夏に行きたい!海の公園は横浜唯一の海水浴場
連日30度を超える猛暑日が続き、2023年も真夏がやってきました。
1年を通して国内外多くの観光客で賑わう、人気の観光地「横浜」。
これからは、夏休みなどのお出かけする機会も増えてくる時期ですね。
ここでは、横浜市内で唯一の海水浴場「海の公園」を紹介するコンテンツです。
夏に行きたい!海の公園は横浜唯一の海水浴場
みなさんは、横浜市内でも海水浴場を楽しめることをご存知でしょうか?
神奈川県内と言えば、全国でも有名な海水浴場の人気スポットがたくさんあります。
逗子 湘南 江ノ島 由比ケ浜 三浦海岸 など…
そのため、横浜市内にも海水浴場があることをあまり知られていません。
実は、横浜市内にも海水浴場が楽しめる穴場スポットがあるのです。
今回は、横浜市内で唯一の海水浴場がある「海の公園」についてお伝えします。
2023年の海の公園 海水浴場オープン期間は?
海の公園における、海水浴場のオープン期間についてお伝えします。
2023年は、7月8日(土)に海開きしました。
そのため、海水浴場オープン期間は「7月8日(土)~8月31日(木)」まで。
利用可能時間は、ライフセーバーによる監視活動のある毎日「8時30分~17時」です。
いずれも無料で利用できる大型休憩テントやシャワー更衣室も設置されています。
海の公園ってどんなところ?
海の公園は、1988年に開園し、敷地面積470,000㎡を誇る自然豊かな公園です。
園内は、3つのアクティビティエリアに分かれています。
- 横浜で唯一の「海水浴場」
- 園内をぐるっと一周している「芝生広場」
- 手ぶらで楽しめる「バーベキュー場」
この場所は、浮世絵で有名な歌川広重も描いた金沢八景「乙艫帰帆」の乙艫海岸です。
もともと海水浴もできる海岸でしたが、広い砂浜を造成するため、1970年代に埋め立てが行われました。
埋め立ての砂は、千葉県富津市から山砂が運ばれ、海底に約5年間仮置きしたものです。
「海の公園」海水浴場は、人工的に作られた砂浜となっています。
そのため、よく見ると、色や質の違う砂が混ざっていました。
「白くてサラサラな砂」と「黒くて固めな砂」があり、その違いは、ぜひ足を運んで確かめてみてくださいね。
この全長1kmもある砂浜では、毎年春に潮干狩り・夏に海水浴をする方で賑わいます。
アサリが採れる潮干狩りは、メディアでも取り上げられるほどの県内定番スポットです。
横浜シーサイドライン「八景島駅」前の海岸には安山岩があるため、磯遊びができるようになっています。
カニやアサリなどの小さな生き物たちが息づく広い砂浜は、小さなお子様連れでも安心して水遊びを楽しめます。
海では、ウインドサーフィン・ボートセーリング・ビーチバレー・ビーチサッカーなどができる場所が充実しています。
そのため、マリンスポーツを行う方々からは人気の場所です。
海の向こう岸には、八景島シーパラダイスの遊園地エリアが見えています。
休日に行きましたが、テントを張る方・部活動の練習をする学生・浜辺で楽しむ親子など、年齢層はさまざまでした。
海水浴をする方には、砂浜での汚れを落とす足洗い場もすぐ近くに設置されています。
海水浴シーズンになると、常設以外にも仮設のシャワー室が完備されるのです。
そのため、帰りの汚れなどを気にせず、思いっきり楽しむことができるのは嬉しいですね。
そして、海水浴場を奥へ進むと、バーベキュー場が見えてきます。
ここは、八景島が一望できる最高のロケーションと開放感のあるバーベキュー場となっています。
バーベキューが手ぶらで楽しめるのは嬉しいですね。
ぜひ、家族・友達・恋人など… みなさんで楽しんでみてはいかがでしょうか。
園内を一周すると、ドッグラン・グラウンド・多目的スペース・水遊び場・サッカー場・ストリートバスケットコートなどを発見しました。
また、園内をぐるっと囲むようにジョギングコースにもなっているため、たくさんの走っている方とすれ違いました。
他にも、売店・温水シャワー室・更衣室などが備えられているため、安心ですね。
海の公園は、海水浴場以外にたくさんの施設があるため、季節を問わず1日楽しめるおすすめスポットです。
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「海の公園」までの行き方は?
そして、海の公園までの行き方と、交通アクセスについてお伝えします。
海の公園は、車/電車/バスで行くことができます。
まず、車で訪れる場合の交通アクセスです。
[車で行く場合]
- 横浜横須賀道路「並木IC」から、国道357号線で約2.5km
- 首都高速道路湾岸線「幸浦」出口から、国道357号線で約2.5km
駐車場料金
1時間:310円/[駐車後12時間]最大:1,550円([12時間以降]1時間:310円)
駐車場は有料となっていますが、約1,700台の車が駐車できるようになっていました。
ただ、毎年の海水浴場シーズンになると、週末は朝から渋滞ができるのです。
混雑を避けて利用したい方は「午前中に交通機関」で訪れることをおすすめします。
次に、電車とバスで訪れる場合の交通アクセスです。
[電車で行く場合]
- JR根岸線「新杉田駅」→横浜シーサイドライン「海の公園駅」「八景島駅」
- 京急線「金沢八景駅」→横浜シーサイドライン「海の公園駅」「八景島駅」
「海の公園駅」柴口もしくは南口、「八景島駅」から歩いて約3分となっています。
最寄り駅の利用は、横浜シーサイドラインが1番近くて便利でした。
横浜シーサイドラインは「海の公園駅」柴口と南口2か所と「八景島駅」の計3か所が利用できます。
ただ、横浜シーサイドラインから他の路線への乗り換えが必要なため、注意が必要です。
[バスで行く場合]
- 京急バス「金沢文庫駅」から乗車「海の公園」で下車(所要時間:約20分)
- 京急バス「金沢文庫駅」から乗車「海の公園」で下車(所要時間:約20分)
京急バス「金沢文庫駅」の乗り場は、駅改札口を出て西口のバスターミナルです。
また、京急線「金沢文庫駅」からは歩くこともできますが、徒歩約20分のため、あまりおすすめしません。
横浜市と海水浴場の歴史について
海水浴は、夏の定番レジャーとして人気ですが、実は海外から持ち込まれた文化なのです。
調べてみると、このような記載がありました。
江戸時代末までの日本にはない習慣であった。
安政6年(1859)の横浜開港以降、外国人居留地で暮らしていた欧米人が日本に持ち込んだ西洋文化のひとつが海水浴なのである。
横浜謎解き散歩 – 小市和雄 監修
当初、海水浴はレジャーというよりも手軽に行える健康療法として親しまれていた。海で泳ぐのではなく海水に浸かることで、病気に負けない健康体へと改善するのが目的である。欧米では、19世紀に有効な治療法が存在しなかった死の病・結核の治療法としても、海水浴が採り入れられていた。
横浜謎解き散歩 – 小市和雄 監修
しかし、欧米で海水浴が広まった当時は、身近な健康療法の1つだったようです。
そのため、結核の治療法として海水浴が広まっていました。
これは、当時の日本で言うと、冬の温泉に浸かって傷口を治す「湯治」のようなものだったのでしょう。
そして、日本の海水浴における歴史は、江戸時代の横浜にさかのぼります。
日本初の海水浴が山下に設けられたのは慶応元年(1865)のこと。今は山下公園となっている外国人居留地のフランス波止場の沖合に、海水浴ボートを設置した。居留地の欧米人たちは、フランス波止場から送迎用ボートで海上のボートまで向かい、そこで海に浸かるなどしていたと思われる。開業期間は5月1日から10月1日まで、使用料は1シーズン12ドル、1ヵ月5ドルで、会員制であった。同年8月5日には会員による横浜で最初の水泳大会が開催された。
横浜謎解き散歩 – 小市和雄 監修
現在の山下公園一帯は、日本初の海水浴場となっていました。
この頃になると、健康療法から人々が楽しむためのレジャーに変化していったのです。
そもそも、島国である日本にとっての海は、人々が生活をする上で重要な場所でした。
それまでは、漁師や海女などが海を生業として食べ物を獲り、生計を立てていたのです。
また、日本人にとっての海は、恩恵を受けている神聖な場所でもあったのです。
現在でも神仏に祈りを捧げるため、一部の地域では海に入ったりします。
その1つがお祭りや新年の行事などで、海で汚れを払う行為「みそぎ」です。
そのため、夏になると人々が海で「海水浴を楽しむ」という光景は珍しいものでした。
かつては海の公園以外にも海水浴場があった!?
横浜は臨海部にあるため、工場など京浜工業地帯のイメージが強いのではないでしょうか。
現在、横浜市で楽しめる海水浴場は、金沢区にある「海の公園」のみとなっています。
ところが、かつて横浜市内には海水浴場ができる場所がいくつかあったそうです。
ここからは、以前あった横浜市内の海水浴場についてお伝えします。
中区の山下から本牧、磯子区の根岸・磯子・杉田、金沢区の富岡までは、
数多くの海水浴場がひしめくエリアであった。
横浜謎解き散歩 – 小市和雄 監修
現在でいうと、下記の場所が海水浴場として、賑わっていたスポットだったそうです。
- 山下公園/本牧 周辺(中区)
- 根岸/磯子/杉田 周辺(磯子区)
- 富岡 周辺(金沢区)
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当時、外国人居留地がなかった金沢区にある、富岡周辺の海水浴場はそこまで賑わっていませんでした。
しかし、ヘボン式ローマ字の創始者・ヘボン氏によって、海水浴場の認知度が広まっていったのです。
医師としても活躍していたヘボン氏は、日本の医療に貢献していました。
そして「富岡の海は東京湾で1番の良海」と紹介し、自らも海水浴を行っていました。
その際に、金沢区にある海の絶景を気に入り、たまたま訪れていたのが後の初代内閣総理大臣・伊藤博文だったのです。
海水浴が一般的に広まっていない時代だったため、海に浸かっているヘボン氏を疑問に感じました。
そこで、何をしているのか聞くと、塩分を多く含む海水に浸る健康療法「潮湯治(しおとうじ)」を行っていると答えたそうです。
そして、ヘボン氏に効能を聞くと「夏に海に入れば冬に風邪を引かないから」と言いました。
医師であったヘボン氏の意見に興味を持った伊藤博文は、身をもって体験するため、すぐに実行しました。
その後、身体に効果が現れた伊藤博文自身が「富岡の潮湯治」と命名したことで、お墨付きを得た「富岡海水浴場」は、多くの人々に広まったのです。
明治3年(1870)ごろには本牧十二天、明治8年ごろには富岡に海水浴場ができ、欧米人が海水浴に訪れた。
明治15年ごろからは、
山下一帯で海水浴を楽しむ人が増加する。しかし、大正4年(1915)に山下の海沿いの埋め立てがスタート。そこで、本牧や富岡だけではなく、その間に位置する根岸、磯子、杉田にも次々に海水浴場が開かれ、多くの日本人でにぎわいを見せた。
横浜謎解き散歩 – 小市和雄 監修
大正初期の1911年には、本牧に路面電車が開通しました。
そのため、海水浴が「庶民の夏レジャー」として定着していきます。
本牧の海水浴場は1つではなく複数あり、名称も付くほど広かったそうです。
- 本牧十二天
- 小港水泳場
- 松原海水浴場
- 花屋敷海水浴場
- 市設海水浴場
- 一ノ谷
- 二ノ谷
- 三ノ谷
- 間門海水浴場 など…
関東大震災の復興事業として横浜市助役だった楢岡徹らが、市内の瓦礫などを使って海を埋め立て造成し、1930年(昭和5年)3月15日開園。面積は7.4ha。開園当時は現在の沈床花壇部分が泊地になっており、その名残が氷川丸の横にある小さな橋に見られる。
山下公園 – Wikipedia
一方、海水浴として賑わいを見せ始めた頃に、山下周辺で海沿いの埋め立てが始まってしまいました。
その埋め立てによって完成したのが、現在の山下公園なのです。
本牧や富岡の海水浴場には多くの人が訪れ、大混雑しました。
そのため、中間エリアにあった「根岸/磯子/杉田」にも海水浴場がオープン。
この頃から健康療法よりレジャーとしての娯楽に変化していったのです。
なにより、海水浴は横浜から日本各地に広がっていったと言われています。
この海水浴は、明治時代から昭和30年代頃まで行われ、とても賑わっていたのです。
そのため、本牧の海水浴場周辺にはたくさんの海水浴に関連する施設がありました。
なかでも特に驚いたのは、関連施設に遊園地があったことです。
子どもから大人まで楽しめる海水浴場では、子ども向けの娯楽施設も充実していたんですね。
「富岡海水浴場」のあった金沢区は産業の振興を図るため、工業地帯へ変化。
こうして戦後の1950年代を境に、横浜市内の海水浴場は徐々に姿を消していったのです。
そして現在、横浜市内で海水浴が楽しめるのは「海の公園」のみとなっています。
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これを機に「本牧/杉田/根岸/富岡」と次々、埋め立てが決定し、工事が着手されます。
本牧から杉田までの根岸湾の埋め立てが行われたのは、昭和34年(1959)から昭和46年。富岡から平潟にかけての金沢区沿岸部の埋め立てが実施されたのは、昭和46年(起工式)から昭和63年にかけてのことである。
横浜謎解き散歩 – 小市和雄 監修
現在では、一般の方でも購入できる「工場直売エリア」として人気になりました。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、横浜市内で唯一の海水浴場「海の公園」についてお伝えしました。
少しでも参考になれば幸いです。
現在では、横浜市内で唯一の海水浴場となってしまった「海の公園」。
週末のアクティビティを満喫しに「海の公園」へ訪れてみてはいかがでしょうか。
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