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横浜 鶴見にある「南米タウン」とは?

仲通商店街 潮田町

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横浜 鶴見にある「南米タウン」とは?
「横浜」「鶴見」「南米」…?
謎のキーワードから始まるこのコンテンツ。
横浜 異国情緒とか国際的という言葉を観光する人から聞きますが、横浜の中心である中区以外に海外の文化や人を受け入れる地域があります。
これはひとつの例ですが、鶴見と南米についてご案内します。

横浜 鶴見にある「南米タウン」とは?

横浜の鶴見区には「ここって日本だっけ?」と感じてしまうほど、南米に訪れた気分を味わえる場所があるそうです。
JRの鶴見駅を降りると全くそんな雰囲気はありません。

どこにでもある地方の駅です、駅回りにはバスターミナルと商業施設
「どこに南米?」

さぁ、ここからはディープで魅力溢れる「南米タウン」を、鶴見区民の私がご紹介いたします。
ここでイメージを南米に変えるため、私の南米イメージ写真をひとつ。

鶴見と南米の関係

まず「南米」と聞いて思い浮かべるのは、どんなイメージがありますか?

  • 2016年夏季五輪の開催都市「リオデジャネイロ(ブラジル)
  • 古代インカ帝国の遺跡で世界遺産にも登録されている「マチュピチュ(ペルー)
  • インスタ映えの絶景スポットとして有名な「ウユニ塩湖(ボリビア)」 など…

このように「南米」には、世界遺産など人気観光地が数多くあります。
南米(南アメリカ)に関する説明は、以下の通りです。

南アメリカ(みなみアメリカ、スペイン語: América del Sur、ポルトガル語: América do Sul、オランダ語: Zuid-Amerika、フランス語: Amérique du Sud)は、南アメリカ大陸とその周辺の島嶼・海域を含む地域の総称で、六大州の一つ。南米(なんべい)ともいう。ラテンアメリカに含まれる。西半球、南半球に位置し、西は太平洋に、東と北は大西洋に面している。北アメリカとカリブ海が北西に横たわっている。

南アメリカ人の約50%を占めるブラジルではポルトガル語が公用語であり、ほぼ全ての国民にとって母語でもある。その他のほとんどの国[22]でスペイン語が公用語であり(とはいっても、下記の通りスペイン語を母語としない者も少なくないが)、スリナムではオランダ語、フランス海外領土のギアナがフランス語、ガイアナでは英語が公用語となっている。

南アフリカ – Wikipedia

外務省によると、南米は以下の12か国となっています。

南米地域 – FORTH|厚生労働省検疫所

日本と中南米の関係に関する詳しい内容は、外務省に掲載されているパンフレット「日本と中南米」をご確認ください。
横浜市のサイトをみると「南米タウン」と呼ばれるようになった理由は、次のようになっています。

鶴見区は市内で2番目に外国人人口が多く、特に南米国籍の外国人は市全体の約40%が住んでいます。このため、区内には南米料理を提供するお店が多く存在します。

多文化共生PR動画「千客万来つるみ~南米料理食べ歩記」 – 横浜市

すごいですね、鶴見の4割が南米の人なんです。
横浜というと中華街のイメージがあり、中国の方? と思いますが、鶴見に移動すると、南米になってしまいます。
南米の人がこれだけ多ければ、南米のコミュニティや飲食を提供するレストランが存在する理由もなんとなきわかります。

明治時代に日本から海外への移住が始まり、多くの日本人が南米へ移住しました。
また、沖縄からも南米へ、そして鶴見に…京浜工業地帯への仕事を求めて移り住みました。
そして、時代は平成に移り、「出入国管理および難民認定法」が改正・施行され、日系三世までの人なら、日本で働きやすくなりました。
その結果、沖縄から南米に移住した人の子供や孫が、沖縄から鶴見に移り住んだ親戚などを頼って来日し、鶴見に移り住むようになったのです。

多文化共生PR動画「千客万来つるみ~南米料理食べ歩記」 – 横浜市

南米と日本の関係、歴史を紐解くと明治時代になります。
日本が南米へ移住したタイミングで、京浜工業地帯が開発されました。
明治は日本が変わりつつある時代であったので大きな時代の流れを感じますね。

横浜・川崎は、明治期、横浜の鶴見区に、浅野財閥の創始者で、京浜工業地帯の生みの親と言われる浅野総一郎らが「鶴見埋立組合」(後の東亜建設工業)を設立し事業を開始した。 大正から昭和初期にかけて、今の神奈川区千若町・新浦島町・守屋町、鶴見区生麦・末広町・安善町、川崎市川崎区白石町・浅野町など、横浜・川崎地区に人工島を造成され、同時に運河が掘られた(これらを隔てていた運河は後に埋め立てられ、現在では陸続き)その後も土地の不足により、神奈川区出田町・恵比須町・宝町、鶴見区大黒町・末広町が埋め立てられる。埋め立てを行っている間にも様々な企業が集積し、工業地帯として発展を続けていった。

京浜工業地帯 – Wikipedia

明治から昭和にかけて第二次産業が盛んになり、東京大田区から川崎市や横浜市は工業地帯、特に鶴見区は浅野財閥により積極的な開発が行われました。
そのため、労働力が必要となり、当時から徐々に浸透し始めていた海外移住によって、南米国籍の外国人が収入を得るために横浜へ出稼ぎとして移住してきました。
出稼ぎの人々が祖となり、今でも世代を超えて住み続けているため、横浜の鶴見にこのような街ができたようです。

現在の鶴見「南米タウン」を歩く

「南米タウン」は、鶴見駅から鶴見川に架かる潮鶴橋を渡った「仲通商店街」にあります。
「仲通」や「潮田町」の地区一帯が「沖縄南米タウン」と呼ばれています。
「潮田町」や「沖縄タウン」については、別のコンテンツでもお伝えしていますので、こちらのあわせてご覧ください。


商店街の入口から、南米を感じさせる看板が出ています。
商店街を歩いていると、南米料理を提供するレストランやショップなどが多数あります。

このショップでは、食品やスパイス、日用品などを取り扱っていますが、南米から商品を直輸入しているため、わざわざここまで足を運ぶ外国人のお客さんも多いようです。

取材で訪れた際も、ポルトガル語やスペイン語が多く聞こえてきました。
このようなことから「南米タウン」を感じることができました。

以前の「南米タウン」は、南米料理を提供する飲食店が20店舗以上あり、とても賑わっていました。
しかし、ここ数年で10店舗以下になってしまったこともあり、現在の「南米タウン」は10年前に比べて雰囲気も大きく変わっていました。

ブラジル料理レストラン「パライゾ ブラジル」

鶴見区民が感じる鶴見「南米タウン」について

鶴見区民歴20年以上の私は、この「南米タウン」へ行くのが初めてでしたが、とても楽しい雰囲気で親しみやすい街でした。

横浜は、江戸時代から開港の街としてさまざまな人や文化を受け入れてきました。
その中で歴史とともに、南米からの移住した外国人のコミュニティがつくられたことで、鶴見に国際色豊かな「南米タウン」というものが作り上げられました。

今は、コロナ禍で「海外旅行へは行けないけれど、南米に行った気分を味わいたい!」そんな方にもおすすめな街。
週末の散歩に「南米タウン」へ訪れてみてはいかがでしょうか。

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