保土ケ谷区にある鎌倉幕府ゆかりの地
保土ヶ谷区には鎌倉幕府ゆかりの地が数多くあります。
ここでは、和田義盛ではない鎌倉幕府ゆかりの地をご紹介します。
保土ケ谷区にある鎌倉幕府ゆかりの地
「保土ヶ谷区にある和田義盛ゆかりの地」では和田町、上星川にある和田義盛ゆかりの地をご紹介しました。
保土ヶ谷区にはそれ以外にも源頼朝、畠山重忠等の鎌倉殿の13人でも活躍した武将のゆかりの地があります。
身近な場所で鎌倉時代を感じてみませんか。
釜台つづら坂(上星川)
相鉄線「上星川駅」北口からほど近く、急な階段が続く坂道が「釜台つづら坂」です。
源頼朝ゆらいの地です。
町名の「釜台」は「釜壇山」に由来しています。
保土ケ谷の坂道 横浜市保土ケ谷区
かつて釜壇山には、丸く穴を開けた石があったそうですが、それは源頼朝が狩りに向かう途中の休憩時に茶をたてた「釜壇の石」であると言われています。その石についた苔や、その石を削って飲むと、風邪や咳の病に効くと信じられていました。
坂の名前は平成17年に行った愛称募集にて決まりました。
東光寺(上星川)
相鉄線「上星川駅」北口から徒歩10分ほど、国道16号から少し離れた丘の上にあるお寺です。釜台つづら坂に関連した源頼朝ゆらいの地です。
源頼朝公が富士の裾野へ巻狩に行く途中、上星川の釜壇山でひと休み。頼朝公、「喉が渇いた。茶を飲みたい」家来は
ほどがや語りべ集~常盤台エリア編~ 横浜市保土ケ谷区
東光寺谷戸の井戸から汲んで来た水を、二つ重なっている釜檀石と呼ばれた上石の丸い凹みの部分に入れ、薪を焚き、
茶を似ました。
東光寺谷戸には今も清水が湧いています。
歴史と清水があふれる上星川エリア(PDF:2,673KB)
橘樹神社(天王町)
相鉄線「天王町駅」徒歩5分のところにある橘樹神社はかつて「牛頭天王社」といい、天王町の名前の由来となった神社でもあります。源頼朝ゆらいの神社です。
鎌倉時代初期の文治2(1186)年、源頼朝の天下平定を祝い、また厄除歳寿・子孫繁栄を祈願して京都祇園社(現在の八坂神社)の分霊を勧して創建したと伝えられています。古くは祇園社と称し、江戸時代には牛頭天王社、明治初年に橘樹社と改称され、大正10(1921)年に現在の橘樹神社となりました。
横浜で、鎌倉時代を旅しよう!|【公式】横浜市観光情報サイト – Yokohama Official Visitors’ Guide
橘樹神社は横浜三大商店街のひとつ、「洪福寺松原商店街」へ向かう途中にあるのでお詣りついでに商店街でお買い物も楽しめます。
常盤公園(和田町)
相鉄線「和田町駅」徒歩15分、和田稲荷からも近い広々とした公園が「常盤公園」です。
遊具広場の近くに「畠山重忠公 郎党恩讐慰靈塔」があります。
源頼朝の死後、畠山重忠が鎌倉に向かう道中で鶴ケ峰で討ち死にした際に、この場まで逃げてきた家来を慰霊するための石碑(畠山重忠の名が刻まれている)があります。
横浜で、鎌倉時代を旅しよう!|【公式】横浜市観光情報サイト – Yokohama Official Visitors’ Guide
常盤公園は遊具広場の他に運動広場やテニスコート、弓道場もあり広々としています。
トイレもあるので小さいお子さん連れでも安心して遊びに行くことができます。
神明社(榛谷御厨)(天王町)
相鉄線「天王町駅」より徒歩6分、JR横須賀線「保土ヶ谷駅」からは徒歩8分ほどのアクセスで行くことのできる、横浜市内では最も由緒の古い神社の一つとされる神社が「神明社」です。
畠山重忠の一族であった榛谷四郎重朝ゆらいの地です。
畠山重忠の一族であった榛谷四郎重朝は、所領を伊勢神宮(神明社)に寄進したため、その一体が榛谷御厨と呼ばれるようになりました。源頼朝から信頼を受け、頼朝死後も畠山重忠と梶原景時追討や比企一族討滅に加わりましたが、重忠が亡くなった翌日に謀略の罪に問われ、北条氏の命により三浦義村に討たれ滅亡しました。「榛谷」(はんがや)は、「保土ケ谷」(ほどがや)の地名の由来の一つとも言われています。
横浜で、鎌倉時代を旅しよう!|【公式】横浜市観光情報サイト – Yokohama Official Visitors’ Guide
「榛谷」(はんがや)から少しずつ変化して保土ケ谷(ほどがや)になったとも言われ、地名の由来の一つにもなっています。
境内は広く、緑も綺麗な場所でとても落ち着く雰囲気です。
神明社では、人形(ひとがた)流しといって知らず知らずの内に犯した罪や、積り積もった心身のけがれを取り除くための儀式が行えます。境内地下70mから汲み上げた井戸水を流した清流に人形を流してお祓いができます。
神明社の道路を挟んだ向かい側には横浜ビジネスパークがあります。お詣りした後は横浜ビジネスパークでアートを楽しんだり飲食店で食事をするなどしてみてはいかがでしょうか。
天王町 横浜ビジネスパークに行ってみよう! | 横浜で暮らそう
御所台の井戸(政子の井戸)(保土ヶ谷)
JR横須賀線「保土ケ谷駅」東口より徒歩10分ほど、横浜清風高校方面へ向かう「かなざわかまくら道」を上り、途中の急な坂道をさらに上ると右手に見えるのが「御所台の井戸」です。
源頼朝の頼朝の妻、北条政子ゆらいで「政子の井戸」とも呼ばれます。
征夷大将軍となった源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、関東諸国の御家人が鎌倉に駆けつけるための道が作られました。
御所台の井戸(政子の井戸) 横浜市保土ケ谷区
区内には、保土ケ谷税務署脇から横浜清風高校(旧明倫高校)方面へ向かう”かなざわかまくら道”があります。その途中の急な坂道(磐名いわな坂)を上ると、右側に四阿のあるひっそりとした一角があります。ここが政子の井戸とも呼ばれる「御所台の井戸」です。
政子とは、頼朝の妻で、頼朝の死後に実質的に将軍のしごとを行い”尼将軍”と呼ばれた北条政子のことです。
この井戸の水を政子が化粧に使ったという言い伝えがあり、この一帯が政子の所領する土地だったのではないかという説もあります。
江戸時代以降でも、天皇や将軍が保土ケ谷宿の軽部本陣に立ち寄ったときには、この井戸の水が料理に使われたそうです。
昭和の初めごろまで、このあたりには清水が流れていたそうで、「尼将軍政子の井戸はあふれいて朝涼しく蟹あそぶなり」という詩も残っています。
このように、北条政子が化粧に使ったとされる井戸とされています。
周りは住宅街なのでとても静かですが、通学路なので登下校の時間帯は高校生で賑やかです。
また、御所台の井戸のすぐそばには「御所台地蔵尊」があります。
石段を上がる途中には元禄10年建立の三猿庚申塔が。上がると地蔵堂とたくさんの石塔があります。
地蔵尊へ行くには狭く急な石段を上る必要がありますので雨の後など滑らないようにご注意ください。
保土ヶ谷区にある鎌倉幕府ゆかりの地で歴史を感じよう
普段何気なく行く公園だったり通る道すがらにある場所に史跡があることを改めて感じます。
鎌倉殿の13人をきっかけに鎌倉幕府ゆかりの地に興味が出た方へ、歴史を感じながらゆかりの地を巡ってみませんか。
横浜市には鶴見区、金沢区、旭区鶴ヶ峰周辺にもゆかりの地がたくさんあるのでそちらもオススメです。