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横浜 鶴見区は「鎌倉幕府ゆかりの地」

横浜市鶴見区境

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横浜 鶴見区は「鎌倉幕府ゆかりの地」
鶴見区は横浜市内東部に位置しており、歴史ある街となっています。
特に、鶴見区は歴史的に鎌倉幕府と関わりが深く、ゆかりのある地でした。
ここでは、そんな「鶴見区と鎌倉幕府のつながり」について紹介するコンテンツです。

横浜 鶴見区は「鎌倉幕府ゆかりの地」

横浜市鶴見区は市内東部に位置し、海と山に囲まれた自然豊かな街です。
鶴見区は、北東部が平地・北西部が丘陵地の地形となっています。
また、臨海部の港と工場エリアは「京浜工業地帯」が広がっており、幻想的な夜景を見られることも魅力の1つです。

幻想的な夜景の「京浜工業地帯」

鶴見区は市内でも特に歴史が古く、その起源は旧石器時代と言われています。
また、鎌倉幕府との関わりも深く「ゆかりのある街」なのです。
「鶴見区の歴史とは?」「地名の由来は?」「鎌倉幕府ゆかりの地ってなに?」
今回は、鎌倉幕府ゆかりの地となっている「鶴見区」についてお伝えします。

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鶴見区の由来について

まずは、鶴見区の「鶴見」という地名の由来についてご紹介します。
「鶴見」という地名の由来は諸説あり、以下の通りです。

「鶴見」の名は、鎌倉時代から現れ、源頼朝がここで鶴を放ったことから命名されたという伝説もある。また一説には、「ツル」は鶴とは関わりなく「水路や河川の周辺地」を意味し、「ミ」は「周り・巡り」を意味する語で、合わせて「ツルミ」は蛇行する鶴見川の地形を表すとされる。

鶴見区(横浜市)- Wikipedia
  1. 鎌倉時代に源頼朝がこの場所で「鶴を放った」ことから
  2. 「ツル→水路や河川の周辺地」「ミ→周り・巡り」を意味する造語
  3. 「ツルミ」という字体から「蛇行する川の形」を表している

鶴見区の地形には、鶴見川による「水の恵み」や「交通の便」が大きく関係しています。
特に、鶴見区内の「生麦」では、江戸時代から「魚河岸の街」として栄えていたのです。

東海道筋がにぎわった江戸時代
鶴見の東海道筋は神奈川宿と川崎宿の間の宿としてにぎわった。街道沿いに茶店やみやげもの屋が軒を並べ、
生麦は、江戸城に新鮮な魚介類を献上する御菜八ヶ浦の一つとして栄えた。

「東海道筋がにぎわった江戸時代」鶴見の歴史 – 横浜市
生麦「旧東海道」
生麦「横浜旧東海道」ロゴ

もともと、豊富な魚介類が獲れる街だった「生麦」。
そのため、徳川将軍の食べる魚を1カ月で3回、江戸幕府に献上していました。
そこで、御用船として曳き船などで献上物の魚を獲る代わりに、江戸湾内で自由に漁業ができる権利を認めてもらっていたそうです。

このようなことから、生麦の魚河岸通りは江戸時代から続く「歴史ある魚河岸」なのです。
近年は、臨海部の埋め立てによって進化している鶴見区の街。
その起源からも「現在の鶴見区は鶴見川にある」と言っても過言ではありません。

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鶴見区の歴史と変遷

次に、鶴見区の歴史についてお伝えいたします。
「鶴見」という地名の由来は、鎌倉時代以降に付いたことが分かりました。
しかし、鶴見区の歴史はそれよりもさらに古く、旧石器時代までさかのぼります。

古代のロマンを秘めたまち
鶴見川河口や岸谷の第二京浜国道ぎわなどから約10万年前に生息していたと思われるナウマンゾウの化石が出土している。また、下末吉宝泉寺付近からムカシジカの化石が発見されたと伝えられている。

古代人にも住みよい土地だった
鶴見に人が住み始めたか
正確にはわからないが、発見された遺跡や貝塚などから
縄文時代の早期(約9000年前)には縄文人たちが住んでいたことが立証されている。
そのころの地形は、現在の丘陵地域を除く低地一帯は、全て海で
森林におおわれていた丘陵地で動物をとらえたり、近くの海から魚や貝類をとったりして暮らしていた。
縄文人が生活していたことを伝える貝塚が発見されている。
縄文時代の鶴見は、海の幸、山の幸に恵まれ、縄文人にとっても住みよいところであったに違いない。

鶴見の歴史 – 横浜市鶴見区
鶴見神社境内貝塚

鶴見区の変遷は、明治時代の1889年までさかのぼります。
現在の鶴見区がある場所は、20の村で構成されていたのです。
その20すべての村が、現在と同名の町として名前が付いています。

参考:「町の変遷~鶴見のうつりかわり~」鶴見区の変遷 – 横浜市鶴見区

その後、1927年の「横浜市区制施行」によって「鶴見区」が誕生しました。
当時、鶴見区のほぼ中央に位置していた「鶴見町」がそのまま区名に採用されたのです。
2027年には、鶴見区が「区制100周年」を迎えます。

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鶴見区と鎌倉幕府のつながり

1192年に源頼朝が征夷大将軍となり、鎌倉幕府が開かれました。
鎌倉道まで一本で繋がっており、鎌倉幕府に近かった現在の「鶴見区」。
そのため、鶴見区では当時、幕府とさまざまな関わりを持っていたのです。

鎌倉幕府を支えた鶴見ゆかりの武士
頼朝は、関東に住む多くの武士団を統合して平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を開いた。そのなかには鶴見にゆかりの武士たちも大勢いた。

鶴見の歴史 – 横浜市鶴見区
年代できごと
建久元年(1190)源頼朝、上洛
鴨志田十郎、馬場次郎、寺尾太郎、寺尾三郎太郎などが随行したことが
「吾妻鏡」に記されている(平安時代末期)
承久3年(1221)承久の乱
戦傷死者のなかに潮田四郎太郎、潮田六郎、寺尾又太郎、寺尾左衛門尉
などの名前が「吾妻鏡」に記されている
鶴見区の年表 – 横浜市鶴見区

頼朝が初めて上洛した際に随行した武士の名前が鎌倉時代の史書「吾妻鏡」に記載されているのです。
ここには、鴨志田十郎・馬場次郎・寺尾太郎・寺尾三郎太郎という名前がありました。
同じく「吾妻鏡」における承久の乱では潮田四郎太郎・潮田六郎・寺尾又太郎・寺尾左衛門尉などの名前が記されています。
これらは、鶴見区の地名に関係していると思われます。
しかし、現在の鶴見区に存在する地名との因果関係は未だ解明されていません。

仲通商店街 潮田町
潮田町「仲通商店街」

このころの鶴見は、「鶴見郷」または「大山郷」と呼ばれていた。鶴見郷は鶴岡八幡宮の社領であった。また、幕府の評定衆の一人秋田城之介安達義景の別荘があった。

仁治2年(1241)、将軍頼経はじめ執権以下500人もの武士が、義景の館(別荘)に出かけ、途中
鶴見神社にも立ち寄った記録が残っている。

鶴見の歴史 – 横浜市鶴見区

他にも、鎌倉幕府4代目将軍の藤原頼経は、鶴見区にある横浜市内最古の神社「鶴見神社」へ立ち寄ったとされています。
詳細は分かりませんが、この「鶴見神社」で戦いの必勝祈願を行っていたのでしょうか。
このように、さまざまな記録から鶴見区と鎌倉幕府のつながりは深かったのです。

参考:鶴見の歴史 – 横浜市鶴見区

鶴見神社
鶴見神社 境内

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鶴見神社は横浜市内最古の神社 – 横浜で暮らそう

鶴見川での戦い「鶴見合戦」ってなに?

鶴見区は、古くから鶴見川と鎌倉道が交差する場所となっていました。
そのため、現在の鶴見区は全国へ物流の要となるエリアだったのです。
戦乱では、茨城県(旧:常陸国)や房総半島などから鎌倉幕府へ攻め込んできた軍勢を食い止める防御地点でもありました。
鎌倉時代末期〜室町時代前期に鎌倉幕府の領有を巡り、争いが繰り返されていたのです。
その際、鶴見にて2度にわたり行われた戦いを「鶴見合戦」と呼んでいます。

鶴見川

1つ目は、1333年の鎌倉幕府が滅亡する際に、金沢貞将による鶴見一帯での戦いです。
この戦いの結果は敗北、軍勢は鎌倉へ戻っていきました。
2つ目は、1335年に鎌倉幕府奪還のため、長野県(旧:信濃国)で挙兵した北条時行の軍勢が鶴見で繰り広げた戦いです。
この乱をきっかけに足利尊氏は建武政権へ反旗を翻し、時代は南北朝時代に突入しました。

参考:「鶴見合戦『太平記』にみる横浜」- 横浜市歴史博物館

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鶴見区にもお城があった!?

みなさんは戦国時代、鶴見区にもお城があったことをご存知でしょうか。
その歴史は、室町時代後期までさかのぼります。
当時「殿山」と呼ばれる台地一帯には「寺尾城」という山城がありました。

JR線「鶴見駅」西口にある寺尾方面へ向かう坂道

しかし、お城と言っても天守閣のある立派な城ではなく、砦のような山城だったそうです。
この「寺尾城」は、後北条氏の家臣である諏訪氏によって築造されたと言われています。

寺尾城址
信州の豪族諏訪氏が1436年ごろに築城し、1569年、武田信玄が小田原城を攻撃したとき、城主が小田原城の守備に出向いていて留守の間に武田軍に攻められ、落城した

城主諏訪氏について
寺尾の諏訪氏は、天正3年(1575年)に滅びるまで5代、百数十年間、寺尾城に居城していたといわれている。

第8回:なぞに包まれた中世の寺尾城(その1)- 横浜市鶴見区

「寺尾城」の全容は、未だ謎に包まれており、現在も真相は解明されていません。
現在は、鶴見区馬場3丁目付近の住宅街にひっそりと「寺尾城址碑」が建っているのです。
この「寺尾城址碑」は、横浜市登録地域文化財(地域史跡)に登録されています。

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横浜市は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地

そして、そんな鎌倉幕府が舞台の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が2022年に放送されます。
平安時代末期〜鎌倉時代前期を舞台に、源平合戦と鎌倉幕府が誕生する過程で、繰り広げられる権力の座を巡った駆け引きの勝利者・北条義時を描くドラマです。
横浜市も旭区や金沢区を中心に、ゆかりの地を巡るツアーやイベントが開催されています。
大河ドラマを観ていない方でも鎌倉幕府の歴史を感じることができ、十分楽しめます。
イベントと一緒に横浜市内を散策し、鎌倉幕府の歴史をたどってみるのもいいですね。

朝夷奈切通
朝夷奈切通

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歴史ある「鎌倉幕府ゆかりの地」鶴見区へ行こう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、横浜市鶴見区の「鎌倉幕府ゆかりの地」についてお伝えしました。
少しでも参考にしていただければ幸いです。
鎌倉時代から物流の要所となっていた「鶴見区」。
時代の移り変わりとともに、街全体はさまざまな歴史を歩んできました。
そんな鶴見区の「鎌倉幕府ゆかりの地」を巡ることで、鎌倉時代に思いを馳せてみませんか。

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