なぜ 横浜は港町と呼ばれるのか
横浜に住んでいると、あまり実感がありません…。
しかし、よく調べると確かに横浜は港町なのです。
なぜ 横浜は港町と呼ばれるのか
この問いに答えられますか?
港町は日本全国あります。
その中でも港町=横浜、横浜は港町だよね、と呼ばれる意味。
ひとつは歴史にあります。
日本で外国に開港をした5港のひとつだから。
もうひとつは経済にあります。
横浜の経済は港に支えられているから。
ここでは、歴史と経済のふたつから横浜を見ていきます。
横浜開港祭 横浜市民がこだわる花火でも有名なお祭り – 横浜で暮らそう
横浜が港になったのは
今の横浜は埋め立てられるまで、海の中であり。
入り江の一部にあった村が、小さな漁村しかありませんでした。
地理的には、今の山下公園あたり。
このころの横浜で重要視されていたのは、今の東海道のある神奈川宿。
そこから外れた場所にある山下公園あたりの漁村は、当時は港として栄えていました。
しかし、六浦や神奈川に比べてとても小さな寒村でした。
寒村(かんそん)とは「生産が乏しく、貧しくさびれた村」のことで、
よほどさびれた場所だったのでしょう。
寒村とは – コトバンクより
https://kotobank.jp/word/%E5%AF%92%E6%9D%91-470680
歴史が動きます。
1858(安政5)年に日本(江戸幕府)はアメリカと日米修好通商条約を締結。
そして日本は、貿易のための港として函館、新潟、横浜、神戸、長崎を指定しました。
アメリカは神奈川宿付近の港として開港をせまりましたが、神奈川宿は東海道があり、日本としては重要な陸路に外国人を入れさせたくなかったため、
寒村である、今の山下公園あたりを横浜の港として指定したと言われています。
休日の横浜は旧東海道で歴史に触れてみよう
日本は、開港の近くに外国人居留地を設置
今の山下公園あたりから関内にかけての場所にあたります。
外国から物資や人が入ってくるようになると、居留地を中心に発展してきます。
結局、日本は神奈川宿にある東海道を横浜港を結ぶ道をつくることとなります。
それが横浜道です。
ざっくりと流れを書きましたが、
寒村だった横浜は、アメリカなどの圧力で開港を迫られたことで、
5港のひとつに選ばれ、当時の日本が神奈川宿あたりへの開港をさけたため現在の場所が横浜港となります。
このあたり一帯のエリアを「横浜」と呼ぶようになりました。
参考:https://www.mapple.net/articles/bk/575/
横浜港が選ばれる理由
横浜港が選ばれる理由として 横浜観光コンベンション・ビューローがコンテンツとしてまとめています。
一部引用です。
親水性の高い港町であること
https://business.yokohamajapan.com/media/ja/travel/why/
優れた交通アクセスであること
便利で刺激的な街であること
豊富な観光スポットであること
革新的な都市であること
幅広い宿泊施設であること
横浜市民“はまっ子であること
この7つの要素の意味は、1858年に開港した横浜
日本の歴史の中では比較的浅い歴史にありますが、開港をきっかけに日本が近代化へ向かいます。
近代化の入口の横浜は、モダンで歴史的な建物があり、首都東京の近くにあるため、鉄道などの交通に恵まれ、都会と開港の歴史が重なり観光スポットになったこと。
多くの人が訪れる横浜は、街が活性化され続けています。
最後にある”はまっ子”というポイント「3日住めばハマっ子」と地元の人が言っています。
これは、どんな人でも受け入れる街だからです。
日本で外国人を積極的に受けれ入れていた、元祖多様性の街という意味です。
横浜港と経済の関係
横浜は370万人都市。
政令指定都市としては国内最大の街です。
その横浜をささえる経済のひとつとして横浜港があります。
横浜港は、市内所得と雇用の3割を占めています。
横浜港に関わる産業は、おもに三種類が基本にあります。
- 物流産業:海運、倉庫、陸運からその周辺の保険、銀行、商社
- 製造業:石油、石炭、鉄鋼から食料品まで
- 観光産業:宿泊、レジャー、飲食など
豊田市が車を軸とした産業都市ならば横浜は港を礎とした多様都市です。
平成29年7月に横浜が発行した「横浜港の経済効果」リーフレットにはさらに詳しく掲載されています。
「横浜港と経済の関係について」は、以下をご参照ください。
港が全てのルーツ「横浜」
日本で初めて港を開いた町「横浜」
港が中心にヒト・モノ・カネが動いた「横浜」
古くは通過点であった横浜が港を入口として日本を発展させました。
港が全てのルーツ「横浜」
お時間のある時に、山下公園から関内駅に向かって歩いてみてください。
港町横浜を感じることができますよ。