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ハマっ子が教える おすすめ横浜発祥グルメとは?

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ハマっ子が教える おすすめ横浜発祥グルメとは?
歴史・グルメ・ショッピング・観光名所など…
1年を通して多くの観光客で賑わう、人気の観光地「横浜」。
流行やトレンドを取り入れて常に最先端の街「横浜」。
しかし、最新トレンドを取り入れる風習は、今に始まったことではありません。
ここでは、魅力溢れる「横浜」が発祥の地とされる食べ物を紹介するコンテンツです。

ハマっ子が教える おすすめ横浜発祥グルメとは?

「横浜発祥グルメ」と言われると「海外から持ち込まれた食べ物が横浜で広まった」という印象が強いのではないでしょうか。
実は「横浜」で独自に誕生し、全国に広まった食べ物も意外と多くあるのです。
そのため「こんな食べ物も横浜が発祥だったの?」という驚きもあるかもしれません。
今回は、横浜市内を巡りながら「横浜発祥」の食べ物についてお伝えします。

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「横浜発祥グルメ」が多い理由と歴史について

そもそも、なぜ横浜は「発祥グルメ」が多くあるのでしょうか。
その歴史は、今から150年以上前の江戸時代にさかのぼります。
日本は当時、江戸幕府のもと鎖国をしていましたが、1859年にペリーによる開国によってたくさんの西洋文化が入ってきたのです。

横浜港の歴史(変遷図、年表)- 横浜市

なかでも横浜は最初に開港したため、海外からたくさんの食べ物が1番早く伝わりました。
そのため、来日した外国人によってもたらされた「はじめて」なグルメが多い街なのです。
その名残として、今でも横浜市内に「発祥グルメ」の記念碑やそれを紹介した案内板がたくさん設置されています。

横浜で味わえる「横浜発祥グルメ」とは?

ここからは、横浜で食べておきたい「横浜発祥の食べ物」を9つご紹介いたします。
現在でも当時のメニューを復刻して提供する店舗は数多くあり、同じ味を楽しめるのは嬉しいですね。
横浜観光のついでに立ち寄り、そのときの気分で食べるか決めても良いかもしれません。
ぜひ参考にしてみてください。

ホテルニューグランド「スパゲッティナポリタン」

まず1つ目は、喫茶店の定番メニューとして有名な「スパゲッティナポリタン」です。
ナポリタンといえば、味付けや具材などが各家庭・店舗によって違うのが特徴です。
ナポリタンが「横浜発祥グルメ」というのは有名なため、知っている方も多いのではないでしょうか。
山下公園からほど近い横浜を代表するクラシックホテル「ホテルニューグランド」の2代目総料理長・入江茂忠氏が考案したメニューです。

当時、ホテルはGHQ(連合国最高司令官総司令部)軍兵士の宿舎でした。
その進駐軍兵士たちは、茹でたてのパスタに塩コショウで味付けし、ケチャップをかけて食べていたそうです。
そんな食事を見て「もっと美味しくできないだろうか」と思いました。

トマトペースト・タマネギ・ハム・マッシュルーム・ニンニクが入ったオリジナルメニューを発案し、誕生しました。
これが「スパゲッティナポリタン」と命名され、今でも変わらず愛され続けています。

【ザ・カフェ】ホテルニューグランド発祥の伝統料理|ホテルニューグランド

この当時の元祖ナポリタンは、ホテルニューグランド内レストラン「The CAFE」で味わえます。
こちらは「横浜発祥の地」を味わう上では、外せない1品です。
ちなみに、ナポリタンには「日本ナポリタン学会」という団体まで存在します。

ホテルニューグランド「プリン・ア・ラ・モード」

次に2つ目は、こちらも喫茶店では定番のデザート「プリン・ア・ラ・モード」です。
こちらも、スパゲッティナポリタンと同様、ホテルニューグランドが発祥とされています。

【ザ・カフェ】ホテルニューグランド発祥の伝統料理|ホテルニューグランド

ホテルは、GHQ(連合国最高司令官総司令部)軍兵士の夫人も宿泊していました。
そのため、夫人が喜ぶ「華やかな見た目」で「満足できるボリューム」スイーツを提供する必要があったのです。
そこで、当時のパティシエがアイスクリームや、アメリカから輸入された果物の缶詰を盛り付けたことが始まりとされています。
プリンアラモードも、ホテルニューグランド内レストラン「The CAFE」で味わえます。

ホテルニューグランド「シーフードドリア」

3つ目は、エビが入ったグラタンソースとチーズがたっぷりの「シーフードドリア」です。
このシーフードドリアは、初代料理長・サリーワイル氏によって考案されたメニューです。

【ザ・カフェ】ホテルニューグランド発祥の伝統料理|ホテルニューグランド

当時、宿泊していたお客様から「体調を崩したため、喉越しのよい料理」という要望から生またそうです。
その際に、提供したのがバターライスに、エビの入ったグラタンソースとチーズをかけてオーブンで焼いた料理でした。
そして、今も変わらず受け継がれ、歴史ある「シーフードドリア」となっているのです。
ここでは、ミニサイズのナポリタンとシーフードドリアがセットになった限定メニューもあります。
そのため、ホテルニューグランドでは「横浜発祥グルメ」を一度に2品味わうことができるのです。

また、横浜高島屋8階のローズダイニングには、ホテルニューグランドの直営店「ル・グラン」があります。
ここでは、特別メニューとして「スパゲッティナポリタン/シーフードドリア/プリン・ア・ラ・モード」の3品を一度に食べられる「ブルーライトセット」が提供されています。
1日15食限定メニューですが、一度に少しずつ「横浜発祥グルメ」を食べたい方にはおすすめです。

【ル グラン】ニューグランド物語 ~伝統の3品~|ホテルニューグランド

ウチキパン「食パン」

4つ目は、ここ数年で専門店が続々とオープンするなどブームが来ている「食パン」です。
元町ショッピングストリートにある、横浜で1番古いパン屋「ウチキパン」。

元町ショッピングストリート

外観は手書き風の看板がレトロで可愛く、店内は昔ながらのパン屋さんという感じでところ狭しとパンが並んでいました。
店内に座席はないため、テイクアウト(持ち帰り)のみです。
ここが「横浜発祥グルメ」として、日本で最初に食パンを販売したお店と言われています。

ウチキパンは、初代打木彦太郎が明治21年(1888年)、元町にて『横浜ベーカリー宇千喜商店』として創業を開始した、長年皆様に愛されている老舗のおいしいパン屋です。

横浜元町ウチキパンのオフィシャルサイト より

1862年にイギリス人のパン職人・ロバートクラーク氏がイギリスパンを製造する「ヨコハマベーカリー」が設立されたのが始まりです。
このお店は、イギリス人船員向けにパンを販売していました。
当時の本場・イギリスでは、山型の角型食パン「イギリスパン」が主流だったのです。
そのため、現在の日本にある食パンは、この「イギリスパン」が元祖と言われています。

このお店で修行をしていた打木彦太郎氏が、1888年に暖簾を受け継ぎました。
そして、1899年に「横浜ベーカリー宇千喜商店」として創業し、現在の「ウチキパン」となったのです。
看板メニューの食パン「イングランド」は、現在も伝統の製法で作られているイギリスパンとなっています。
最高級の小麦粉を使用し、じっくり低温発酵させて焼き上げたパンは、ふんわりと香ばしく、もっちりした食感が魅力です。
ウチキパンでは、甘いパンから惣菜パンまで約60〜70種類があります。
他にも「桜あんぱん/アップルパイ/キーマカレーパン/ライブレッド」が人気です。
天気の良い日には、買って来たパンを近くの「元町公園」や「山下公園」で頬張り、至福のひとときを楽しんでみてはいかがでしょうか。

山下公園

太田なわのれん「牛鍋」

5つ目は、横浜発祥グルメの代表であり、文明開化を象徴する料理「牛鍋」です。
調理方法や具材などが「すき焼き」と似ているけれど、あまり有名ではない「牛鍋」。
広辞苑には「すき焼き」と「牛鍋」では、このような違いがありました。

「すきやき【鋤焼】」
牛・鳥肉などに葱ねぎ・焼豆腐などを添えて鉄鍋で煮焼きしたもの。
維新前まだ獣肉食が嫌われていた頃、屋外で鋤の上にのせて焼いて食べたからとも、肉をすき身(薄切り)にしたからともいう。

「ぎゅうなべ【牛鍋】」
牛肉を野菜などと鍋で煮ながら食う料理。明治時代行われた、現在のすきやき風のもの。
うしなべ。

広辞苑 より

すき焼きの調理方法は、肉を焼いた後に割り下などのタレで野菜を加え「煮焼き」します。
(※関東風と関西風で味付けが少し異なります)

一方で牛鍋の調理方法は、はじめから牛肉・野菜・割り下を一緒に入れて「煮込み」ます。
このように「すき焼き」と「牛鍋」では、調理方法が異なるのです。
そもそも、牛肉は横浜港が開港した当時、外国人居留地の外国人が食べていたことを真似して食べ始めたことがきっかけです。
しかし、その当時は牛肉に馴染みがなく、食べ慣れていませんでした。
そのため、牛肉独特の臭みを消して食べやすくするために作られたのが牛鍋です。
醬油や味噌などで煮込むという調理方法を試したところ、とても美味しく大流行したことが始まりとされています。

この牛鍋を考案したのが、1868年創業の横浜にある牛鍋屋「太田なわのれん」です。
サイコロ状のぶつ切りにした牛肉・味噌・ネギを入れ、特製の底の浅い鉄鍋を七輪で煮込む調理方法となっています。
これは、初代の考案した味が守り続けられているため、現在もお店で味わえるのです。

お品書き|横浜元祖牛鍋・太田なわのれん

また、牛鍋の老舗には、明治時代創業「荒井屋」や「じゃのめや」などの名店があります。
この2店舗は、当時に食べられていたサイコロ状のぶつ切りのお肉ではなく、すき焼きに使われる薄くスライスされたお肉が使われています。
ぜひ、お店へ足を運んで「文明開化の味」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

荒井屋「牛鍋の始まり~文明開化とともに~」看板より

YOKOHAMA BASHAMICHI ICE「アイスクリーム(あいすくりん)」

6つ目は、子どもから大人まで大好きな「アイスクリーム(あいすくりん)」です。
今では、店舗によってフレーバーとアレンジがたくさんあるのが特徴です。
しかし、日本に入ってきた当時は、バニラ味1つだけで作り方も簡単なものでした。

日本人とアイスクリームの出会いは、江戸時代末期のこと。幕府が派遣した使節団が訪問先のアメリカで食べたのが最初で、そのおいしさに驚嘆したと言われています。

そして明治2(1869)年6月(新暦7月)、町田房蔵なる人物が横浜馬車道通りで氷と塩とを使用して、日本人として初めて、アイスクリーム「あいすくりん」の製造販売を始めました。

この「あいすくりん」は牛乳、卵、砂糖で作った今に言うシャーベットのようなものと思われます。

日本アイスクリーム産業の歴史|農畜産業振興機構

この明治時代に発売されていた「あいすくりん」は、現在も出来立てで味わえます。
横浜赤レンガ倉庫1階の「YOKOHAMA BASHAMICHI ICE」で、当時のアイスクリームが現代風にアレンジ・再現されているのです。

そして、日本アイスクリーム協会では5月9日を「あいすくりーむの日」に制定しています。
そのため、馬車道商店街では毎年5月9日に「あいすくりーむ発祥記念イベント」が行われます。
イベントで1番の催しは、訪れた先着5,000名の方に「馬車道あいす」を無料でもらえることです。
この2か所が気になる方は、是非とも足を運んでみてくださいね。

また、タカナシ乳業株式会社では、カップアイスとアイスもなかがセットになった「横濱馬車道あいす」が販売されています。
こちらは公式オンラインショップで、全4種類のフレーバーを取り扱っており、自宅からも購入可能です。
「横浜まで行けない」という方も、気軽に味わえるのは嬉しいですね。
この商品は、横浜市内の一部店舗やコンビニでも購入できます。

不二家レストラン横浜センター店「ショートケーキ」

7つ目は、誕生日やクリスマスのお祝い事には欠かせない「ショートケーキ」です。
イチゴと生クリームがデコレーションされたショートケーキは、日本で誕生したものとなります。

1922年、不二家の創業者・藤井林右衛門氏によって考案されました。
発売当時、海外にはパンの間にイチゴを挟み、クリームがデコレーションされた「Biscuit(ビスケット)」というものがありました。
ショートケーキは、これを柔らかいスポンジに変えて日本人向けに改良された商品です。

Q.「ショートケーキ」の名前の由来は何ですか?

A.short cake(英)

スポンジケーキをソース等と組み合わせたケーキやビスケットなどの総称です。語源としてはお菓子の原料であるショートニング(shortening・油脂)に由来するという説など、諸説あります。英語の「short(ショート)」には「サクサクする」「ぼろぼろする」という意味があります。

「ショートケーキ」の名前の由来は何ですか?- お客様窓口|株式会社不二家

そして、中区にある不二家の横浜センター店(旧:伊勢佐木町店)で誕生し、発売されました。

そのため、ショートケーキは、海外は主流でない日本生まれ「横浜発祥」の洋菓子ということになります。
ちなみに、日本で初めてクリスマスケーキを発売したのも不二家なのです。

不二家横浜センター店のある伊勢佐木町は、別のコンテンツでもお伝えしています。
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清水屋「トマトケチャップ」

そして8つ目は、食材の味付けに欠かせない調味料「トマトケチャップ」です。
実は、そのトマトケチャップも海外から入ってきたものではありません。
そんなトマトケチャップの発祥となった場所が、神奈川区「新子安」にあります。

京急新子安駅の南側・国道15号線沿いにあるのが「トマトケチャップ発祥の地」の記念碑です。
知らないとスルーしてしまうほど、ひっそりと建っていました。
赤色の御影石で作られた記念碑は、トマトケチャップにちなんで作られたのでしょうか。

記念碑の近くには「西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと」というタイトルで案内板が設置されていました。
私は「新子安で西洋野菜の栽培なんてできるの?」と疑問に思いました。
新子安は海側にあるため、西洋野菜を栽培するには適していない場所だったからです。
しかし、案内板によると「トマトケチャップ発祥の地」となった歴史が以下の通りです。

1859年(安政6年)の横浜開港によって、日本へ一気に西洋のもの、人、文化が流れ込んできました。今では私たちが当たり前のように目にしているキャベツやトマト、セロリ、カリフラワー、ビート、ラディッシュ、アスパラガス等は日本へ入ってきたのも、この頃のようです。

子安で西洋野菜栽培が始まったのは、1866年(慶応2年)頃。子安村の堤春吉が外国船に食材などを納めていた倉田政吉からセロリ、カリフラワー、ビート、ラディッシュ、玉ネギなどの種を譲り受け、子安村の人々とともに西洋野菜栽培を始めたそうです。
子安村は東海道に面しており、開港に伴う新しい人、もの、情報が行き交う場所。東京と横浜の中間地点で二大消費地への出荷が容易だったことに加え、西洋野菜栽培に適した土壌と人々の栽培研究努力から、子安村での西洋野菜栽培はどんどん盛んになっていきます。明治時代半ばには子安村の栽培農家は80戸程まで増加し、

1911年(明治44年)頃には鶴見川境から神奈川境までの「子安西洋野菜」作付面積は50ha近くになりました。

西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと – トマトケチャップ発祥の地記念碑案内板より
西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと – トマトケチャップ発祥の地記念碑案内板より

日本における歴史

国産製品は1896年(明治29年)に横浜で清水與助が創業した清水屋が、1903年(明治36年)に製造販売を開始したという記録が横浜開港資料館所蔵の資料に残っており、これが最初の国産ケチャップであると考えられる[13]。この清水屋ケチャップは、1913年に南区で開かれた勧業共進会で銅賞を受賞し、宮内庁御用達にもなったという。

ケチャップ – Wikipedia

トマトケチャップは、海外から入ってきた西洋野菜を使用して、横浜にあった清水屋が販売したことが始まりです。
当時、日本で最初に発売された清水屋トマトケチャップは、ハイカラなパッケージとデザイン性の高い瓶が目を引くオシャレな商品だったそうです。
その一方、大正初期に子安周辺が京浜工業地帯に変化したことで栽培環境が一変します。
また、現在でも有名なカゴメ株式会社が家庭用にトマトケチャップを普及させました。

そのため、このような理由から日本初と言われた清水屋のトマトケチャップは、ひっそりと姿を消していったのです。
しかし、約100年後の2007年に横濱屋本舗は、幻となっていた清水屋トマトケチャップを当時のパッケージで復刻させました。

清水屋トマトケチャップシリーズ – ヨコハマ・グッズ001 横浜のおみやげ

現在は、有機認証の原料を使用する「トマトケチャップ」や「旨辛のハバネロトマト」、具材入りでパスタに和えるだけの「横濱ナポリタン」などがラインナップに加わり、販売されています。
こちらの商品は、横濱屋の店頭やオンラインショップで購入可能です。

トマトケチャップに関する内容は、別のコンテンツでもお伝えいたします。
こちらもあわせてご覧ください。

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KIRIN「ビール」

最後の9個目は、大人の飲み物「ビール」です。
横浜・山手に「麒麟麦酒発祥の地」となった場所があります。
みなとみらい線「元町・中華街駅」から徒歩約15分の「キリン園公園」です。
あまり目立つこともなく、歴史を知らなければ、通り過ぎてしまう公園となっています。

公園を入ると、左側に「麒麟麦酒開源記念碑」と書かれた大きな記念碑が建っていました。
記念碑には、日本で「麒麟麦酒発祥の地」となった歴史について説明されています。

1870(明治3)年、アメリカ人ウィリアム・コープランドは横浜・山手にビール醸造所 スプリング・バレー・ブルワリーを設立し、日本で初めて産業として継続的にビールの醸造・販売を行いました。コープランドはその功績から、「日本のビール産業の祖」と呼ばれています。

1885(明治18)年、スプリング・バレー・ブルワリーの建物と土地は日本在住の外国人経営の会社ジャパン・ブルワリーに引き継がれ、1888(明治21)年に「キリンビール」が発売されました。そして、1907(明治40年)、ジャパン・ブルワリーの事業を引き継ぎ麒麟麦酒株式会社が創立。1923(大正12)年の関東大震災まで、この地においてビールを醸造しました。

麒麟麦酒開源記念碑記念碑 案内板 より

この場所で、1870年にウイリアム・コープランド氏がブルワリーを始めたのがきっかけです。
それは、日本で初めて継続的にビールを生産する醸造所でした。
それが、現在のキリンビールの歴史となっています。 

南側エスカレーターを上がる壁にある「ビール工場」写真

ここが、世界的にも有名なビール会社「キリンビール」発祥の地なのです。
地元の方々には有名ですが、グローバルな日本企業の発祥の地ということは、あまり知られていません。
そして、ここに訪れたら一緒に見て頂きたいのが「ビール井戸」です。
ビール井戸は、キリン園公園に隣接する横浜市立北方小学校の敷地内にあります。

知らない方は、通り過ぎてしまうほどひっそりと残っていました。
もちろん、この井戸からビールが湧いて出てくるなんてことはありません。
では、なぜレンガでできた古い井戸が「ビール井戸」と呼ばれるようになったのか…。
「ビール井戸」と呼ばれる由来は、今から200年以上前の明治時代にさかのぼります。

この地に日本で最初のビール工場が建設されました。いま校庭になって いるところには清水のわき出る池があって、キリンビールは1888年からここでつくられて いました。そのころは横浜市の水道がまだここまで引かれていなかったので、 井戸水を使ってビールがつくられました。この井戸は1895年から1901年までビールづくりに使われたものです。

ビール井戸 記念碑より

実は、1895年からビールを作るために使う水を汲み上げる井戸だったそうです。
しかし、上下水道が整備され、井戸が利用されなくなった現在は、蓋がされていました。
1800年代にこの地でビールが作られたのは、この頃からこの山手や元町周辺には外国人が多く住んでいたからでしょう。

山手十番館

横浜 山手のキリン園公園 – 横浜で暮らそう

横浜 山手のキリン園公園横浜市中区に「キリン園公園」という場所があります。キリン園公園の周辺は、他にも「キリンビール発祥の地」や「インターナショナルな街」の一面があるのです。今回は、山手エリア周辺を散策しながら、街の魅力についてお伝えします。横浜 山手のキリン園公園横浜 山手からほど近い、横浜市中区千代崎町1丁目に「キリン園公園」という、さほど大きくない公園があります。この公園、歴史を知らなければ立ち止まることもないそんなに目立つ派手な公園ではありません。そんなに大きい公園でないのに、大きい石碑...
横浜 山手のキリン園公園 - 横浜で暮らそう

今回は「麒麟麦酒発祥の地」についてお伝えしましたが、キリンビールは工場見学も実施しています。
横浜にあるのが、京急線「生麦駅」から徒歩約15分の「キリンビール横浜工場」です。
駅からの道中には看板や黄色の旗が出ているため、初めて訪れる方も迷うことはありません。
2016年にリニューアルしたことで、工場のある建物全体はスタイリッシュになりました。
なんと言っても1番の見どころは、ビールの工場見学ツアーができることです。
キリンビールの人気商品である「一番搾り」が完成するまでの過程を楽しく見学できます。
見学内容は、麦汁の飲み比べ・麦芽の試食・ホップの香りを体験できるほか、工場設備や映像を使用したガイド付きとなっています。
工場見学における全体の所要時間は、約80分です。

工場見学へ訪れる際には、事前にホームページにて予約をしてから行くことをおすすめします。
見学の入場料や参加費などは一切かからず、すべて無料で楽しめます。
見学を終えた最後には、お待ちかねの「ビール試飲」があります。
ここでは、定番から新商品まで6種類ほどのビールが用意されているのです。
もちろん、ビール以外にジュースやお茶が用意されているため、お酒が苦手な方でも楽しめます。
この試飲では、最大でグラス3杯とおつまみが付いているため、かなりお得な工場見学となっています。
また、お土産を購入できる「KIRIN FACTORY SHOP」も併設されています。
ここでは、工場でしか手に入らない限定商品を販売しているため、要チェックです。
そのため、家族連れでも1日中楽しめる人気スポットになっています。

緑豊かな庭園に囲まれている敷地には、ビールと一緒に料理を堪能できるレストランが併設しています。
ここでしか味わえないKIRINビールが楽しめる、バーベキュー食べ飲み放題の「レストラン ビアポート」や、クラフトビールが楽しめるレストラン「スプリングバレーブルワリー横浜」もあります。
工場見学後は、ショップでお土産を購入しても良し、レストランでビールや食事を思う存分楽しむも良し、庭園を散策するも良しです。
キリンビール横浜工場で「学ぶ・楽しむ・食べる」が一度に味わえるのは嬉しいですね。
ビール好きな方には、おすすめスポットとなっています。
時間のある方は、こちらもあわせて行ってみてはいかがでしょうか。

地元民が語る!生麦の由来と治安 – 横浜で暮らそう

地元民が語る!生麦の由来と治安横浜には18の区があり、みなさんは「横浜」と聞いてどんな場所を思い浮かべますか?みなとみらい21地区 横浜中華街 横浜赤レンガ倉庫 山下公園 など…これらの観光名所は有名で話題になりがちですが、他にも魅力ある街がたくさんあります。ここでは、横浜市鶴見区にある「生麦」を紹介するコンテンツです。地元民が語る!生麦の由来と治安「生麦ってどんなところ?住みやすいまちなの?」「早口言葉で『生麦・生米・生卵』って聞いたことがあるけれど、生麦という地名に何か関係はあるの?」横浜市民でも...
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横浜観光で「横浜発祥グルメ」を味わおう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで「横浜発祥」の食べ物と、その歴史についてお伝えしました。
1日で「横浜発祥グルメ」を味わうなら、横浜市中区からスタートするのがおすすめです。


「横浜発祥グルメ」のほとんどが、今では当たり前ように食べているものばかりでした。
なお「横浜発祥グルメ」は、横浜へ行かなくても手軽に購入できる商品があります。
ゲットして、おうちで「横浜発祥グルメ」を味わうことから始めてみるのもアリかも…。
観光がてら「横浜発祥の地」を巡ることで、新たな発見ができるかもしれません。
いつもとはひと味違った、横浜観光を満喫してみてはいかがでしょうか。

横浜 20年以上 住んで感じた街の魅力 地方出身者目線 – 横浜で暮らそう

横浜 20年以上 住んで感じた街の魅力 地方出身者目線本日もこのコンテンツをご覧いただきありがとうございます、このコンテンツは横浜で暮らそうの中でも人気のある内容のひとつ横浜 住んで感じた街の魅力 ! 浜っ子になり横浜都民でもある私が、このコンテンツを随時更新していきます!現在でも横浜に住んでいる私が横浜の魅力を随意発信してまいります。2024年 横浜 暮らし 20年以上の私が伝えるコンテンツです。横浜 20年以上 住んで感じた街の魅力 地方出身者目線横浜 20年以上 住んで感じた街の魅力 地方出身者目線私は1993年に...
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横浜で住むなら何区がいい 横浜18区から厳選 – 横浜で暮らそう

横浜で住むなら何区がいい 横浜18区から厳選ここのコンテンツは個人的見解。2020年4月に公開された記事ですが、2022年9月16日にはさらに書き加え毎年不定期に更新しています2024年も3月引っ越しシーズンです。さて、皆さんは新しい住まい見つかりましたか?ここのコンテンツは、あらたな横浜で住まいを探す事前知識としてこのコンテンツをご利用いただけると幸いです。それでは本題横浜といえども広い、横浜市民ではない方が感じる横浜はみなと地区横浜で都内に通勤する人の多くは北部の港北ニュータウン地区の横浜。昔ながらの横浜は...
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