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保土ヶ谷は歴史ある街

保土ヶ谷宿浮世絵

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保土ヶ谷は歴史ある街

横浜といえば「みなと」「中華街」といイメージ、どちらかと言えば明治時代以降の歴史。
横浜の歴史はそこから少しさかのぼり江戸時代から刻まれています。
横浜は東海道という街道の宿場が3箇所あり、今回はこの中から「保土ヶ谷宿場」についてお伝えいたします。
保土ヶ谷宿場を歩くなら、相鉄 天王町駅 下車で旧東海道を散策しました。

保土ヶ谷は歴史ある街

1601年に東海道の宿場町となった保土ヶ谷。
以前保土ヶ谷区民だった私もそうでしたが、地元の人は「保土ヶ谷の歴史といえば宿場町」という人が多かったように思います。

旅籠 本金子屋跡
旅籠 本金子屋跡

東海道沿いに限らず、保土ヶ谷には多くの寺社や史跡があり、今も歴史を感じさせてくれる風景を楽しむことができます。
もちろん、江戸時代よりずっと前から保土ヶ谷の歴史は始まっていました。
区内には、縄文時代から弥生時代、古墳時代の遺跡も点在しています。

保土ヶ谷と東海道の歴史が学べるまちかど博物館 – 横浜で暮らそう

保土ヶ谷 名前の由来

保土ヶ谷という地名の由来には諸説があります。

私は以前、平安時代は「榛谷」と書いて「はんがや」という地名で、「はんがや」が少しずつ変化して「ほどがや」になったという話を聞いたことがあります。
この説は、奈良・平安期の地名は幡屋(はたのや)、平安末期から鎌倉・室町期にかけてが榛谷(はんがや)、戦国期に入ると保土ケ谷になった、というものです。

その他、アイヌ語で「谷」を意味する「ホト」が起源となったという説、丘陵を語源とする「保」と土地を語源とする「土」が起源となったという説などがあるそうです。

東海道と保土ヶ谷

江戸と京都を結ぶ東海道。
街道の整備は、徳川家康の政策の一つでした。
1601年に東海道の宿駅の制度が定められ、保土ヶ谷宿は品川、川崎、神奈川に続く江戸から4番目の宿場として誕生しました。

保土ヶ谷宿の管轄は芝生村追分(現在の西区と保土ヶ谷区の境)から境木地蔵までの約5キロメートルで、そのうち「宿内」と呼ばれる範囲は約2キロメートルでした。
宿内は宿場として街並みが整備されたエリアで、宿泊施設や商店などが並び、経済、文化の要所として多くの人でにぎわったと伝えられています。

保土ヶ谷宿の代表的な歴史スポットをご紹介します。

江戸方見附跡

江戸方見附跡
江戸方見附跡

見附の本来の意味は、城の一番外側の城門または警備・見張りでしたが、形式的に宿場の入り口という意味で使われるようになりました。
保土ヶ谷宿の江戸方見附跡がのモニュメントが、洪福寺松原商店街の一角にあります。

旧帷子橋跡(天王町駅前公園)

旧帷子橋跡(天王町駅前公園)
旧帷子橋跡(天王町駅前公園)

昔、の相鉄線天王町駅の南側には帷子川が流れていて、帷子橋という当時としては大きな橋がかかっていました。
氾濫が激しかった川は1965年ごろに埋め立てられて、川の流れも変わりました。
現在は、帷子橋がかかっていたころの面影を再現した公園として親しまれています。

助郷会所跡、問屋場跡、高札場跡

問屋場跡
問屋場跡

天王町駅から旧東海道を下ってJR保土ヶ谷駅までくると、保土ヶ谷駅西口商店街に入ります。
この商店街の中には、それぞれの跡地にモニュメントが設置されています。
助郷会所は宿場で賄いきれない人馬を周辺の村々から動員に対応するための場所、問屋場は大名の宿泊手配を担う場所、荷物の運搬料や旅籠の宿泊料、そのた法令などを知らせるための場所です。

金沢横丁の石碑

金沢横丁の石碑
金沢横丁の石碑

こちらも、保土ヶ谷駅西口商店街にある史跡で、4基の道標が立っています。
4基にはそれぞれ、「かなさわ、かまくらへ通りぬけ」「かなさわ、かまくら道」「梅の名所杉田への道」「ほうそう神富岡の芋大明神への道」と記されています。

保土ヶ谷駅西口商店街は宿場町商店街 – 横浜で暮らそう

軽部本陣跡

軽部本陣跡
軽部本陣跡

保土ヶ谷駅西口商店街を抜けてJRの線路を渡りそのまま進むと、国道1号につきあたります。
そのつきあたったところにあるのが、軽部本陣跡です。
本陣とは、幕府の役人や大名などが宿泊するための施設。
軽部家(当時は苅部家)は保土ヶ谷の名主で、1859年の横浜開港の際にも尽力しました。

旅籠 本金子屋跡

旅籠 本金子屋跡
旅籠 本金子屋跡

軽部本陣跡から戸塚方面に少し歩くと、旅籠として栄えた本金子屋跡が目に入ります。
旅籠とは旅人を泊めて食事を出す、今でいう旅館のこと。
当時の雰囲気を伝える格子戸が印象的です。

上方見附跡

国道1号をさらに進むと現れるのが、旧東海道の風景を再現した松並木プロムナードです。
このプロムナードの中に、上方見附跡があります。
江戸方見附に対し、京都側の入り口となるのが上方見附。
江戸方見附と上方見附の間が「宿内」にあたります。

上方見附跡
上方見附跡

境木地蔵尊

戸塚宿との境に祀られているお地蔵様。
海に打ち上げられたお地蔵さまが漁師の夢枕に立って江戸に連れて行ってほしいと告げ、漁師が江戸に運ぶ途中に、この場所で動かなくなったため地蔵堂を建ててお祀りした、という伝説が残っています。

ご紹介したスポット以外にも、歴史のある寺社仏閣や史跡がたくさんあります。
区役所では、散策コースを紹介するガイドを発行しています。

参考:ほどがや散策ガイド – 横浜市保土ケ谷区

保土ヶ谷で歴史を感じる

繰り返しになりますが、保土ヶ谷は歴史を身近に感じられる街です。
史跡があるだけでなく、それらを大切に保存したり、その価値や歴史の面白さを伝えたりする人たちがいます。
新型コロナウィルスの影響で外出もままなりませんが、落ち着いたら多くの人に保土ヶ谷の歴史と魅力を感じてほしいなと思います。

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