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横浜駅が歩んできた三代の歴史とは?

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横浜駅が歩んできた三代の歴史とは?
1年を通して多くの観光客で賑わう、人気の観光地「横浜」。
また、横浜は「住みたい街ランキング」で毎年1位に輝く街となっています。
そんな横浜で、乗降客数がもっとも多い駅が「横浜駅」です。
ここでは「横浜駅」の歴史を紹介するコンテンツです。

横浜駅が歩んできた三代の歴史とは?

現在、日本で最も利用されている交通手段の1つが「鉄道(電車)」です。
通勤通学などで利用することの多い鉄道も、明治時代以降に全国へ伝わりました。
日本の鉄道といえば、世界から見ても最高クラスで評価の高い乗り物となっています。
その理由は、狭い大都市で複数の路線が重なることなく、張り巡らされているからです。
また、運行ダイヤも正確で時刻表から1分1秒も遅れることがありません。
そして、何と言っても「安全かつ清潔」であることが1番の魅力だそうです。

相鉄線

特に、日本ならではの光景である「一列になって待つ」なんて海外ではあり得ません。
海外の方々からは「日本の鉄道は世界一」と言われています。
日本の鉄道において、朝の通勤ラッシュ時間帯は不思議な光景のようですが…。
マニアな方は、鉄道に乗車するためだけに海外から日本へ訪れることもあります。

通勤
品川駅の通勤ラッシュ

あまり知られていませんが、日本で最初に鉄道を運行したのは「横浜駅」なのです。
みなさんはご存知だったでしょうか。
そのため、現在では横浜が「鉄道発祥の地」となっているのです。
今回は、数多くの試練を乗り越えて現在に至る「横浜駅」の歴史についてお伝えします。

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横浜駅ってどんなところ?

横浜駅は、横浜市西区に位置する1915年開業の計6路線が乗り入れるターミナル駅です。

  1. JR線(東日本旅客鉄道)
  2. 京急線(京浜急行電鉄)
  3. 東急東横線(東急電鉄)
  4. みなとみらい線(横浜高速鉄道)
  5. 相鉄線(相模鉄道)
  6. 横浜市営地下鉄線(横浜市交通局)

そのため、1駅に乗り入れる路線は「新宿駅」の5路線を上回り、日本一の多さです。
そして、東京都と神奈川県における中心駅。
JR線「横浜駅」は、1日の乗降客数が290,376人で「新宿駅/池袋駅」に次いで3番目に多い駅となっています。
世界で見ても「横浜駅」は5位以内に入るほど、乗降客数が多い駅なのです。
このようなことから「横浜駅」は、利便性と利用者数のどちらも適した駅となっています。

横浜駅 ホーム

一方「横浜駅」は巨大なターミナル駅で、とても広く複雑な構造となっているのが特徴です。
構内を含めて駅全体では、さまざまな工事が行われおり、常に進化を遂げています。
なんと、1915年の開業時から延々と工事が続けられ、いまだにすべての工事が終了していません。
そのため、完成しない駅全体は「日本のサグラダ・ファミリア」とも呼ばれているのです。
現在は、駅ビルおよび駅周辺の大規模再開発事業が2011年から本格的に進行しています。
工事計画の詳細は「エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)」で確認可能です。

JR横浜タワー

人も多く、慣れていなければ迷ってしまう「横浜駅」。
しかし、通勤通学で毎日のように利用していれば、利便性の高い駅だと実感できます。
一括りに「横浜駅」と言っても東口と西口は雰囲気が全く異なるのです。

崎陽軒 本店
横浜駅東口

また、駅周辺にはさまざまな施設が充実しているのも魅力の1つとなっています。
百貨店 地下街 ショッピングモール 飲食店 映画館 など…
実際に、私も横浜市民歴20年以上ですが、何も見ずに「横浜駅」を案内できますよ。
そして、東口と西口は地下街でつながっているため、雨に濡れる心配もありません。

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日本における鉄道の誕生 ~日本人と鉄道の出会い~

現在では、鉄道から派生したモノレールなどの新しい乗り物も登場しています。
ここからは、日本に鉄道が持ち込まれた経緯や誕生までの歴史をさかのぼります。
もともと、イギリスでは蒸気機関を利用した鉄道が実用化されていました。
そして、その鉄道が日本に持ち込まれたのはそれから30年後、日本が開港してすぐの1853年(江戸時代)となります。
当時、長崎に来航していたロシア船に積んで運ばれてきた蒸気機関車の鉄道模型を最初に日本人へ見せたのがはじまりです。

蒸気機関車の模型イメージ

約半年の滞在期間中にロシア人のエフィム・プチャーチン氏が、江戸幕府と開国の交渉を行いました。
その際、日本人をロシア船に招待して蒸気機関車の模型を運転したのです。
このときに走らせた模型は機関士が運転し、子どもが乗車できるほどの本格的な蒸気機関車だったそうです。
ちなみに、日本で初めて客車に乗った日本人は武士の河田八之助氏でした。
子ども向けの乗り物だったため、交渉して客車の屋根に跨り、乗車したそうです。
それが、日本で初めて走った鉄道となりました。
この模型は、2回目のペリー来航で大統領から将軍への献上品として持参されたものです。

その1年後となる1854年には、長崎に続いて横浜でも蒸気機関車の模型が走りました。
これが、のちに「品川駅~横浜駅」間を開通した日本で最初の鉄道の先駆けとなったのです。

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JR 「桜木町」駅はもともと初代「横浜駅」だった!?

まず、初代「横浜駅」についてお伝えします。
日本人が初めて鉄道へ乗車してから19年後となる1872年。
日本初となる鉄道の運行が「品川駅~横浜駅」間で始まりました。
このとき「品川駅~横浜駅」間では、すでに工事が完了していたのです。
そのため、6月12日から仮開業として一足早く運行を開始しました。

RAILWAY STATION AT YOKOHAMA(「横浜写真アルバム」所収)
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そして、その4ヵ月後となる1872年10月14日(旧暦:1872年9月12日)には、区間が「新橋駅」まで延長されます。
「新橋駅~横浜駅」間を走り、そこで初めて本営業となりました。
鉄道開業式が行われた、10月14日を正式に「鉄道の日」と制定しています。
しかし、このときに開業した「横浜駅」は、現在の「横浜駅」と異なるのです。
現在の「横浜駅」は三代目で、1872年に開業したのが初代「横浜駅」となります。
この初代「横浜駅」の駅舎は、現在の場所で言うと、JR線「桜木町駅」にありました。

初代「横浜駅」(明治期)-「横浜駅 記憶の散歩道」案内板より

そのため、日本初の鉄道が「品川駅~横浜駅」で開通したことを示す記念碑がJR線「桜木町駅」から少し歩いたところに建っています。
待ち合わせとして利用されることの多い駅前広場とは反対の南側にあるのです。
記念碑は、もともと1872年に開業した初代「横浜駅」の跡地である「桜木町駅」に建っていました。
しかし、1988年に跡地のあった広場を整備するため、現在の場所へ移設されたのです。
記念碑は気付かれることなく、目立たない場所にひっそりと建っていました。

では、なぜ初代「横浜駅」は、この「桜木町駅」周辺に建てられたのでしょうか。
その理由として、当時の蒸気機関車は大量の煙を吐き出すため、街の中心部を走らせることに住民から反対されたためでした。
そこで、当時は海岸から近かったこの場所に追いやられる形で開業したのです。

二代目「横浜駅」(1882年)-「横浜駅 記憶の散歩道」案内板より

現在は「品川駅~横浜駅」間の中間に「川崎駅」がありますが、当時はまだありませんでした。
開業1か月後に「川崎駅」と「神奈川駅」が開業したのです。
当時は、旅客専用列車として1日9往復のみ、運転時間は53分も掛かっていました。
しかし、当時の鉄道はとても速い乗り物だったのです。
馬車で「品川駅~横浜駅」間を走ると、4時間は掛かる時代です。

横浜商館繁栄之図 三代歌川広重(1842~94)筆 明治4年(1871)
「文明開化と馬の浮世絵」- 公益財団法人馬事文化財団

4分の1程度で行けることもあり、運賃もとても高額で1番安い席が50銭だったそうです。
かけそば1杯5厘の時代に、100杯食べてやっと一番安い席に乗る事ができるほどでした。
その後、1915年に二代目「横浜駅」が開業したことで、現在の「桜木町駅」という駅名へ改称されたのです。
現在のJR線「桜木町駅」周辺は、ロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」など新名所が続々と誕生しています。
江戸時代から進化し続ける「桜木町駅」周辺は、目が離せませんね。

桜木町駅
桜木町駅

この歴史は、JR線「桜木町駅」構内の改札を抜けた正面に解説資料や年表があるのです。
そして、ホームへ上がるまでの階段には、当時~現在の写真が年代別に展示されていました。

JR線「桜木町駅」の新南口(市役所口)から歩いてすぐの場所に「シァル桜木町」があります。
ここでは、旧横濱鉄道歴史展示「旧横ギャラリー」という展示スペースで、実際に使われていた当時の備品が展示されているのです。
外からも目立つ大きな110形蒸気機関車がガラス張りの館内に展示されていました。

JR線「桜木町駅」新南口(市役所口)

これは、イギリスのヨークシャー・エンジン社が1872年に製造したものです。
「新橋駅〜横浜駅」間で実際に使用され、日本で最も古い蒸気機関車の1つとなります。
他にも、JR線「桜木町駅」周辺(明治初期頃)を再現したジオラマや当時の切符などが展示されていました。
JR線「桜木町駅」へ訪れるなら、こちらも要チェックですね。

横浜に誕生するロープウェイ 「YOKOHAMA AIR CABIN」ってなに? – 横浜で暮らそう

二代目「横浜駅」はわずか8年!? 幻の駅舎となった理由

次に、二代目「横浜駅」についてお伝えします。
二代目「横浜駅」は、1915年に現在の国道1号線高島町交差点付近で開業しました。
外観は、レンガ造りでルネサンス様式が用いられた2階建ての駅舎だったそうです。

開業当時、日本で最初の「橋上駅舎」として注目を集めていました。
オシャレな外観の駅舎は、現在も残る「東京駅」にそっくりとも言われています。
確かに言われてみればそっくりですね。

二代目横浜駅跡
二代目横浜駅跡
東京駅

そして、二代目の駅舎ということもあり、食堂や売店などの施設も充実していたそうです。
そもそも、初代「横浜駅」があったにもかかわらず、新たに開業させたのでしょうか。
それは「品川駅~横浜駅」間の開業後に起こった問題が原因でした。
当時、東海道線「横浜駅~小田原駅(旧:国府津駅)」を延伸する際に駅の構造上、スイッチバック方式を取らなくてはいけなかったのです。
そして、その不便を解消するため、短絡直通線の開設や「平沼駅」の開業を行いました。

平沼駅跡
平沼駅跡
平沼駅跡
平沼駅跡

しかし、東海道線が「横浜駅」を通過するような状況になってしまったのです。
さまざまな試行錯誤を重ねたものの、結果的にはより不便となってしまいました。
そのため、新たに二代目「横浜駅」が完成したのです。
不便さを解消するために建てられた二代目「横浜駅」も1つだけ残念なことがありました。
それは、駅の開業した1915年に「高島駅~程ケ谷駅」間に貨物線路が開通したことです。
その貨物線路は、この二代目「横浜駅」駅舎の真ん中を横切る形でレールが敷かれました。
当時、時代の最先端を行くオシャレな駅舎だった二代目「横浜駅」は注目の的です。
そのため、この違和感満載な路線の設計に多くの人々が疑問を抱きます。
オシャレな二代目「横浜駅」の景観を大きく損なうと物議を醸し、問題にまでなりました。

二代目「横浜駅」(大正期)- 「横浜駅 記憶の散歩道」案内板より

では、なぜ「幻の駅舎」となってしまったのでしょうか。
その理由は、開業から8年後となる1923年にさかのぼります。
今までに、誰も体験したことのないほど大規模な災害「関東大震災」が発生しました。

関東大震災を調べる「兵隊山ヨリ展望」 – 横浜市

これによって、開業からたったの8年で駅舎も甚大な被害を受けます。
倒壊は免れましたが、周辺の火災によって駅舎は消失し、外壁だけが残りました。
そのため、二代目「横浜駅」はわずか8年という短い期間で役目を終えた「幻の駅舎」と言われているのです。
このとき、日本最古の駅舎として使われていた「桜木町駅」(初代「横浜駅」)も、関東大震災で焼失します。

関東大震災を調べる「桜木町駅」 – 横浜市

関東大震災後は、焼け残った外壁だけ生かしつつ、トタン屋根で修復した建物を仮駅舎としてしばらく営業を続けていました。
目印は、国道16号線側からも見える茶色のマンション「ロワール横濱レムナンツ」です。

二代目横浜駅の跡にあるマンション
二代目横浜駅の跡にあるマンション

この場所は、横浜市営地下鉄ブルーライン「高島町駅」から約5分です。
近くには「二代目横浜駅遺構(マンション敷地内)」と書かれた青い案内板も出ています。
案内板に沿ってマンション敷地内へ入ると、そこには当時のレンガ造りの駅舎の一部が残っていました。
この「二代目横浜駅遺構」は、横浜市の歴史的建造物にも指定されています。

二代目横浜駅の駅舎遺構
二代目横浜駅の駅舎遺構

少し分かりにくい場所にひっそりと佇んでいる記念碑を、ぜひ探してみてくださいね。
ちなみに、マンション敷地内は公開空地となっているため、いつでも見学可能です。

参考:横浜の鉄道・その歴史 – 横浜市

震災の復興によって完成した三代目「横浜駅」

最後に、三代目「横浜駅」についてお伝えします。
三代目「横浜駅」は、関東大震災でボロボロとなった二代目「横浜駅」に代わる駅舎として、1928年に誕生しました。
開業当初の東口駅前広場は、未整備で地面に砂利が敷かれているだけとなっています。
建物は、鉄筋コンクリートで昭和初期のモダン建築が用いられた2階建ての駅舎です。
内装は、駅舎を入ってすぐの正面に高い吹き抜けや広いコンコースがある造りでした。

三代目「横浜駅」(昭和戦前期)-「横浜駅 記憶の散歩道」案内板より

みなさんは、現在の三代目「横浜駅」東口と西口どちらが正面なのかご存知ですか。
普通に考えれば、施設が充実している西口と答える方が多いと思います。
百貨店 ホテル 地下街 ショッピングモール 家電量販店 映画館 など…
また、駅前にはバスターミナルが併設された広場など正面と思うほどです。

JR横浜タワー
横浜駅西口

しかし、当時の地図に駅舎は最初に東側に完成したため、東口が正面(表玄関)となっていました。
その後、太平洋戦争が勃発による横浜大空襲で、横浜市内は再び壊滅します。
ところが、三代目「横浜駅」はホームの上屋など数か所に被害を受けただけで倒壊しなかったのです。
その後も、1978年に改築されるまでの50年間で駅舎の姿は変わることなく、当時からそのままでした。

ちなみに、1872年の鉄道開通当初から存在し、横浜の玄関口となっていた「神奈川駅」。
ところが、三代目「横浜駅」誕生したことで、あまりにも近かった「神奈川駅」は廃駅となりました。
現在、京急線にも「神奈川駅」という駅が存在しますが、この駅とは異なる駅なのです。

三代目「横浜駅」(1930年頃)-「横浜駅 記憶の散歩道」案内板より
京急線「神奈川駅」

「横浜駅」地下2階の南北連絡通路にも「桜木町駅」同様、歴史を伝える場所があります。
壁には「横浜駅 記憶の散歩道」と書かれ、たくさんの写真が展示されていました。
初代から現在までの横浜駅の歴史が詳しく展示されていました。

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横浜観光で歴代の「横浜駅」へ行ってみよう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、日本の鉄道発祥の地「横浜駅」が歩んできた歴史についてお伝えしました。
少しでも参考になれば幸いです。
現在、鉄道網は日本全国へ広がり、鉄道技術は日々大きな進化を遂げています。
特に、時速320kmで走行できる新幹線の高い技術力は「メイドインジャパン」です。
その技術やノウハウは世界から多くの評価を受けており、海外進出するまでに発展しています。
私たちの生活に欠かせない鉄道も日本における歴史は「横浜」から始まっているのです。
そして、現在で三代目となる「横浜駅」は逆境とともに、多くの横浜市民を見守ってきました。

この歴史は、ぜひとも後世に受け継いでいきたいですね。
足を運ぶことで、知らなかった「横浜駅」の歴史や魅力を再発見できるかもしれません。
いつもとはひと味違った横浜観光として、歴代の「横浜駅」を散策してみませんか。

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