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横浜 沖鶴地区「沖縄タウン」ってどんなところ?
横浜と沖縄ってどんな縁?
一部の横浜市民は知っている沖鶴地区。
横浜19番目の区とささやかれていた鶴見区にある「沖鶴地区」。
ここでは、横浜にいながら沖縄を感じられる「沖縄タウン」を紹介するコンテンツです。
横浜 沖鶴地区「沖縄タウン」ってどんなところ?
横浜で沖縄にいる気分を味わえます。
「横浜で沖縄にいる気分を味わえるってどういうこと?」と少し疑問に思うかもしれません。
今回は、横浜にいながら「沖縄」を感じられる、沖鶴地区の「沖縄タウン」についてお伝えします。
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横浜にも沖縄がある!?
鶴見駅から鶴見川に架かる潮鶴橋を渡った場所にあるのが、沖鶴地区です。
なかでも、沖縄出身の方々が特に多く住んでいる地域が「仲通」や「潮田町」となります。
そのため、この辺り一帯が鶴見の沖縄であることから「沖縄タウン」と呼ばれるようになったのです。
鶴見の地元の人でも知られざる場所、横浜観光の穴場となっています。
「沖縄タウン」と呼ばれるようになった歴史
横浜市のサイトをみると「沖縄タウン」と呼ばれるようになった理由は、次のようになっています。
横浜・川崎は、明治期、横浜の鶴見区に、浅野財閥の創始者で、京浜工業地帯の生みの親と言われる浅野総一郎らが「鶴見埋立組合」(後の東亜建設工業)を設立し事業を開始した。 大正から昭和初期にかけて、今の神奈川区千若町・新浦島町・守屋町、鶴見区生麦・末広町・安善町、川崎市川崎区白石町・浅野町など、横浜・川崎地区に人工島を造成され
京浜工業地帯 – Wikipedia
1920年以降みられた、主に大阪府や神奈川県への出稼ぎ労働者は毎年1万人以上となり[19]、その子孫らは大阪府大阪市大正区と神奈川県横浜市鶴見区に暮らしている
沖縄県の人口統計 – Wikipedia
鶴見区は京浜工業地帯の一角に位置しており、かつて沖縄を中心に全国から多くの人が集まり、工場などで働く人が住む街として発展してきました。現在も区内各地に沖縄の物産展や飲食店が存在し、エイサーなどの伝統芸能の催しが行われています。
沖縄タウンつるみマップ – 横浜市
明治から昭和にかけて第二次産業が盛んで、東京大田区から川崎市や横浜市は工業地帯でした。
特に沖鶴のある鶴見区は浅野財閥により積極的な開発が行われたのです。
そのため、労働力が必要となります。
当時は農業が中心だった沖縄県民が収入を得るために、大阪や横浜に出稼ぎへ上京してきました。
出稼ぎの人々が祖となったことから、横浜の鶴見にこのような街ができたようです。
横浜で楽しむ沖縄体験
鶴見 沖縄タウンへのアクセス
まずは、沖鶴地区にある「沖縄タウン」へのアクセス方法をご紹介します。
最寄り駅である、鶴見駅東口のバスターミナルからバスが出ています。
ちなみに、鶴見駅から沖鶴地区へ徒歩で行くことも可能ですが、約30分かかります。
[バスで行く場合]
・川崎鶴見臨港バス(鶴08)ふれーゆ行「本町通四丁目」バス停で下車
沖縄タウンを散策してみた!
さて、沖縄に関する飲食店やショップは横浜市のサイトを確認すると、鶴見区のあちこちに点在しています。
横浜市鶴見区では「沖縄タウンつるみマップ」という沖鶴地区を含んだ、鶴見区の沖縄について紹介するマップを発行しています。
鶴見区は、区内観光資源のPRやイベントを通じて誘客や地域経済の活性化につなげる「千客万来つるみ」プロモーション事業に取り組んでいます。この事業の一環として、沖縄タウン鶴見を紹介するマップを作成しました。鶴見区内の沖縄系飲食店や芸能団体、イベント、スポットなどを、写真付きで紹介しています。
沖縄タウンつるみマップ – 横浜市
この「沖縄タウンつるみマップ」は、区役所や図書館・地区センター・観光案内所などで配布されています。
横浜市のホームページでも閲覧可能ですので、気になった方は、確認してみてくださいね。
その中でも、特に飲食店などが多いのが「仲通」や「潮田町」です。
定期的にイベントなども開催されているため、足を運んでみてはいかがでしょうか。
実際に行ってみると、沖縄ならではの食品・雑貨を取り扱うショップ「おきなわ物産センター」がありました。
また、沖縄料理を提供する飲食店や沖縄限定飲料の自動販売機まで設置されているのです。
おきなわ物産センターの店内は、とても狭くなっていました。
狭い店内に、沖縄でしか購入できない商品などがところ狭しと陳列されているのが特徴です。
そのため、わざわざ沖縄タウンまで足を運ぶ方も多くいます。
また、この自動販売機が設置されている場所には「おきつる製麵所」という工場がありました。
ここでは、沖縄そばとサーターアンダギーを製造・販売しています。
この工場で製造された沖縄そば(ソーキそば)を味わいたい方は、隣接する飲食店で提供されています。
ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
沖縄料理のおきなわ亭は現在「てぃんがーら」という沖縄そば専門店になりました。
沖縄で有名な「オリオンビール」の提灯がエモい飲食店街には、沖縄に関する掲示がされていました。
特に、沖縄国際映画祭や地元新聞で取り上げられた芸能人に関する内容が多かったです。
鶴見区にいるのに、なぜかこの場所だけ沖縄にいる雰囲気を味わえました。
さすが「沖縄タウン」というだけあって、沖縄そばを味わえるお店は2店舗あるのです。
もう1店舗は「てぃんがーら」から歩いて約1分の場所にあります。
こちらも、イベントと朝ドラの影響でとても混雑していました。
他にも、沖縄の食材を使用した郷土料理やお弁当店もありました。
こちらは、地元の方々が利用するという感じでとても趣のある感じです。
さまざまなお店を巡ってみるのもアリですね。
沖縄タウンがある鶴見区の入船公園では、毎年11月に「ウチナー祭」が開催されています。
ウチナー祭は「鶴見区で沖縄の食と文化にカリーサビラ(乾杯)!」がテーマのお祭り。
「沖縄の食と文化と芸能」が楽しめ、イベントも盛りだくさんで開催されます。
- 沖縄グルメ
- 沖縄出身のアーティストによるライブパフォーマンス
- 沖縄の伝統衣装「琉装(りゅうそう)」の着付け体験
- 三線無料体験教室 など…
入場は無料ですので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。(※飲食代は別途)
※毎年、沖縄出身の人気芸能人の方々がゲストで出演されています。
このように沖鶴地区では、地元以外の方も気軽に足を運べるイベントが定期的に催されています。
この沖縄タウンは、横浜市全体で力を入れていることが伝わってきますね。
鶴見 沖縄タウンが朝ドラ「ちむどんどん」の舞台に!
鶴見区が2022年前期放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」で舞台の1つになりました。
「ちむどんどん」とは、沖縄の方言で「胸がわくわくする気持ち」を意味します。
◆物語
1960年代。まだ沖縄はアメリカ軍の統治下にありました。沖縄本島北部は、「やんばる地方」と呼ばれ、豊かな自然や山林の多い地域。
サトウキビなどの農家を営む比嘉家が暮らしていました。
ヒロインは次女の暢子。家族でいちばん、食べることが大好きで、おいしいものが大好き。
小学生の暢子にとって「遊ぶ」といえば、「何かを採って食べること」。
一度だけ家族そろって町のレストランで食事をしたときに、暢子は生まれて初めての西洋料理に心奪われました。働く母を支えるために
暢子は料理を担います。月日は流れ、高校卒業を迎えた暢子は、「東京に行きたい。西洋料理のシェフになりたい!」と夢を抱きます。折しも1972年、沖縄の本土復帰の年。暢子は家族や兄妹のサポートを得て東京に渡り、念願の有名レストランの厨房で修業をはじめます。職場は東京ですが、下宿先は神奈川県横浜市の鶴見。京浜工業地帯が近い鶴見は、戦前から、働くために海を渡ってきた多くの沖縄出身者が移り住んだ町でした。暢子は厨房で厳しい修業の歳月を送り、
2022年度前期 連続テレビ小説「ちむどんどん」新たな出演者発表~ヒロイン・暢子の家族~ | 連続テレビ小説 | NHKドラマ
さまざまな人とふれあい、恋をして、料理人として成長するなかで、「東京で沖縄料理の店を開きたい」と感じはじめ…。
沖縄タウンのある鶴見区では、動画を作成するなど行政でプロモーション活動が実施されています。
特に、放送に合わせてさまざまなイベントが開催されているのです。
そこで、実際に足を運んで沖縄タウンを散策します。
平日の昼間は静かなエリアですが、イベント開催日は大盛況となっていました。
「おきなわ物産センター」では狭い店内を一周し、飲食店は1時間待ちも当たり前です。
そして、全体でポスター・グッズ販売・旗などをたくさん見かけました。
どのくらい街が盛り上がっているか、とても良く分かりますね。
ちむどんどん 鶴見区公式ムービーを作成しました – 横浜で暮らそう
放送開始後に詳細が分かりましたら、随時情報を更新してまいります。
鶴見 沖縄タウンが「だからよ~鶴見」で映画になりました
ガレッジセール 川田広樹さん主演の映画「だからよ~鶴見」は沖鶴地区にある沖縄タウンを紹介した映画です。
舞台は鶴見仲通商店街。
『だからよ〜鶴見』 予告編 YouTube より
間もなく行われる沖縄角力(ずもう)の大会を知らせるポスターがあちらこちらに貼られている。
通りの中ほどにある沖縄物産を扱う商店で働く琉次が、いつものように配達に出かけようとすると、一人の女性が店へ入ってくる。 その姿を見つめる琉次。商品を手にした女性は店内のポスターの文字を読み「沖縄角力出場者大募集」と独り言のようにつぶやく。 その声に、思わず「出ませんか?」と言ってしまう琉次。笑顔で振り向く彼女。沖縄と南米が交わる鶴見の街で繰り広げられる、沖縄角力と恋と仲間の物語。
いろんな顔を持った横浜
そしてこのコンテンツは鶴見の沖鶴をフォーカスしています。
そんな沖縄が映画になるって嬉しいですね、こんな活動はどんどん応援していきたい! そう考えています。
横浜 沖鶴地区「沖縄タウン」の魅力とは
横浜市鶴見区の歴史が沖縄の人々を呼び寄せ、コミュニティをつくりました。
そして、その鶴見に定住した沖縄の人々によって、作り上げられたのが沖鶴地区や沖縄タウンです。
横浜は、そもそも開港の街で昔から色んな人を受け入れてきました。
同じ日本人ですが、沖縄の人と文化を受け入れてきた「横浜市民の優しさ」。
横浜で住まいを持ち、暮らしていることに誇らしさを感じています。
今は、コロナ禍で「遠出はしたくないけれど、沖縄県に行った気分を味わいたい!」そんな方にもおすすめな街。
週末の散歩に「沖縄タウン」で盛り上がる、横浜 沖鶴地区へ足を運んでみてはいかがでしょうか。