり、学校があったり人が集まる地域だったということがわかります。
横浜は開港して160年以上ですから、こんな人々の生活の中に「歴史」が隠れていることが、改めて感じ取れました。
横浜市には2つの山手がある!その1つがJR山手駅!! – 横浜で暮らそう
1800年代にこの地でビールが作られたのは、この頃からこの山手や元町周辺には外国人が多く住んでいたからでしょう。
実際、海外からの玄関口である横浜港があったので外国人が多く出入りしていました。
今や山手周辺では「横浜外国人墓地」も観光名所となっていますが、それもやはり山手周辺に外国人が多く住んでいた証拠かもしれませんね。
現在でも、インターナショナル系の学校がいくつもあるため、この地域には外国人が多いのも頷けます。
近くには韓国領事館があったり、神奈川県庁近くには多くの領事館があります。
また、みなとみらいやみなとみらい線沿線には外資系の企業も多く、外国人の方には山手周辺に住むとメリットが多いのかもしれませんね。
日本の中でも特に「インターナショナル」な地域のため、山手周辺に住むとご近所には外国語を話す隣人ができるかもしれませんね!