横浜市をエリアで分けるのなら
ここのコンテンツは横浜市の歴史や背景から、横浜をエリアで分けたらどうなるのか?
というはまっ子のこだわりと個人的見解の内容です。
ここのコンテンツはなるほど〜 おもしろい〜などと楽しんでください。
横浜市の区変遷
今からさかのぼること160年ほどの安政6年(1859年)6月2日(現代暦では7月1日)に開港した横浜で、明治22年(1889年)4月1日に市制が施行されました。
その後の昭和2年(1927年)に初めて誕生したのは、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区です。
昭和14年(1939年)に、都筑郡の一部を編入して港北区が、鎌倉郡の一部を編入して戸塚区が誕生。昭和18年(1943年)には中区から南区が、翌年にはさらに西区が分離。さらに昭和23年(1948年)には、金沢区が磯子区から分離、昭和44年(1969年)には南区、保土ヶ谷区、港北区、戸塚区を再編成して港南区、旭区、緑区そして、瀬谷区が新設されました。
昭和61年(1986年)には戸塚区の再編成により栄区と泉区が誕生し、平成6年(1994年)には港北区と緑区の再編成により青葉区と都筑区が誕生しました。
現在18区を持つ横浜市は、政令指令都市で最大数の区を持つ市となります。
横浜都民と横浜観光
横浜は鉄道の乗り入れが多く、大変便利な土地です。そのため、都内へ通学したり、通勤したりする割合が高いといえます。平日のほとんどを都内で過ごす人たちは、いつの間にか、自宅のある横浜に関する情報よりも、自分の学校、職場がある都内の情報の方が身近で、自然と詳しくなるのは否めません。こういった人々のことを横浜都民と呼ぶ風潮があります。
東京都町田市に接している緑区、青葉区などに横浜都民の自覚をもつ人々が多いといえますが、そのほか、戸塚区の戸塚駅や東戸塚駅、港南区の上大岡駅の利用者も、都内へ直通電車があることから横浜で過ごす時間よりも都内での時間の方が長い横浜都民が多いと思われます。
一方、観光都市である横浜で、観光地という地域は限られており、東側の東京湾に面したあたりが観光地となっています。西区のみなとみらい地区、中区の山下公園周辺、金沢区の八景島周辺など、海に近いエリアが観光スポットとして有名です。
横浜市北部、横浜市南部
横浜を南北に分けるならば、中区、西区と保土ヶ谷区を中心として、北部には神奈川区、旭区、瀬谷区、港北区、緑区、都筑区、青葉区、鶴見区が入るでしょう。
旭区、瀬谷区は、相鉄線が乗り入れており、横浜へも、大和、海老名、厚木方面へも短時間で行ける地域で、緑豊かな住宅地が広がっています。緑区、都筑区、青葉区は、宅地開発されてから、他の地から移り住んだ新しいファミリーが多い地域で、横浜都民が多いところといえます。鶴見区は東京湾に面しており、京浜工業地帯の中心で、外国人の居住も多いことから、他の区とは違った雰囲気があります。
南部としては、南区、港南区、戸塚区、泉区、栄区、磯子区、金沢区になります。南区、港南区、戸塚区は住宅地や大型ショッピングセンターが多く、各社路線バス、JR線、京急線、横浜市営地下鉄線が乗り入れており、大変住みやすい地域と言えます。磯子区と金沢区にはシーサイドラインが通っており、工場エリアと観光エリアが混在しています。
はまっ子エリア
では、横浜人、いわゆるはまっ子が住む地域はどこでしょうか。
横浜市内で、他市と隣接する地域では、やはりその住民意識は複雑といえます。例えば東京都町田市に接している青葉区、緑区では、生活圏に東京都が含まれていることから、住民意識は半分都民といっても過言ではないでしょう。
栄区は歴史深い鎌倉市と接しており、泉区、戸塚区は湘南海岸を持つ藤沢市と接していますので、その住民意識ははまっ子とは少し離れたところにあるのではないでしょうか。
もともと、はまっ子とは、鎖国から開国へ、生活様式からものの考え方までをポジティブに変化させていった時代の人々を誇りに思い、その志を継承していく自分たちに対する自負心を含んだ呼び名であるといえます。神奈川県下の横浜市ではなく、横浜県なのだ、というほど高い自意識を持った呼び名、はまっ子。
ですから、やはり、その激動の時代を意識しやすい地域、例えば、中区、南区に住んでいる人々には、自分ははまっ子である、という自覚がある人が多いようですが、いかがでしょうか。
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