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平沼橋駅近くにある水天宮平沼神社

平沼橋駅

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平沼橋駅近くにある水天宮平沼神社
平沼という街については横浜で暮らそうの中でいくつもコンテンツ化されています
今回は平沼という街ではなく、平沼橋駅の近くにある神社についてご紹介いたします

平沼橋駅近くにある水天宮平沼神社

相鉄線 平沼橋駅は、横浜駅から1駅という場所にあるため、横浜駅から歩ける距離にあり、平沼橋駅北側へ出ると「岡野」という街があり、
南側に出ると「平沼」という街があります。
その平沼にある代表的な神社が…

平沼橋駅南にある神社

平沼橋駅南側に出てすぐ見えるのがこの「水天宮平沼神社」です。

1839年(天保10年)に平沼新田の守護神として創建されたそうです。

この平沼新田は塩田だったらしく、海からの恵みを受けていたそうです。

現在は埋め立て・開発が進み、どんどん海はこの平沼橋からは離れて行っていますが、帷子川は現在もありますね。

水天宮という名称を見るとわかる通り、「水の神」なのですが、安産・子宝祈願であったり、子供を守るという神社です。

ですので、季節になるとお宮参りなどの方々も多く見られます。

神社の中に入ると「水天さん」という像が立っています。

像の横に「水天さんは九つの龍を操って水を自在に司さどる女神です」と書いてあります。

現在の氏子地域は「西区 平沼・西平沼町・高島・緑町・みなとみらい」となっていることから、現在は海の恵みを受けて・・・というより水害がないようにという願いが込められているのだと思います。

ただ関東大震災の時、第二次世界大戦の時、近所の火事の時にも燃えなかったことより、火難除けとしても崇められているようです。

平沼橋駅の今と昔

現在は相鉄線の駅

「平沼橋駅」とは、横浜駅の隣の駅で、現在普通列車のみが止まる駅です。

最近駅周りがきれいに工事されたため小さな駅ではありますが、写真の通りとても便利になっています。

昔は国鉄の駅だった平沼駅

相鉄線 平沼橋駅を降りて、南側に降りてくると、上の写真のような案内ポールが立っています。

1901年(明治34年)から旅客用の駅として設置され、1915年(大正4年)に高島町に2代目横浜駅ができるまで平沼駅として使われていたそうです。

その当初は現在より東寄りに駅があったとのこと。

その頃は、まだ未開発の場所だったそうです。確かにこの案内ポールの汽車の写真には、大きな建物は写っていませんね。

横浜駅が歩んできた三代の歴史とは? – 横浜で暮らそう

西区 平沼の街

平沼のお弁当屋 寿軒

平沼の街というとどんな印象を持つか。

マンションが多いということと、小さい会社がポツポツあるな…というイメージです。

ですので、お昼時になると昼間はワイシャツ姿のサラリーマンや作業着を着ているエンジニアさんなどが近所のお弁当屋さんやコンビニなどを買いに出てきたりする姿が見えます。

日蓮宗 久成寺

平沼では「水天宮」が有名なのですが、お寺もあります。

「平沼山 久成寺」というそうなのですが、明治の初めの方にできた鬼子母神堂なんだそうです。

お寺の敷地に入ってすぐのところにお地蔵さんのような小さい「浄行菩薩像」があります。

こちらも安産・子育てを祈るということで、水天宮と共通するところがあるのでしょうか?

短期間のみ存在していた平沼駅

以前あった平沼駅

平沼橋駅の方から平沼一丁目交差点に向かうと、京浜急行の線路が見えてきます。

そこに不自然に線路より広く設けられた場所があります。

実はここ「平沼駅」という駅があり、その跡地なんだそうです。

1931年(昭和6年)に開設し、同社の大東急併合により湘南線の駅となるが、太平洋戦争中の1943年6月に営業を休止。翌1944年11月に廃止された。1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲で被災し、残存施設が壊滅的な被害を受けた。

1999年(平成11年)まで架線柱の代用となっていた状態であったことと戦禍を後世に伝えるために現在の線路上を跨ぐ形で鉄骨の屋根の跡が残されていたが、老朽化により崩れる危険が出てきたことから撤去された。

wikipediaより

私はまだその鉄骨があった記憶があります。

戦争を知らない私たちですが、まだ戦争で変えられた姿の記憶は残っています。後世に伝えるということは、そういうことなのかもしれません。

平沼商店街

平沼にも商店街があります。

平沼一丁目の交差点から一本西側の通りです。

商店街というと色々な商店が連なっていたり、飲食店が連なっているという場所をイメージすると思いますが、残念ながら現在はそこまで栄えた商店街ではありません。

現在は過去店舗だったお店もシャッターが閉まったままになっていたり、マンションに建て替えられてしまったりして既にお店でもなくなってしまっている場所もあります。

ですがここ近年、飲食店もまた少しずつ増えて来ています。

この周辺は、JR東日本の横浜支社が近くにあったり、中央郵便局の配達員さんたちが並ぶお弁当屋さんや飲食店もありますので、ランチタイムになるとスーツ姿や制服姿の方々がお昼ご飯を調達にきます。

上の写真もその頃の写真です。

とても盛り上がっている「松原商店街」などとはちょっと違いますが、飲食店も個人店で、お店の面積もそう広くないお店が多いので、横浜駅周辺のざわざわしたところで、食事をしたくない、飲みたくない方は平沼商店街のお店に行くのもいいかもしれません。

商店街が古いだけに、老舗のお店もあります!

平沼商店街の名物

角平 野菜つけ天

昭和の時代に比べたら少し寂れて来てしまったかもしれませんや、老舗や名物があるんです!

お蕎麦屋の角平さん。1950年創業で70年も営業をしているこのお店。ここでは「つけ天」が名物で、多くの方がつけ天を食べます。

ランチタイムやディナータイムは込み合いますが、座敷席もありますので、土日は家族連れも多く訪れます。

古いお店だけあって、若い方からご年配まで食べに来ています。

他にも、そば・うどんの老舗「田中屋」さんは、1920年創業。もう100年も営業されているお店です。

ここは「カレーうどん」や「きざみ鴨せいろ」が名物で、お店に入ってメニューも見ずに注文する常連さんたちも多いお店です。

その他には、「ほ志精肉店」というお肉屋さんの「チャーシュー」が名物です。

中華街などでも売っているような、外側が真っ赤で甘いタイプのチャーシューで、このチャーシューのファンは結構いるんです。

スーパーなどと違い、夕方には閉店してしまうため、土曜日などに買いに行かないといけないのですが、その価値はあります!

グラム売りなので、明朗会計。

そんな風に考えると、すごく栄えているわけではないですが、細々と支えられている商店街かもしれませんね。

平沼橋とは、横浜駅から1駅でとても便利な場所ですが、意外にも昭和の香りの残る場所なのかもしれません。

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横浜生まれ横浜育ち、通った学校も横浜、現在の住まいも横浜な「どっぷり横浜市民」です。