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坂本龍馬の妻も働いていた 横浜の老舗割烹「田中家」
横浜の「東海道」は当時と随分変わりましたが、変わらずそこにあるものもあるんです。
その変わらずあるのが、この「割烹 田中家」。
なんと坂本龍馬の妻「おりょう」が働いていたお店なんです!
目次
「東海道」というと江戸時代には五街道の1つとして、幹線交通網だったようです。
横浜市内にも「宿場町」はいくつかあります。
その中の「神奈川宿」は、現在の横浜市神奈川区神奈川本町付近だったと言われています。
安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれている「さくらや」が、今の「田中家」なんだそうです。
割烹 田中家
所在地:横浜市神奈川区台町11-1(横浜駅北口より徒歩10分程)
ホームページ:https://www.tanakaya1863.co.jp/
海の眺めを楽しむため、台町の坂道沿いにはたくさんの腰掛け茶屋が並んでいました。その様子は、広重による「東海道五十三次」の神奈川・台之景にも描かれています。その絵をじっくり眺めますと、坂の上から三軒目に「さくらや」という看板の文字が読めます。これが、現在の田中家の前身です。
幕末の頃、文久三年(1863年)に、田中家の初代がそのさくらやを買い取り、「田中家」がスタートしました。その少し前、安政六年(1859年)に横浜開港が決まり、各国の領事館がつぎつぎとこの近辺に置かれました。また、多くの外国人が商館を構えるなど、横浜はこのあたりを中心に国際都市として発展していきます。
田中家 歴史 より
夜の帳が下りるころ、田中家さんの入り口に灯りが点ります。
日本伝統的な建物に、提灯のような照明がとても良い雰囲気を出します。
基本的に田中家さんのような割烹料理屋さんには「予約」をしていくのがマナーとなります。
こちらもちゃんと準備をしていきます。入り口には金屏風!さすがに格式の高い料理屋さんです。
入り口では靴を脱いで入店します。
階段を上がって、2階のお座敷へ通されました。(この日は10人でお邪魔しました)
今の人たちは畳の部屋で過ごすことが少なく、畳にそのままだと足が辛い方も多いと思いますが、田中家さんのお座敷には少し高くなった椅子のような座椅子(?)がありました。
伝統的なものの中にも、今の人に合わせた部分も取り入れて「心地よい空間」にしているんですね。
テーブルの上にはお品書きがあり、そのお品書きの順に出てきます。
割烹の良いところは、季節や自然を感じる料理が出てくることです。
季節の食材を選んでいます。
小鉢が並んだものがとても綺麗です。
「田中家」の名前の入った漆のお箸が置かれています。
お料理だけでなく、こういった食器の1つ1つも素敵なものがたくさんありました。
お椀が出てきて蓋を取ると、椀の中身ももちろんですが、蓋の裏に書かれている「東海道五十三次」の神奈川・台之景が出てくると、思わず「おぉ!」と声が上がりました。
このあと、色々なお料理を楽しみました。
お料理が出た後、五代目女将の平塚さんが座敷へお越しくださり、田中家の歴史をお話しくださいました。
田中家の歴史も色々興味深いのですが、五代目女将の歩んだ歴史も面白く、長く海外生活をしていて元々は女将になる予定ではなかったなどとにかく面白い方で、田中家にお料理を楽しみに行くのはもちろんですが、女将の話を聞きに行くと言うのも、また一つ面白い楽しみではあると思います。
当然コロナ禍は非常に大変だったようですが、これまでも長い歴史の中でたくさんの困難を乗り越えて来られた田中家さん。
元々横浜はどんどん古いものを壊して新しいものを建てると言うことが善しとしていたイメージがありますが、少しでもこういった歴史あるお店を残して欲しいと思います。
田中家のかつてない困難を、坂本龍馬の妻 おりょうさんが救うのに一役かっていたそうです。
と言うのは、坂本龍馬が亡くなった後仲居として働いていたおりょうさんは英語が喋れたそうで、多くの外国人をお客様として受け入れしていたと言います。
田中家の近くには米国総領事館が置かれるなど、田中家を外国人が迎賓館かわりに使ってもらえたのも、英語を話せたおりょうさんのお陰のようです。
田中家の廊下や階段には多くの歴史ある写真が飾られています。
常連客だった高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、大山巌、乃木希典など歴史の教科書に出ててくる偉人たちの写真があったり、夏目漱石や菊池寛など文豪などの写真もあります。
正直安くはないですが、大人として1度くらいは体験してみてもいいかもしれませんね。
何か特別な日に、ご予約して行ってみてはいかがですか?