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黄金町って住みやすい?

黄金町駅

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黄金町って住みやすい?
ここでは、横浜の下町 関外にあたる街のひとつ「黄金町」について黄金町の由来を、昔と今を織り交ぜて伝えます。
横浜の闇っぽいイメージですが下町としてどのような魅力があるのか黄金町在住の方が描いた黄金町コンテンツです。

黄金町って住みやすい?

黄金町は、海側・横浜市内の中心部に位置しています。
横浜市中区は、横浜観光の定番「横浜赤レンガ倉庫」「山下公園」「横浜中華街」などがあるのも特徴です。

横浜赤レンガ倉庫
横浜赤レンガ倉庫
山下公園
山下公園
横浜中華街 朝暘門
横浜中華街

黄金町は、京急線で「横浜駅」から2駅の「黄金町駅」が最寄り駅となります。
この黄金町駅周辺は、地元の方々によって、ここ10年で進化を遂げているエリアです。
今回は、移り行く時代の中で地域再生に力を入れ、進化を遂げる「黄金町」についてお伝えいたします。

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黄金町の歴史

地名を耳にしたときの反応が二極に分かれる不思議な町、黄金町。その秘密は、黄金町の歴史にあります。

路地裏 当時はここまでではありませんが暗いイメージでした(素材:ぱくたそ

昭和の時代、黄金町界隈は、関東一の青線地帯と呼ばれていました。
青線とは、飲食店の営業許可しか持たないのに実態は売春宿、という店を意味します。赤線地帯という言葉は耳にしたことがある方も多いと思いますが、売春防止法の施行に伴い、昭和33年(1958年)に赤線が廃止されるまでは、赤線は合法であるという認識があった一方で、青線は非合法営業をしていたのです。

黄金町の近年を追うと、東日本大震災の起こった平成23年(2011年)までは、黄金町界隈は、外国人による風俗街だったといえます。
全盛期には京急線の高架下の小さな店舗は100にも及んだと言われており、それらが高架改修工事のため立ち退きしたあとも、24時間営業の店が多く存在しました。

黒澤明監督の映画「天国と地獄」は舞台が横浜
地獄にあたる麻薬街はのロケ地はここ 菅井きんさんが麻薬患者を演じていましたね。

黄金町の由来とは?

現在の黄金町に町名が変化したのは、1869年です。

元々は久良岐郡太田村の内で、1869年に黄金町が成立した。哲学書『淮南子』(えなんじ)の「清水有黄金金龍淵有玉英」の一節から町名を採ったとされる。かつては水田であった関外地区も、明治時代にもなると横浜の中心部、関内地区の発展に伴って都市化が進んだ。

黄金町 – Wikipedia

明治の中頃には、大岡川に加えて吉田新田内の水路などの河川網が、関内・関外地区をめぐり人や物を運ぶ重要な輸送路として確立した。川を航行したのは主に、石材、木材などの建築資材をはじめ、石炭、食料品、肥料、生活用品などさまざまな貨物を扱う艀(はしけ)と呼ばれる無動力の小型運搬船であった。艀にはいろいろな種類があるが、1890年前後(明治23年前後)から、堅固で多くの貨物が運べる達磨(だるま)船が主流になった。

開港以後、当時の大岡川河口、現在の野毛地区の川沿いには米問屋など、荷物の運搬に水運を利用する卸売業者が増えていき、その傾向が日ノ出町の川沿いまで広がって、黄金町の木材問屋などができたと見られている。このようにして、黄金町や日ノ出町には問屋などの商業が増え始め、町が出来上がっていった。川べりは桜並木ではなく柳並木であった。柳は枝の揺れる姿が人を招く、と言われて商業地域では好まれ、その風習が柳並木となっていた。

黄金町 – Wikipedia

かつては、大岡川沿いに米問屋や木材問屋などの卸売業者が軒を連ね、賑わっていたそうです。
そのため、大岡川に面していた黄金町も商業地域として、物資の重要な輸送地となっていました。

「ちょんの間」と呼ばれる風俗エリアだった黄金町

黄金町駅の改札を出ると「初黄町内会 大岡川桜通り」と掲げられた看板が見えてきます。
通りの入口を行けば、当時「ちょんの間」と呼ばれていたエリアになります。

「ちょんの間」というのは、戦後の混乱期に続出した、全国的に広がった歓楽街にある風俗店のことです。
1棟の建物を幅1間(約1.8m)ほどの間口で複数に区切った建物が並んでいることから由来しています。
かつては、専有面積20㎡ほどの2階建て全てが風俗店です。

この風俗店は、売春防止法施行前の「青線(営業許可されていない売買春街)」に属するものがほとんどでした。
しかし、2005年に行われた、警察の一斉摘発「ばいばい作戦」で青線は消滅しました。

黄金町
今の黄金町には当時の面影はない

黄金町駅周辺は、関東大震災で被害を受けた後、1945年の横浜大空襲でさらなる被害を受けました。
当時は、隣接する野毛地区に、国内最大規模のヤミ市が形成されていました。
そのため、日雇い労働を斡旋する職業安定所が作られ、黄金町エリアには各地から日雇い労働者が集まっていました。
日雇い労働者を受け入れる簡易宿泊所の跡地が飲食店へと姿を変えていき、風俗店になったと言われています。

青線だった250店あまりは、その一部を横浜市が借り上げたり、解体してしまったりで、現在では昔の面影はまったくないクリーンな町として生まれ変わっています。

このような変遷をもつ黄金町周辺は、青線地帯や麻薬密売で有名な地域となっています。
そのため、のちに小説・演劇・映画の舞台として使われることが多くなったという経緯があるのです。

黄金町

かつてこの辺りには「PUFFY」という看板が並び、パフィー通りと呼ばれていました。

横浜 黄金町は「アートの街」

極端に狭い建物が多く、空き店舗だらけになった黄金町は「アート街」へと生まれ変わりました。
「黄金町プロジェクト」は、若者の視点から将来の黄金町のあり方を考えることで、街づくりの活性化に貢献できるような企画やアイデアを実現していく有志の集まりです。

黄金町 アート

この「黄金町プロジェクト」は、京急線「黄金町駅」の高架周辺に広がっています。
オシャレな古本屋など、時代を感じるアンティークな建物を生かしたお店も充実しています。
過去には、アーティストとコラボの「パブリックアートプロジェクト」が開催されました。

黄金町アートブックバザール 公式Twitterより
黄金町エリアマネジメントセンター 公式Twitterより

2008年には、京急電鉄と横浜市の協力により、京急線高架下に文化芸術スタジオが建設されました。
地域住民・行政・警察・企業・大学・美術関係者で推進されているのが黄金町バザールです。
それらをけん引する黄金町は、アートを生かした新しいまちづくりのモデルタウンといえます。
重い過去を背負った町を再生し共に生きていくことに魅力を感じませんか。

横浜美術大学 黄金町サテライトスタジオ

今の黄金町は住みやすい街

現在の黄金町駅周辺ではマンションがいくつも立ちならび、駅前通りを行き交うのはファミリーや観光客が多くなりました。近くにホテルや民泊が多いことから、スーツケースを引きながらの外国人も急増しています。

黄金町

周辺には、ゆず誕生の地、伊勢佐木町モールがあり、徒歩でショッピングしながら関内方面へ向かうこともできます。
黄金町は、地元住民が街を盛り上げようという気概が大きい町です。
毎年、桜の季節になると、大岡川桜まつりに訪れる人々で賑わいます。

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30年以上前は、ゴミだらけで濁っていた大岡川も近隣住民の方々によってとてもキレイな川に生まれ変わりました。
大岡川の桜は、別のコンテンツでもお伝えしていますので、こちらもあわせてご覧ください。

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大岡川 桜
大岡川と桜(2021年3月23日撮影)

ちなみに、この桜並木がキレイな大岡川の通り沿いは、ドラマ撮影でも使われています。
最近では、TBS系金曜ドラマ「キワドい2人-K2- 池袋署刑事課神崎・黒木」に登場しました。(2020年10月期放送)
ドラマのオープニングシーンやドラマ内で何度か映っているため、気になる方は、確認してみてはいかがでしょうか。
そして、ドラマを観た後は聖地巡礼として、実際に訪れてみるのも面白いですね。

黄金町へのアクセス

  • 京急線であれば黄金町駅を利用
  • 横浜市営地下鉄線であれば阪東橋駅を利用
  • JR線であれば関内駅を利用
  • 相鉄であれば西横浜駅 を利用(30分かかります)
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