保土ヶ谷の川島囃子は江戸時代から続く祭囃子
保土ヶ谷には歴史的財産が沢山あります。
保土ヶ谷は元々東海道の宿場町として発展していたからであり、その名残として建物や跡地だけではなく、文芸や文化も。
ここでは、横浜 江戸文化として保土ヶ谷区川島地区に伝わる祭囃しについてお伝えいたします。
保土ヶ谷の川島囃子は江戸時代から続く祭囃子
お祭りやイベントで耳にする、昔ながらの祭囃子。
あの太鼓や笛の音を聞くと、なんだかワクワクしませんか?
横浜には、祭囃子を保存・継承する多くの団体があります。
今回は、江戸時代に保土ヶ谷区の川島地区に伝わった川島囃子をご紹介します。
250年を超える川島囃子の歴史
川島地区は、相鉄線西谷駅あたりから上星川駅あたりにかけて、帷子川の南側に広がる地域です。
この場所で、江戸時代から250年以上受け継がれている川島囃子。
笛虎(和田虎)という人が、近くの村々で江戸の神田囃子を伝えたのが始まりだといわれています。
その後、明治から大正、昭和にかけて、川島囃子は三村家の一族を中心とする地元の旧家の人たちによって代々受け継がれてきました。
そんな川島囃子も、戦中・戦後には衰退しかけた時期があります。
けれども、戦後の混乱が落ち着くと、地元の青年団と川島囃子を受け継いできたメンバーの尽力によって、再び活動が盛んになりました。
現在も地域に根差した民俗芸能を継承し、後継者の育成に力を入れている川島囃子保存会は、横浜市の無形民俗文化財保護団体に認定されています。
川島囃子ってどんなお囃子?
川島囃子の基本は、家内安全、無病息災、五穀豊穣を祈願した五人囃子。締太鼓を2人、大太鼓を1人、鉦(かね)を1人、笛を1人が担当します。
その祭囃子に合わせて踊るのが、「おかめ」や「ひょっとこ」の笑い面、邪気を追い払う「獅子」、神社に舞を奉納する「天狐」。
コミカルな動きや大技の披露、動きの激しい踊りなど、古代からの演技を忠実に再現しています。
伝統的な曲目を演じることが多い川島囃子ですが、ときには流行を取り入れることもあるとか。
以前、横浜国際行列のサブイベントでサッカーをする獅子を演じたときは、見学者の笑いを誘ったそうです。
地元はもちろん、海外での公演も
今年は新型コロナウィルスの影響で多くのイベントが中止になっていますが、川島囃子はこれまで、お正月の獅子舞や夏祭り、各種イベントや市の行事など、毎年数々の場で演技を披露してきました。
保土ヶ谷区の賀詞交歓会や消防出初式(隔年)への参加も恒例となっています。
さらに、川島囃子の活躍の場は国内にとどまりません。
1999年にはアイルランドで、2016年にはベトナムで公演し、現地で好評を得ました。
特にベトナムでは、会場に入りきれなかった観客が出たり、国営放送のニュースで取り上げられたりするなど、多くの関心が寄せられました。
いわゆる「公演」のほか、地域の施設への訪問も川島囃子ならではの活動。
高齢者施設や保育園、社会の授業で郷土芸能について学んでいる地元の小学校でも、お囃子を披露しています。
川島囃子は地域に欠かせない存在
2016年発行の広報よこはま8月号で、川島囃子保存会の三村守会長は「地域の皆さんが喜んでくれることや、幸せになってくれることをしたい」と語っています。
その言葉どおり、地域を元気づける活動を長年続けている川島囃子保存会は、多くの人にとって欠かせない存在です。
区内で地域を行っている人が中心となって編集した「ほどがや語りべ集」にも、
「先人先輩から受け継がれた日本人の心を表現していく伝統を後世に伝え後継者を育成する、囃子を通じて社会奉仕に努める、そして文化交流を積極的に推進するという使命をもってこれからも活動してまいります」
という三村会長の言葉が掲載されています。
こういう活動を続けている人たちがいるということは本当にすごいことだと、あらためて感じました。
また、お祭りやイベントでお囃子を楽しめる日が戻ってきたら、みんなで足を運びたいと思います。