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鶴見名物「よねまんじゅう」って知っていますか?
鶴見で名物があることをご存知ですか?
鶴見名物「よねまんじゅう」は江戸時代から伝わり、民謡の歌詞に出てくる銘菓。
地元民の方々にも、知られていない隠れた名物なんです!
目次
横浜 鶴見に名物がありますか?と聞かれて、パッと出てくる方はそう多くはないと思います。
生まれも育ちも仕事も横浜の私も、実は知りませんでした。
鶴見で取れる作物もないし、なぜ鶴見の名物となったのでしょう。
そもそも「よねまんじゅう」とはどんなものなのでしょうか??
鶴見の歴史を紐解かないと、どうもよねまんじゅうのことはわからなそうです。
旧東海道は横浜を通過していたのですが、鶴見 生麦に「東海道名所之内 鶴見」が描かれています。
鶴見には名所があり、江戸時代には人の往来が多くありました。
そんなところには、旅人たちが食べ物や飲み物、土産物を求めてお店に立ち寄ったのでしょう。
そういう意味では今も昔も変わらないですね。
なんと「民謡 お江戸日本橋」の歌詞にまで出てきているそうです。
<民謡 お江戸日本橋 歌詞>
お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり
行列そろえて あれわいさのさ
コチャ高輪 夜明けて 提灯消す
(コチャエー コチャエー)恋の品川 女郎衆に 袖ひかれ
乗りかけ お馬の 鈴が森
コチャ大森細工の松茸を
(コチャエー コチャエー)六郷渡れば川崎の 万年屋
鶴と亀との よね饅頭
コチャ 神奈川急いで 程ヶ谷へ馬入渡りて平塚の 女郎衆は
大磯小磯の 客をひく
コチャ小田原評議で あつくなる登る箱根の お関所で ちよいとまくり
wikipedia-お江戸日本橋 より
若衆のものとは 受け取れぬ
コチャ新道じゃないかと ちょと三島
日本橋から東海道をくだり、三島までの様子を唄っています。
とは言っても、実はよねまんじゅう、鶴見発祥ということでもないようです。
よねまんじゅうは、17世紀後半に浅草待乳山の下で鶴屋の娘「よね」が売ったことがはじまり。
元禄から享保年間頃まで江戸の銘菓とされていました。
鶴見のよねまんじゅうが、お土産として有名になったのは18世紀に入った頃。
竹籠に入れて売られていたのですが、この頃のものは塩餡の餅を俵型に小さく作ったものでした。
そこに、焼ごてで焼き目をつけたものと書かれています。
旅人には、蕎麦よりも安くて腹持ちが良いと喜ばれていたとか…。
よねまんじゅうは、現在鶴見の「清月」という和菓子屋さんで購入できます。
鉄道開業とともに、旧東海道を徒歩で旅する人が急激に減少。
一旦はよねまんじゅうを売るお店がなくなってしまっいました。
しかし「清月」さんが現代に甦らせたそうです。
よねまんじゅうとは、餡をもちで包んだシンプルなおまんじゅうです。
おまんじゅうというより大福に近いかもしれません。
梅あん、白あん、こしあん と3種類があり、セットで販売していました。
梅あんはピンク、白あんは白、こしあんは黒と色分けされていて、わかりやすいです。
大福のようにもち部分がくっつかないように、白い粉がたくさんついています。
非常に柔らかく、お子様からお年寄りまで食べられます。
よねまんじゅうは、大福のような厚手のもちではなく、薄手のもちに包まれていました。
ほとんどが餡という印象のお菓子です。
もち部分が薄いので、夏は冷蔵庫などに入れて冷やして食べても美味しいそうです。
(大福などのようにもちが厚いと固くなってしまいますが、よねまんじゅうは大丈夫だそう。
ホームページからも購入可能。
お近くでないという方はそちらから購入して食べてみても良いと思います。
是非「歴史の味」鶴見名物 よねまんじゅう を食べてみてください!