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横浜 鶴見区の馬場は歴史的建物や史跡が多い街

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鶴見区 馬場は歴史的建造物や史跡が多い街
鶴見区西部、鶴見駅西口から坂道を上った場所にある住宅街エリアが「馬場」。
実は、歴史好きの方に嬉しい貴重な歴史的建造物や史跡が多く残るエリアとなっています。
現在は住宅街が広がっていますが、明治時代には天然氷の製造や牧畜が盛んだったことも。
ここでは、そんな鶴見区「馬場」の歴史や魅力を紹介するコンテンツです。

鶴見区 馬場は歴史的建造物や史跡が多い街

横浜市の最東端に位置する海と山に囲まれた自然豊かな「鶴見区」。
鶴見区西部にあり、鶴見駅西口から坂道を上った場所にある住宅街エリアが「馬場」です。
馬場には、今もたくさんの歴史的な建造物や史跡が残っていることをご存知ですか?
寺尾城址 馬場花木園 馬場の赤門 入江川せせらぎ緑道 など…
「馬場ってどんな街?」「街の歴史と変遷は?」「おすすめスポットはどこ?」
今回は、横浜市鶴見区にある「馬場」の歴史や魅力についてお伝えします。

横浜 鶴見区にある「馬場」ってどんなところ?

馬場は、鶴見区西南部の馬場1丁目〜7丁目までが現行行政地名となっています。
山があって緑の多い丘陵地に位置しているため、街全体は坂道となっているのが特徴です。
日常生活では徒歩利用が不便なため、車・バス・自転車などの移動手段が必須となります。
隣接する地域としては、以下の通りです。

  • 西部エリア「上の宮/菊名(港北区)」
  • 北部エリア「北寺尾」
  • 東部エリア「東寺尾」
  • 南部エリア「松見町(神奈川区)」
馬場花木園 説明看板 より

JR線「鶴見駅(西口)」からは、バスで約15分とアクセスの良い立地となっています。
最寄り駅は、この他にJR横浜線や東急東横線の「大口駅/菊名駅/妙蓮寺駅」など…
多くの地域と隣接しているため、交通アクセスの利便性が良いのも魅力の1つです。
エリアとしては住宅街が広がっており、生活に便利な商店街やスーパーが充実しています。

JR「鶴見駅(西口)」バスターミナル
JR線「菊名駅」

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鶴見 馬場の変遷と歴史について

馬場の歴史は古く、室町時代にはすでに存在していたとされています。
鶴見区内に現存する遺跡から、人々が馬場周辺で生活していた跡も見つかっているのです。
殿山の西側、現在は馬場にある神社「馬場稲荷(旧:寺尾稲荷)」。

馬場花木園 説明看板 より

室町時代、5代目寺尾城主だった諏訪馬之助は馬術の才能がなく、とても下手でした。
そこで、上達したい一心で神社に「馬術が上手くなりたい」と願掛けをしたそうです。
願掛け後に馬術が上達したことで「馬上安全/馬術上達」を祈願する神社として有名に。
この逸話も旅人などへ一気に広まり、江戸をはじめとする近郊から参拝客が増加しました。
そのため、当時は「馬上安全 寺尾稲荷道」という道標も立っていたそうです。
江戸時代になると鶴見橋を東海道が通り、川崎宿と神奈川宿の間にあった「鶴見」。
宿場町として栄え、参勤交代の大名や旅人が往来し、茶屋なども立ち並ぶエリアでした。
ここは立地も良かったため、ゲン担ぎとして参拝客が多く訪れるスポットだったのです。

明治時代に入り、鶴見区の多くの村が神奈川県へ編入します。
1889年には市町村制が施行され、鶴見区に「町田村/生見尾村/旭村」が合併しました。
ちなみに、それぞれの村は現在で言うと以下の市町村に該当します。

  • 町田村 → 町田市
  • 生見尾村 → 生麦/鶴見/東寺尾
  • 旭村 → 鶴見区西部/神奈川区/港北区の一部エリア(現存する地域なし)
馬場花木園 説明看板 より

そして、この馬場村は旭村に属しており、1927年になると横浜市に編入されました。
馬場地区は、鶴見区内でも農業人口の多い地域として「純農村」で暮らしていたのです。
丘陵地が多かった馬場の多くは山林や畑で、低地の湿地には田んぼが点在していました。
そんな馬場地区が開けてきたのは、昭和初期の1932年以降です。
バス道路が整備されたことをきっかけに、水道管など生活に欠かせない設備も整いました。
これに伴い、1955年から急速に住宅が建ち始め、現在に至ります。

馬場花木園 説明看板 より

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かつての馬場村は天然氷を製造していた!?

もともと農業が中心だった馬場の街は、明治時代になってさまざまな変化がありました。
「馬場村が旭村へ合併」「鶴見区が神奈川県に編入」など…
それと同じ頃、馬場村周辺では「天然氷の製造」も盛んになっていったのをご存知ですか?
明治時代に入り、食料品の貯蔵などを目的とした「氷冷蔵庫」の需要が高まったのです。

馬場花木園 説明看板 より

まだその当時、現在のような高性能の冷蔵庫はありません。
そのため、木製クーラーBOXのような上下に扉が付いている「氷冷蔵庫」が主流でした。
上段に氷/下段に食品を入れ、上段に置いた氷の冷気で下段の食品を冷やしていたのです。
特に、日本で初めて開国した横浜には、外国人居留地が数多く点在していました。

「ペリー提督横浜上陸の図」(横浜開港資料館蔵)
横浜赤レンガ倉庫の歴史 – 横浜赤レンガ倉庫

その影響から海外へ食品を輸出入することも多かったため、氷の需要も高かったのです。
馬場村が属していた鶴見区は、東京と横浜どちらも近く、氷の運搬に適していました。
このようなことから、明治時代中期頃から氷の製造が行われていたのです。
馬場村の中でも、生産に適していたのが「谷戸の奥地」。
山のある丘陵地に立つ谷戸には、短時間で豊富な清水が湧き出る採氷池に好条件でした。

馬場花木園 説明看板 より

「谷戸」と呼ばれる小さな谷
低地は湧水のある湿地になっていて、田んぼとして利用されました

馬場花木園「旧藤本家住宅 主屋 案内板」より

周辺は東西南の三方向が常緑樹に覆われ、太陽の強い日差しを遮る北向きとなっています。
池の大きさは約165〜330㎡、まわりに幅約75cmの板を張り巡らせました。
また、池底を漆喰で平らに塗り固めることで、見た目も美しい真四角の氷が作れるのです。
これは、見た目以外にも土砂や汚水の流れ込むのを防ぐという理由もあります。
当時、県が実施していた厳しい衛生検査を受けなければ氷を作れませんでした。
このような衛生上の観点から、池周辺に小さな溝を作ることが義務付けられていたのです。
氷の製造時期は、大体冬頃で「1月上旬(大寒)〜3月上旬」の約2か月でした。
製氷シーズン中は農閑期だったため、農家の副業として行っている方が多かったのです。

馬場花木園 説明看板 より
馬場花木園 説明看板 より

氷の作り方としては、以下の通りとなっています。

  1. 池の氷が厚み約10cmで凍るように調整する
  2. 凍った氷を45×60cmの規格サイズに切り出す
  3. 氷室小屋に貯蔵する

大正時代中期になると衛生検査がより厳しくなり、飲料用としては使えなくなりました。
また、飲料用として使えなくなった氷自体の価格単価も大きく下がってしまったのです。
そして、機械製氷も登場して安価で高品質な氷を手軽に製造できるようになりました。
このような理由から、天然氷の製造需要もなくなり、徐々に姿を消していったのです。
ちなみに「獅子ヶ谷市民の森」では、かつての天然氷の採氷池跡を現在も見れます。
こちらもぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

馬場花木園 説明看板 より

馬場に残る歴史的建造物や史跡おすすめスポット

ここからは、実際に馬場にある歴史的建造物や史跡を4つご紹介いたします。
訪れる際は、ぜひ参考にしてみてくださいね。

馬場花木園

まず1つ目のおすすめスポットは、馬場2丁目にある風致公園「馬場花木園」です。
回遊式の庭園が特徴的な馬場花木園は、1999年に横浜市の管理によって開園しました。
敷地面積は21,564㎡ですが、2019年には園内が一部リニューアルしたのです。
そのため、現在は敷地面積がさらに拡大したことで約22,000㎡となりました。

池 庭園 古民家 山野草 竹林 茶室 など…
1番の魅力は、園内すべてのエリアを無料で楽しめることで、その広さに驚きました。
園内は、大きく「池/山野草/古民家」の3エリアに分かれているのが特徴です。
池エリアには、回遊式の日本庭園を感じさせる植物や遊歩道などが整備されています。
ここでは、1年を通して四季折々の風情あるさまざま景色を楽しめるのです。
特に、6月下旬〜夏頃に見頃を迎えるのが「蓮の花」でここからの眺めは絶景でした。

山野草エリアには、園内北側に見上げるほど高くて迫力ある立派な竹林があります。
夏は涼しく、青々とした小径は静けさに包まれ、壮大な空間が広がっていました。
都会では、滅多に見れない土の中からニョキニョキと成長中するタケノコも見れます。

古民家エリアには「横浜市特定景観形成歴史的建造物」の旧藤本家住宅がありました。
建物は江戸時代末期に建てられ、2011年まで住居として使われていた歴史があるのです。
主屋と東屋が並び、中へ入って見学できる主屋は歴史を残す資料施設となっていました。
開園時間は9時〜17時、休園日は毎月第3火曜日(祝日の場合は翌日)です。
横浜市営バス「西寺尾建功寺前」バス停で下車し、歩いて約8分となっています。

横浜 鶴見区の馬場花木園は歴史ある風致公園 – 横浜で暮らそう

馬場の赤門(旧澤野家長屋門)

次に2つ目は、地元の方々から馬場の赤門で親しまれている「旧澤野家長屋門」です。
この通称「馬場の赤門」と呼ばれる旧澤野家長屋門は、1855年に建築されました。
当時、馬場の名主(村の長)を勤めていたのが「澤野家」。
そんな澤野家にあった立派な赤色の長屋表門が「馬場の赤門」なのです。

江戸時代の名主(代宮の支配下に村内の民政を扱った)屋敷の長屋門で幕府より紅がらぬりを許された。安政年間1855年に建てられ東寺尾、北寺尾、西寺尾、馬場、4ヶ村総代名主当時の建物です。

「馬場の赤門」案内板 より

表門を赤色にするには幕府の許可が必要でしたが、唯一塗ることが許されていたのです。
広いお屋敷には主屋を含め、当時さまざまな建物が建っていました。
しかし、火災や建て替えなどを経て、取り壊わされてしまったのです。
その後、この長屋門だけが残り、名主であった屋敷としての面影を伝えています。

現在、旧澤野家屋敷地跡は「馬場赤門公園」として整備されていました。
園内に遊具はなく、広場とひっそりと石碑が建っているだけとなっています。
長屋門は、横浜市認定歴史的建造物に認定され、重要建造物として保存されているのです。
横浜市営バス「西寺尾建功寺前」バス停で下車し、歩いて約8分となっています。

入江川せせらぎ緑道

3つ目のおすすめスポットは、街にある憩いの場所「入江川せせらぎ緑道」です。
馬場エリアは住宅街となっていてバス通りがあるため、交通量も多くなっています。
しかし、大通りを1本入った住宅街にひっそりと流れる小川と遊歩道がありました。
ここは、鶴見区から神奈川区を流れる入江川上流部に位置する全長約1kmの散策路です。
入江川せせらぎ緑道は、そのうち東寺尾1丁目から馬場方面へ東西に延びています。

せせらぎ緑道を歩いていると、こんな案内板を発見しました。

かつて山からの湧水を水源としたこの川は建功寺川と呼ばれている。戦国時代の武士が武具や身体を洗い流したことから血の川と呼ばれていたと言う謂われもあるが上流の土壌が赤かった為川に流れ込んで川底が赤く染まったからと言う説もある。今では水と緑のやすらぎの散歩道として親しまれている。

「入江川せせらぎ緑道」案内板 より

入江川は、かつて「建功寺川」と言われていました。
建功寺川の歴史は古く、戦国時代までさかのぼります。
この川は、武士が武具や身体を洗い流したことから「血の川」とも呼ばれていたそうです。
しかし、案内板では上流にあった赤色の土壌が血の色に見えたという説も。
詳しいことは分かりませんが、すでに戦国時代から存在していた歴史ある川なのです。
そんな入江川も、工場/家庭排水/不法投棄など都市化によって汚染されていました。
そのため、ここを清掃して地元の方々がくつろげる小川へ改修し、整備したのです。
それまで、下水道として忘れ去られていた入江川がせせらぎ緑道に生まれ変わりました。

犬の散歩 ランニング ベンチでおしゃべり など…
私が訪れた際も、何人か地元の方々とすれ違いました。
ちなみに春は桜、秋は紅葉が見られる穴場スポットとなっているのです。
小川ではカモが泳ぎ、水の中に魚の姿が見えるほどの透明度となっていました。
住宅街を流れ、ひっそりと佇む入江川せせらぎ緑道は憩いの場として親しまれています。
緑が多く、歩いているだけでもとても気持ちの良い場所でしたよ。
横浜市営バス「西寺尾建功寺前」バス停で下車し、歩いて約5分となっています。

寺尾城址

最後の4つ目は、室町時代の面影を残す寺尾城跡「寺尾城址」です。

JR京浜東北線の鶴見駅西口から川崎鶴見臨港バスの殿山バス停から馬場三丁目の坂道をのぼった住宅地の一角に「寺尾城址」の碑がある。殿山と呼ばれる丘の上には、その昔寺尾城があったと伝えられている。お城といっても天守閣のあるような立派な建物ではなく、砦のような山城であったようだが、寺尾城についてはその全容はなぞに包まれており、未だ解明されてはいない。信州の豪族諏訪氏が1436年ごろに築城し、1569年、武田信玄が小田原城を攻撃したとき、城主が小田原城の守備に出向いていて留守の間に武田軍に攻められ、落城したと伝えられている。

第8回:なぞに包まれた中世の寺尾城(その1)- 横浜市鶴見区
馬場花木園 説明看板 より

室町時代、馬場地区は小田原後北条氏の支配下にありました。
そのため、この馬場・寺尾地区一帯が家臣の諏訪氏によって支配されていたのです。
現在の寺尾に領地を与えられた諏訪氏は、馬場3丁目の殿山に「寺尾城」を構えました。
詳しい築城時期については不明ですが、1429〜1441年頃。
その後、1569年に武田信玄が小田原へ侵攻した際に落城されたと言われています。
これが「寺尾城址」となり、当時の面影を感じる崖や堀などが現在も残っているのです。

書物などの寺尾城全体に関する情報が残っていないため、詳しい内容は分かっていません。
ただ、重要な砦や城柵のようなものはなかったのはないかとも言われているのです。
また、標高38mの丘にある住宅街には「寺尾城址」と彫られた記念碑が建っていました。
横浜市営バス「殿山」バス停で下車し、歩いて約5分となっています。

横浜 鶴見区の馬場で歴史を感じるスポットを巡ろう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、鶴見区にある「馬場」の歴史や魅力についてお伝えしました。
少しでも参考になれば幸いです。
横浜市鶴見区西部の丘陵地で、住宅街エリアにあるのが「馬場」。
馬場は、古くからの貴重な歴史的建造物や史跡が多く残る穴場スポットとなっています。
意外と知られていないため、マニアックな歴史好きの方にはおすすめの場所です。
そんな馬場の歴史や魅力を知った上で、訪れればさらに満喫できること間違いなし。
タイムスリップしたような馬場の街へ足を運び、古に想いを馳せてみませんか。

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