金沢八景「鰻松」はタレが決め手!うなぎの名店
鰻松は「金沢八景駅」から歩いて約10分、龍華寺の隣にあるうなぎの名店です。
1868年に創業した鰻の名店で、明治時代から受け継がれるタレが使われています。
鰻松と言えば、伊藤博文が訪れたことでも有名。
ここでは、横浜市金沢区洲崎町にある老舗鰻屋「鰻松」を紹介するコンテンツです。
金沢八景「鰻松」はタレが決め手!うなぎの名店
金沢区は、横浜市内の南端に位置する海と山に囲まれた自然豊かな場所となっています。
そのため、漁業が盛んな金沢区で獲れる有名な海産物は「海苔/あさり/穴子」など…。
一方で「うなぎ」の名店が多く立ち並んでいることをご存知でしょうか?
その中で、特に地元民から人気のある有名店が「鰻松(うなまつ)」です。
鰻松は、明治時代の1868年に創業した老舗。
かつては、日本の初代内閣総理大臣を務めたことで知られている伊藤博文も訪れました。
伊藤博文は金沢八景の野島という場所に金沢別邸があったため、その際に通っていたそう。
「鰻松ってどんなお店?歴史は?」「どんな味?」「アクセスと営業時間と定休日は?」
今回は、金沢区の歴史ある老舗・鰻屋「鰻松」をお伝えします。
鰻松 1868年創業の伊藤博文も訪れた老舗
そもそも、鰻はいつ頃から食用として食べられるようになったのでしょうか?
うなぎを食べるという歴史を遡ると、すでに縄文時代から食べられていました。
しかし、一般的にうなぎが食べ物として定着し始めたのは、江戸時代以降です。
徳川家康が江戸の土地発展を目指し、作った湿地にうなぎが住みついたことがきっかけ。
その後、うなぎが滋養強壮に良いことから「労働者の食べ物」として広まっていきました。
おもに金沢八景近郊の川(内海)では、明治時代〜戦前頃まで鰻漁を生業にしていたそう。
鰻松は、1868年(明治元年)に創業。
この名残として、現在も金沢八景駅周辺には鰻屋が3軒ほどあります。
鰻は「鰻ビク」という昔ながらの捕獲器を使用して、仕掛け漁が用いられていました。
また、日本刀を細工した道具「うなぎ鎌」でもうなぎが漁獲されていたのです。
歴史ある老舗鰻屋ということもあり、これまでに多くの著名人が訪れています。
特に有名なのは、日本の初代内閣総理大臣を務めたことで知られている伊藤博文です。
明治時代、富岡・金沢エリアは東京近郊の海浜別荘地として注目されていました。
1898年、伊藤博文は風光明媚な金沢八景(野島)を気に入り「金沢別邸」を建てたのです。
現在も保存されている旧伊藤博文金沢別邸は、横浜市指定有形文化財へ登録されています。
このような理由で、伊藤博文は金沢別邸から近かった鰻松へ何度も訪れていたそう。
一方で戦後の食料難が続き、鰻も高級品となった影響から家庭で食べられなくなりました。
そのため、戦争中〜戦後に鰻松では「外食券」が使われていたのです。
鰻の量が制限されていた当時、決められた回数のみ食べられた食事券となります。
店内には金沢八景と鰻漁の歴史を学べる展示が数多くあり、とても興味深かったです。
他にも「伊藤博文公と金沢別邸」など、金沢八景の歴史に関する書籍も置いてありました。
ちなみに、現在の鰻松では静岡県を流れる「大井川」で育ったうなぎが使用されています。
富士山と南アルプスの湧水が自然に流れ出ている「大井川」。
水質が良好で水量も豊富なため、うなぎの成長に適した場所となっているのです。
1番人気は絶品の鰻重 値段とメニューは?
ここからは、鰻松へ訪れた際の店内の様子とメニューについてご紹介します。
訪れる際は、ぜひ参考にしてみてくださいね。
訪れのは土曜日でしたが、13時頃到着すると入口と店内でお客さんが数組待っていました。
外観は歴史ある木造建築2階建て日本家屋で、看板に書かれた「鰻松」も趣がありますね。
待ち時間がある場合は、店内入ってすぐの所にあった用紙へ名前を記入して待ちましょう。
順番まで外で待っていると、うなぎの置物を発見。
1階はテーブル席とお座敷、半個室のようなテーブル席がありました。
席数は決して多くないため、土日祝日になると1時間待ちなんてことも珍しくありません。
入口右側の階段から上がる2階は広めの座敷や個室があるため、宴会などに利用されます。
鰻重は「半(2,700円)/並(3,500円)/上(4,200円)/特上(4,900円)」の4種類。
メニューを見ると鰻重の他に鰻丼もありましたが、やはり人気なのは「鰻重」だそうです。
鰻重のうなぎは半が0.5枚分、並が1枚分と値段が上がると半身ずつ増えていきます。
料理が到着し、鰻重の入った重箱と肝吸い、付け合わせに漬物の3点セット。
重箱には、歌川広重の作品で有名な「野島夕照」が描かれています。
テーブルには、2種類の山椒が置いてありました。
瓢箪に入った方は通常の山椒で、丸い器に入っているのは激辛山椒です。
鰻へ直接かけると辛さに負けてしまうため、ご飯へ少しずつかけるよう説明があります。
重箱を開けると、お米が見えないほどいっぱい乗った肉厚なうなぎはタレで輝いています。
食感は外カリっ中フワっとして柔らかく、口の中に入れれば一瞬でなくなってしまうほど。
タレは甘さ控えめでお米が浸るほど掛かっていないため、あっさりと食べられました。
タレに入っている砂糖は少なめですが、甘さを出すのに1年以上熟成させているとのこと。
このタレは明治時代の製法と味を現在も守り、受け継がれています。
鰻の生臭さや小骨も気にならず、皮も適度な脂で身と一緒に切れるほどの柔らかさです。
お米の量もそこまで多くないため、女性で「並」や「上」を頼む方も多いとのことでした。
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定休日と営業時間について
鰻松の定休日は「毎週水曜日」です。
一方で、土日祝日/ゴールデンウィーク/夏休み/年末年始は基本的に営業しています。
営業時間は、昼の部(11時〜15時)と夜の部(16時〜20時)に分かれていました。
ただし、その日のうなぎが無くなり次第終了となるため、ご注意ください。
土日祝日など行列ができる日には営業時間前で売切れるため、余裕を持って訪れましょう。
鰻松への交通アクセス
それでは最後に、鰻松までの交通アクセスをお伝えします。
アクセスは、京急線「金沢八景駅」から歩いて約10分です。
金沢八景駅のロータリーを抜けると、すぐに車通りの多い「国道16号線」が見えます。
横断歩道で反対側に渡り、左折して磯子方面へまっすぐ進みましょう。
右側に瀬戸神社の鳥居やコンビニがありますが、直進します。
瀬戸橋を通過して道なりに約300m進むと「洲崎町」交差点があるため、ここを左折。
さらに約200m進むと、歴史ある木造2階建てが目印の「鰻松」に到着です。
ちなみに、車で訪れる際は7台まで駐車できる専用駐車場が近くにありました。
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2024年 土用の丑の日はいつ?食べるようになったきっかけ
2024年の「土用の丑の日」は、7月24日(水) と 8月5日(月) です!
うなぎ屋は、江戸時代から夏の売上が少なかったそう。
そこで、平賀源内の提案で「土用丑の日」が設けられ、大繁盛したと言われています。
その後、他のうなぎ屋も「土用の丑の日」を真似するようになり、習慣が定着したのです。
現在では、スーパーや飲食店でも「土用の丑の日」というものが広く浸透してきました。
土用の丑の日は、混雑することが予想されます。
しかし、近年ではあくまで「夏バテからの体力回復」を目的として食べられることがほとんど。
そのため、訪れる日程をずらした前後で訪れてみてはいかがでしょうか?
金沢区 鰻松で歴史ある「鰻重」を堪能しよう!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、金沢区にあるうなぎの老舗「鰻松」をお伝えしました。
少しでも参考になれば幸いです。
鰻松は歴史ある鰻屋というだけでなく、タレの相性が抜群なうなぎが魅力。
なかには自転車で来店する方も多く、地元民から愛されている鰻屋さんとなっています。
やはり出来たてが1番美味しいですが、鰻重はテイクアウトもやっていました。
そのため、鰻松を自宅でも食べたい方にはおすすめです。
金沢八景へ訪れた際には「鰻松」の鰻重を味わってみてはいかがでしょうか。