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矢向駅ってどんなところ?住みやすさは?

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矢向駅ってどんなところ?住みやすさは?
みなさんは、JR南武線「矢向駅」をご存知ですか?
「周辺エリアに住んでても知らない」「聞いたことはあっても行ったことがない」
ここでは「矢向駅」の見どころや住みやすさを紹介するコンテンツです。
横浜「矢向」で住まいをお探しの皆さんは是非ご検討ください。

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矢向駅ってどんなところ?住みやすさは?

「矢向」を何と読むか分かりますか?
正解は…「やこう」です。
矢向駅は、横浜市の最東端に位置する海と山に囲まれた自然豊かな「鶴見区」にあります。
横浜観光の定番である西区や中区と比べると、下町の雰囲気が残る街となっています。
そのため、商店街や古い住宅が今も多く残り、人情味溢れているのも魅力の1つです。

そんな中、多摩川と鶴見川に挟まれている平地となっているのが「矢向」。
そして、矢向の最寄り駅である「矢向駅」は、JR南武線のうちの1駅です。
以前には「ARUHI 本当に住みやすい街大賞2019」の第10位に選ばれたこともあります。
交通の利便性が良く、大型商業施設も生活圏内にあるため、住みやすい街です。
「どんなところ?」「交通アクセスは?」「駅周辺には何があるの?」「住みやすさは?」
今回は、そんな横浜市鶴見区にある「矢向駅」周辺についてお伝えします。

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矢向駅って何市なの?

「矢向駅」周辺は、横浜市鶴見区と川崎市幸区が隣接する中間エリアにあります。
JR南武線「矢向駅」の1駅先である「尻手駅」は川崎市幸区となっているのです。
そのため「そもそも何市何区にあるの?」と疑問に感じる方も多いのではないでしょうか。
「矢向駅」は「横浜市鶴見区」と「川崎市幸区」に位置しているのです。
正確に言うと、駅舎とホームのある南側が「横浜市」、北側が「川崎市」となっています。

南武線の駅は、以下の通りです。
川崎(川崎)〜 尻手(川崎)〜 矢向(横浜/川崎)〜 鹿島田(川崎)〜 平間(川崎)…
このように、唯一「矢向駅」と「尻手駅」だけが横浜市と川崎市の境界にあるのです。
そのため、土地の住所的にも横浜市と川崎市が混じる紛らわしい場所となっていました。
ちなみに、川崎市にも「夜光」という地域があります。
どちらの地名も「やこう」と読むため、こちらも紛らわしいですね。

「矢向駅」から、10分ほど歩けば「尻手駅」に到着します。
「尻手駅」周辺も「川崎市幸区」と「横浜市鶴見区」が混在する場所がありました。
このようなことから、矢向と尻手は市境が入り混じった住所の難しいエリアなのです。

そして「矢向駅」周辺エリアは、ギリギリ「横浜市鶴見区」となります。
また、京急線「鶴見市場駅」も近いですが、こちらも同じく市境が混ざっている感じです。
実際に足を運び、散策しながら市境を探してみるのも面白いですね。

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「矢向駅」地名の由来と歴史について

それでは、駅名にもなっている「矢向」という地名についてお伝えします。
古来から川が合流する場所「川口」のことは「やこう」と言われていました。
現在の地名である「矢向(やこう)」もここから来ているのでしょうか。
調べて見ると、地名の由来と街の歴史は、江戸時代までさかのぼります。

二ヶ領用水は、毎年のように洪水を繰り返す暴れ川多摩川の治水と新田開発のため、徳川家康の命を受けた用水奉行小泉次太夫によって
慶長2年(1597)に測量を始め、その2年後に開削工事が始まった。
全長32キロメートルの用水路は測量開始から15年の歳月をかけて1611年(慶長16)に完成した。稲毛領37村、川崎領23村、計60村の水田2700町歩(199ヘクタール)に網の目のように張り巡らされた用水路、稲毛領と川崎領の二領を潤したので二ヶ領用水の名がつけられた。
鶴見川を挟んで川崎寄りの市場・矢向地区は江戸時代には川崎領に属していたので、二ヶ領用水の恩恵を受けていた。
鶴見区域は、1927年(昭和2)に横浜市に合併し、潮田・市場・矢向地区にも水道が敷かれた。鶴見臨海部が埋め立てられ京浜工業地帯が形成されて、農地は宅地や工場用地に姿を変えた。二ヶ領用水は工業用水としても利用されたが、水道が普及し、農業用水としても生活用水としてもその役割を終えたとして埋め立てられて、そのほとんどが道路に変貌した。
鶴見区矢向には「二ヶ領用水路地跡」の碑がある。この碑は、1972年(昭和47)に矢向地区の人々が
二ヶ領用水路に架けられていた石橋を再利用して建てたものである。

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ここでは、詳しく分かりませんでしたが、当時は199haもの広大な水田があったそうです。
その水田のためにつくられた用水路が網目のように広がっていました。
現在の矢向が多摩川と鶴見川が合流する「川口(やこう)」だったからかもしれません。
矢向3丁目には「二ヶ領用水路地跡碑」という、当時の水路地跡の石碑が建っていました。
この看板によると、当時は飲料水としても利用されるほど、キレイな用水だったそうです。
その証拠に、夏にはホタルが飛び交い、ウナギやシジミなど海の幸もたくさん採れました。

また「矢向」という地名には諸説あるようで、このような由来もあります。
平安時代後期、関東地方には武蔵七党という武士団がいたそうです。
そのうちの1つに横山党(現在の八王子市が本拠地)という武士団がいました。
武蔵南部から相模西部を統一していた一族の師義は「やこう」に住んでいたそうです。
当時、一族は「やこう」と名乗っていましたが、漢字で「八国府」と表記していました。
千葉県にある地名で「国府台(こうのだい)」と読む場所があります。
古くは「国府(こう)」と読んだことから、この付近も「八つの国府」で「やこう」。
そこにあとから「矢向」という漢字を宛てたのが、現在の「矢向」とも言われています。
先ほどの一説から戦国時代〜江戸時代頃、すでに「矢向」という漢字が定着していました。

「二ヶ領用水路地跡碑」周辺の住宅街

他には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が敵と戦ったことから由来している説です。
合戦の合図として鏑矢を飛ばす「矢合わせ」で、矢の先端の方角が現在の「矢向」でした。
矢が落ちた向き「矢向」という漢字を「やこう」として後付けしたとも言われています。
どの由来が本当か定かではないものの、少なくとも矢向は歴史ある街なのが分かりますね。
ちなみに、隣接する「尻手」という地名は、かつてこの矢向村の一部だったそうです。

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矢向駅の交通アクセスについて

それでは「矢向駅」の交通アクセスについてお伝えします。
「矢向駅」は、JR南武線のみで他路線に乗り換えはできません。
また「矢向駅」は各駅停車のみですが、JR南武線は比較的運行本数が多くなっています。
隣接する駅は「鹿島田駅」と「尻手駅」で、その先の「川崎駅」までは約4分です。
ちなみに「尻手駅」まで歩いて約12分、「川崎駅」まで自転車で約10分となっています。
他にも「武蔵小杉駅」まで約7分、「横浜駅」まで約14分、「渋谷駅」まで約31分です。
都内へのアクセスも良いため、ファミリー以外の単身者にも人気なエリアとなっています。

ただ、乗り換えなしの1本では行けないため、ご注意ください。
そして、駅前には「矢向駅前」バス停がポツンと1つだけあります。
ここからは「生麦 鶴見駅前行き」と「川崎駅西口行き」の2つが出ていました。
時刻表を見ると「鶴見駅前行き」の本数は少なく「川崎駅西口行き」の方が多いです。

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「矢向駅」周辺のおすすめスポットとは?

1つしかないJR南武線「矢向駅」の改札口を抜けると、すぐに広場となっていました。
ただ、人が縦横無尽に行き交うこの広場は不思議なつくりです。
前を見ると、まわりには何もないのにバス停の標識がポツンと立っていました。
歩行者と車が適当な駅前は、昔のまま変わらずに残っている下町っぽくて趣があります。
ロータリーなどは作らず、下町らしい駅前の雰囲気はずっと変わらないでほしいですね。
あとは、立派で太い木もあって近くには「記念樹」と書かれた看板がありました。

この記念樹には、このような記載がありました。

記念樹

昭和2年3月9日に南武線が開通したのを記念して矢向4丁目の良忠寺住職
が境内の20年経た
楠と金モクセイ・モツコクの3本を寄贈され、
この地に移り、地域の発展と共に成長し続けてきた。ところが昭和20年の戦災で駅舎を始め附近一帯が灰と化した時、これら3本の記念樹も類焼したが、この楠だけ奇跡的に蘇生し四季絶えない緑を滴らせるまでになった。
約70年の歳月を逞しく生きぬき、なお繫茂し続けるこの楠は、そのまま街や駅の象徴であり人々から格別の愛着を寄せられている。

昭和48年7月 矢向駅長

矢向駅前「記念樹」看板より

1927年、南武線の開通を記念して良忠寺から当時は樹齢20年だったこの「クスの木」が移されました。
その後、さまざまな歴史と戦災を経て、矢向の街を見守り続けてきたのです。
現在は、矢向駅のシンボルとして乗降客を見守っています。
看板とともに歴史を知らなければ、通り過ぎてしまいますね。
ここからは「矢向駅」周辺を散策しながら、おすすめスポットを4つご紹介いたします。
訪れる際は、ぜひ参考にしてみてくださいね。

矢向商栄会

まず1つ目は「矢向商栄会」です。
「矢向駅」から東西に伸びており、約70店舗が営業している商店街となります。
特に、印象的だったのは二股に分かれている中間に建っている八百屋「やおまさ」。
ちなみに、この八百屋さんは商店街の真ん中あたりに位置しています。
ここは車通りも多く、接客中でも車がガンガン通るため、少し立ち止まってしまいました。
「さすが下町」という雰囲気で、ごちゃごちゃした感じも歩いていて楽しいですね。

矢向商栄会は、貨物路線が走る踏切を跨いで駅から南東方向へ長く伸びている商店街です。
そこには、個人経営からチェーンなど、さまざまな店舗が立ち並んでいました。
八百屋・飲食店・本屋・理髪店・靴屋・コインランドリー・銭湯・薬局・衣料品店 など…
私が訪れた際は、3分の1程度の店舗でシャッターが下り、営業していませんでした。

シャッターや店前にはペンキではなく、手作りのステッカーらしきものが貼ってあります。
雨や風に当たり、剝がれや傷み具合がいい味を出していました。
建物は全体的に年季が入り、どこも「1階は店舗/2階は住宅」といったつくりです。
店舗入口にある雨よけの軒先テントも趣があって、レトロで「エモい」ですね。
歴史を感じる建物と建物の間をよく見ると、いかにも狭そうな裏路地に家もありました。

一方で、店舗の歴史がひと目で分かる「外装から見る店舗の新旧」にギャップもあります。
商店街を100m進むだけで、雰囲気が一気に変化するのが歩いていて楽しいポイントです。
店舗同士がひしめき合っていて、ギュウギュウな雰囲気も良いですね。

ただ、商店街を歩いていて感じたのは「交通量の多さ」です。
地域の方々がお買い物に訪れる自転車のみならず、車も多く走っていました。
道幅は広くありませんが、結構なスピードが出ているので歩く際は気を付けましょう。

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矢向日枝神社 良忠寺 最願寺

2つ目は「矢向日枝神社」「良忠寺」「最願寺」です。
矢向には、歴史ある神社や寺院が多く点在していました。
そのため、年末年始には除夜の鐘や初詣で訪れる地元の方々が多く訪れます。

ちなみに、矢向日枝神社の創建は、江戸時代の寛永15年(1638年)と伝えられています。
一方で、境内の正面にある社殿は2015年の改修工事によって新しく、古さをあまり感じませんでした。
3つの神社と寺院は、すべて目と鼻の先にありました。
そのため、散策がてら訪れてみるのもいいかもしれません。

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矢向湯

3つ目は「矢向湯」です。
矢向湯は、商店街のどの場所から見ても目立つ「天然温泉」と書かれた煙突が目印。
商店街を歩いて、遠くからでも煙突はよく見えます。

煙突を目指してあるいていると、レンガの外観が特徴的な「矢向湯」に到着しました。
昔ながらのレトロな建物の入口には「天然カルシウムイオン温泉」という文字が。
そして、看板には「サウナ」「天然温泉」とも書かれていました。
建物裏には駐車場もあるため、車で来ることも可能となっています。
「矢向湯」は下町の風情ある昔ながらのどこか懐かしい雰囲気は新鮮です。
このような街の銭湯は時代とともに消えつつあるため、ぜひ後世に残していきたいですね。
ちなみに、遠方から訪れ方がいるほど人気の「縄文天然温泉〜志楽の湯〜」も隣接していました。

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矢向地区センター

最後の4つ目は「矢向地区センター」です。
この矢向地区センターは、地域の方々にとって憩いの場となっています。
施設内は、地下1階〜地上2階の3フロアから構成されていました。

体育館・茶室・料理室・会議室・談話コーナー・プレイルーム・図書コーナーがあります。
図書コーナーですが、本の種類は図書館とほぼ変わりません。
体育館では、運動以外にも地域の方々向けにさまざまなイベントが実施されていました。

矢向地区センター 公式Twitterより

地区センターの入口をよく見て見ると、矢向地域ケアプラザと建物が合併しています。
ちなみに、アクセスは「矢向駅」から歩いて約5分となっていました。
大通りから路地の奥まった場所にあるため、住宅街に現れる案内板が目印です。

鶴見区「矢向駅」周辺の住みやすさは?

それでは、矢向に住むことになったら、気になる住みやすさについてお伝えします。
まずは「矢向での住まい」を考える際、気になるのは住み心地です。
「矢向駅」周辺には、商店街・スーパー・ドラッグストアなどがあって不便はありません。
普段のお買い物に欠かせないスーパーは、駅周辺だけでも5店舗ほどありました。
また、商店街には個人経営の店舗や飲食チェーン店、銀行などもあるのです。

歩いて約10分で同じく鶴見区の「江ケ崎町」には、大きなホームセンターがあります。
他にも、下町ならではの銭湯などもあって住みやすさに不便はなさそうですね。
矢向には、幼稚園・学校・地区センター・地域ケアプラザ・図書館・公園なども充実しています。
そのため、子育て世代のファミリーにとって「住みやすい街」となっていました。

何と言っても、駅前には交番があるため、夜の仕事帰りでも安心ですね。
そして、治安についてですが、矢向のある鶴見区を横浜18区と比較します。
横浜市の統計によると、鶴見区の人口は第3位となっています。(2022年2月現在)
そこで「横浜市人口/世帯数」の上位10区を犯罪発生率から比較しました。
(犯罪発生率=犯罪数÷人口×1,000)

順位区分犯罪発生率(%)人口(人)
1位青葉区1.9311,146
2位保土ケ谷区2.4206,631
3位都筑区2.4214,891
4位戸塚区2.5284,084
5位旭区2.6243,359
6位神奈川区2.8247,444
7位金沢区2.8197,646
8位鶴見区2.9295,580
9位港北区3.0359,521
10位港南区3.2215,222
参考:推計人口・世帯数【最新】「横浜市人口ニュース No.1145」- 横浜市
参考:2021年1~11月累月暫定値 刑法犯 罪名別市区町村別 認知件数 – 神奈川県警察

横浜 矢向へ行こう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、鶴見区にある「矢向駅」周辺の魅力や歴史をお伝えしました。
少しでも参考になれば幸いです。
商店街・銭湯・神社・地区センターなど、街の見どころをいくつかご紹介しました。
駅周辺は、商店街・コンビニ・飲食店が充実しているため、買い物も便利となっています。
また、電車やバスなどの交通アクセスが良いことも魅力の1つです。
自然も多いことから「本当に住みたい街」にも選ばれる人気の「矢向」。
「川崎に住むのは…」という方も「川崎駅」から2駅の「鶴見区矢向」はおすすめです。
ただ実際のところ、川崎市幸区「塚越地区」も歩いているため、住所が混乱してきます。
これからの住まいに「矢向」を選択肢の1つとして考えてみませんか。

矢向の住宅街から見える川崎エリア