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時代と共に変化した 伊勢佐木町 イセザキモール

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時代と共に変化した 伊勢佐木町 イセザキモール
野毛と同じく、関外にある街「伊勢佐木町」。
皆さん 伊勢佐木町は訪れたことはありますか?
横浜に暮らしている方であれば、市役所や馬車道へ行った際にふらっと立ち寄るイメージがあります。
この街の最寄り駅は「関内駅」と地下鉄の「伊勢佐木長者町駅」。
皆さんにとって伊勢佐木町ってどんな街でしょうか?

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時代と共に変化した 伊勢佐木町 イセザキモール

時代と共に変化してきた伊勢佐木町の商店街。
昭和を過ごした横浜に住む 横浜市民であれば、伊勢佐木町への思い出は沢山あります。
横浜市の中区に位置し、観光客が訪れる海岸線の地とは一味違街。
その伊勢佐木町の歴史は、江戸時代に元々は沼地だったところを埋め立てて、遊郭ができたところから始まっています。

昭和時代の伊勢佐木町

1909年創業の有隣堂(伊勢佐木町本店)

伊勢佐木町と街全体を示した名称で呼ばれていますが、実際には商店街です。

明治時代にはその遊郭も移転して、商店ができ始めたそうです。(伊勢佐木町にはその頃からの老舗も残っているようです。)
横浜は1859年に開港していたため、他の地に比べ外国人が往来していたのは皆様のご存知の通り。

その後発展をした商店街で、大正初期には「東京・浅草」「大阪・千日前」と並ぶ大きい繁華街となったようです。
太平洋戦争後アメリカ軍に接収されますが、1951(昭和26)年に返還。

その頃からこの街にいた「メリーさん」は地元では誰でも知っている人で、映画や舞台にもなった方がいました。

メリーさん(本名不詳、1921年- 2005年1月17日)は、神奈川県横浜市の中心部でしばしば目撃された女性。歌舞伎役者のように白粉を塗り、フリルのついた純白のドレスをまとっていた。第二次世界大戦終戦後、進駐軍兵士相手に身体を売っていた「パンパン」と呼ばれる娼婦だと噂され、「皇后陛下」「白狐様」「クレオパトラ」「きんきらさん」などの通り名で呼ばれていた。。1980年代に入った辺りから「(港の)マリーさん」と呼ばれ出し、同じく80年代の後半から「メリーさん」と呼び名が変化したようである。そして後年ドキュメント映画がヒットした影響から「ヨコハマメリー」「ハマのメリーさん」などと呼ばれることが多くなった。

wikipediaより

1978(昭和53)年から歩行者天国となり現在の形状になりました。

レストラン 不二家(横浜センター店)

皆様にとって不二家というと「ペコちゃん」「カントリーマームやミルキーなどのお菓子」というイメージがあるかもしれませんが、横浜出身の昭和生まれの私にとっては、子供も連れて行ってもらえる「洋食店」でした。

お子様ランチはもちろん、グラタンやハンバーグなど食べるのが楽しかったです。

旧松坂屋だったカトレアプラザ伊勢佐木は、以前の建物の雰囲気を残した建物となっている

そして、子供の頃向かい側にあった百貨店の松坂屋に行ったり、有隣堂に行って文房具や本を買ってもらったりと、伊勢佐木町に行くことはちょっとしたイベントでした。

多国籍な香りのする今の伊勢佐木町

イセザキモールの入り口

伊勢佐木町商店街と言っても、結構長い。
伊勢佐木町1丁目から7丁目まであります。だいたい関内駅側から入り1丁目から7丁目までまっすぐ商店街を歩いて行っても1.3kmほどあり、歩いて20分弱かかります。

ですので、1丁目と7丁目ではちょっと雰囲気も違いますね。
JR関内駅寄りの1・2丁目を「イセザキモール」と言います。

イセザキモールの入り口には地下街の入り口があり、地下鉄関内駅とをつなぐその地下街が「マリナード地下街」と言います。

平成に変わる頃から段々アジア化

昭和の時代から、平成の時代に変わる頃から、段々と伊勢佐木町が変化してきたな・・・と思ったのは、街を歩いている人たちにアジア系の人たちが増えてきたことです。

その頃はバブル〜バブル崩壊となる時代。
当時の伊勢佐木町の1本北側の通りには福富町という歓楽街があり、そこには外国人の働く「クラブ」「スナック」がたくさんできました。
近所にお住まいのフィリピン・タイ・韓国・中国などのアジア系外国人が増えため、買い物に来る、食事をしに来る・・・などで、段々アジア系のレストランも増えました。

バブル崩壊後、みなとみらい周辺の開発が進み観光の中心となったり、横浜駅周辺にどんどんショッピングビルがオープンしたりすると、一時、伊勢佐木町の商店街も寂れた感じになってきてしまいました。

百貨店だった松坂屋が閉店したり、丸井だったところがカレーミュージアムになり、最終的にはパチンコ店になったり、伊勢佐木町周辺に何軒もあった映画館が閉館したり。

2011年の東日本大震災後、外国人の方々も帰国する人が増えました。
閉店する飲食店もさらに増え、寂れた感じがさらに進みました。

令和時代に向かって

また、最近は傾向が変わってきています。

以前とはちょっと違う賑わいが戻っているようです。

以前の外国人が多くなったことをお伝えしましたが、その当初はタイ人やフィリピン人、韓国人、中国人、ロシア人と多種多様な外国の人が多かったのですが、現在は中国系の方が多くなった気がします。

中華料理のお店も増えており、日本に多い「広東料理」だけでなく、四川料理や東北料理など中国各地に細分化された地方の料理のお店が増えました。

まるで「リトル中華街」な感じです。

実際、中華街にも店舗があるけれど、伊勢佐木町にもお店を出したというところもあるようで、中華街は観光客向け、伊勢佐木町は現地の人(中国人)向けみたいな感じのお店もあるよう。

なので、系列店でも伊勢佐木町のお店の方が安い・・・なんてこともあるらしい。
今後、美味しくてリーズナブルに中華料理が食べたかったら「伊勢佐木町へ」という時代が来るかもしれません。

音楽を発信する街イゼザキ

伊勢佐木町ブルースの歌碑

「伊勢佐木町」というと、実は音楽を発信する街だということはご存知でしょうか。

少し年配の方には「青江三奈の『伊勢佐木町ブルース』」というと、「ああ、そうだった!」となると思います。

ただ、1968年発売の曲ですので、お若い方は知らない方も多いと思います。

最近の方々には「ゆず」は有名になる前に伊勢佐木町入り口近くにある松坂屋の前で路上ライブをやっていたことは有名で、2003年のNHK紅白歌合戦に初出場した際にはその松坂屋前から中継をしたこともありました。

CROSS STREET

CROSS STREET isezaki

伊勢佐木町4丁目に上記「伊勢佐木町ブルース」の歌碑がある近くに「CROSS STREET isezaki」というイベントホールがあります。

ライブなど音楽イベントなどを行うイベントスペースなのですが、ここの名付け親は「ゆず」のお二人なんだそうです。

2010年にオープンした際には「ゆず」が伊勢佐木町商店街の方を中心に50名を招待してライブを行ったことも、この伊勢佐木町に由来するアーティストとして「里帰りライブ」と言われていました。

今後も是非、伊勢佐木町からアーティストが出てくるといいですね!楽しみです。

歴史ある伊勢佐木町

時代と共に変化した伊勢佐木町、その歴史は明治から始まります。
明治、大正、昭和、平成、令和と時代とともに変化し、大きく寂れることなく息づいている街。
歴史と言っても明治から? と思っている方もいらっしゃいますが、横浜が大きく変わったのは幕末の開港から。
その時代から考えると十分歴史のある街と言えます。

このコンテンツを参考に、伊勢佐木町へお出かけしてみませんか?

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横浜生まれ横浜育ち、通った学校も横浜、現在の住まいも横浜な「どっぷり横浜市民」です。