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横浜 矢向日枝神社ってどんなところ?

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横浜 矢向日枝神社ってどんなところ?
みなさんは、横浜の「日枝神社」と聞いてどこを思い浮かべますか?
「日枝神社」といえば、南区の「お三の宮日枝神社」が有名です。
しかし、横浜市内には他にも「矢向日枝神社」という神社があります。
ここでは、そんな鶴見区矢向の「矢向日枝神社」を紹介するコンテンツです。

横浜 矢向日枝神社ってどんなところ?

「矢向」を何と読むか分かりますか?
正解は…「やこう」です。
矢向は、横浜市の最東端に位置する海と山に囲まれた自然豊かな「鶴見区」にあります。
横浜観光の定番である西区や中区と比べると、下町の雰囲気が残る街となっています。
そのため、商店街や古い住宅が今も多く残り、人情味溢れているのも魅力の1つです。
また、地形としては多摩川と鶴見川に挟まれた平地となっていました。

以前には「ARUHI 本当に住みやすい街大賞2019」の第10位に選ばれたこともあります。
交通の利便性が良く、大型商業施設も生活圏内にあるため、住みやすい街です。
そして矢向の最寄り駅は、JR南武線「矢向駅」となっています。
そんな「矢向駅」から歩いた線路沿いの住宅街に鎮座しているのが「矢向日枝神社」です。
今回は、横浜市鶴見区にある「矢向日枝神社」の歴史や見どころをお伝えします。

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矢向日枝神社の御由緒と歴史

まずは、矢向日枝神社の御由緒と歴史についてお伝えします。
境内にあった石碑によると、以下のような記載がありました。

当神社は滋賀県大津の日吉神社の御分霊を勧請したもので、山王大権現、山王社等と称され、寛永十五年の創立と云い古へは矢向村、市場村、江ヶ崎、塚越村、古川村、上平間村の七ヵ村の鎮守であった。
天保の末に至って各村は分離し、当神社は、矢向一村の鎮守となったのである。その後、徳川氏に至っては若干の社地を寄進せられて神田耕地と称する所があったと云われるが、これが当神社の領地であったらしい。
往時鶴見川、六郷川の氾濫で度々社殿は破損した事もあったが天保十四年に再建し、明治六年村社に列せられ山王社を改めて日枝神社と改称
その後、
昭和三十二年
御社殿の改修が行われ、平成十四年には宮神輿新調と境内整備の修復がおこなわれた。

「日枝神社御由緒」石碑 より

矢向日枝神社の創建は、江戸時代の寛永15年(1638年)と伝えられています。
もともと、滋賀県大津市の「総本山日吉大社」の分霊を勧請して、創建されたのです。
当時、江戸幕府が「神田耕地」と呼ぶ社地(神社の領有する地域)がありました。
その社地がこの「矢向日枝神社」の領地だったのです。
現在の社名は「矢向日枝神社」ですが、古くは「山王大権現(山王社)」でした。
1920年、村社に列せられて地区内の小社も合祀した際に「日枝神社」と改めました。

そして、これまでに鶴見川や六郷川の氾濫で社殿が破損するなど苦難もあったそうです。
近年では、2015年に社殿の大改修工事が行われ、現在の拝殿が竣工しました。
この工事では、58年前の1957年に行った社殿改修を基礎として引き継がれています。
社殿の木造など外観は新しいため、あまり古さを感じません。

一の鳥居を抜けると参道が続いており、二の鳥居が見えてきました。
二の鳥居を進むと、本殿と拝殿とおり、拝殿前には対になった威厳ある狛犬がいます。
この狛犬も、コロナウイルス対策としてマスクを着用していましたよ。
他にも、境内西側には3つ目の鳥居もありました。

参道は比較的長く、境内自体も広くなっていたのが特徴です。
境内全体は自然豊かで緑に覆われているため、とても神聖な気持ちになれます。
訪れた日は「こどもの日」が近かったため、境内に大きな鯉のぼりも揚がっていましたよ。
色鮮やかで大小さまざまな鯉のぼりが元気よく泳いでいました。
鯉のぼりの奥には「絵馬掛け」と「おみくじ掛け」があり、どちらもたくさんあります。

おみくじ掛けを囲うように立っているのが御神木の「大イチョウ」です。
この「イチョウ」は、横浜市の名木古木に指定されてされています。
横浜市名木古木に指定された樹木一覧」によると、樹齢は160年との記載がありました。
訪れた際は、こちらもぜひチェックしてみてくださいね。
ちなみに、その奥には社務所があります。
他にも、社殿の右側にある「やるき稲荷」など、複数の末社が鎮座しているのです。
この「やるき稲荷」という稲荷様は、とてもユニークな名前で元気をもらえそうですね。
木々が生い茂った境内にひっそりと祀られているため、ぜひ探しみてください。

ご利益について

ここからは、矢向日枝神社のご利益についてご紹介します。
矢向日枝神社の御祭神は、大山咋命(おおやまくいのみこと)となっています。

主祭神 大山昨命(神)

近江國(滋賀県)の比叡山に鎮まりまして地主神といわれ、健速須佐之男命の御孫にあたり大年神の御子神であり、またの名を三末之大主神と申し、山、水となり大地を支配し万物の生長発展、産業万般の生成化育を守護する神。

「日枝神御由緒」石碑 より

他にも、矢向日枝神社では以下の2つも御祭神となっているのです。

  • 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
  • 豊受比売命(とようけひめのみこと)

山王社は「山の地主神」が祀られていることで有名ですが、日枝神社自体もその1社です。
そんな日枝神社では、古くから「神猿(まさる)」が神様の使いとされていました。
これは「魔が去る→勝る/優る」と語源が転じたことに由来しています。

東京・赤坂日枝神社

そのため、ご利益は「厄除け/商売繁盛/合格祈願/仕事運」とされているのです。
また、猿はお産が楽なことや家族への愛情が強いことで知られています。
このようなことから「安産祈願/子宝成就/夫婦円満」にも、ご利益があるようです。
そして、矢向日枝神社も同じご利益があるとされています。
境内右側にあった絵馬掛けには、大きく「疫病退散」と書かれた絵馬がありました。
他にも、合格祈願できるよう達磨が描かれた絵馬や「合格」という文字もありましたよ。

御朱印は頂ける?

御朱印は、拝殿左側にある社務所の「御神札授与所」(初穂料:300円)でいただけます。
大きな文字で「日枝神社」と力強く書かれた上部には、小さく矢向と書かれていました。
御朱印には「日枝神社」の文字と神の使いである「神猿」の捺印もありますね。
座っている神猿をよく見ると、左手にはお祓いで使用する「幣(ぬき)」を持っています。
気になる方は、訪れた際の記念として御朱印を頂いてみてはいかがでしょうか。

毎年10月に開催される「矢向日枝神社例大祭」

ここからは、毎年10月に開催される「矢向日枝神社例大祭」についてお伝えします。
この例大祭で使用される神輿ですが、普段は境内右側にある「神輿庫」にあるのです。
もともと台座三尺三寸(100cm)の飛び出しそうな大鳳凰を載せた宮神輿がありました。
この神輿は、1810年から約200年もの歴史がある「文化的な建造神輿」となります。
そのため、2001年の例大祭をもって担ぎ納めされ、新神輿は多くの提灯が目印です。

ちなみに、例大祭当日は宮出しの9時から1日かけて渡御した後、19時頃宮入りされます。
神輿は「良忠寺~矢向駅~尻手銀座商店街」の流れで矢向地域を隈なく渡御するのです。
最後は、境内の参道に並ぶ明るい露店の間を通りながら神輿が担がれます。
とても狭いため、地域の方々の息ピッタリな連携で進んでいく神輿は圧巻です。

お祭り 屋台

南区の「お三の宮日枝神社」との関係は?

みなさんは、他にも「日枝神社」と付く神社が横浜市内にあるのをご存知でしょうか?
これは、南区にある「お三の宮日枝神社」のことです。
ちなみに、最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーライン「吉野町駅」となっています。
「お三の宮」や「お三さま」で広く親しまれ、商売繫盛や厄除けにご利益があるのです。

この「お三の宮」という社名は、下記の内容に由来しています。

日枝神社は、古くは山王社・山王大権現・山王宮と称せられましたが、今では「お三の宮」「お三さま」と広く親しまれ、崇め称えられています。
山王宮→山の宮→おさんの宮と転訛したこと、更には《お三の人柱伝説》を付会して「お三の宮」と書かれ呼ばれるに至りました。
新田開発が難工事だったことから、氏子中はもとより横浜に広く語り伝わる「おさんの人柱伝説」が生まれ、「日枝神社」が「お三の宮」と呼ばれるに至る、ひとつの要因となっています。

「日枝神社について」- お三の宮日枝神社 公式サイト

こちらも「矢向日枝神社」と同様に、山王社と称されていました。
御由緒によると「お三の宮日枝神社」は「矢向日枝神社」よりも後に創建されています。

現在の横浜市の中心部、中区と南区に亘る大岡川と中村川、それからJR京浜東北・根岸線からお三の宮所在地まで(関外地区)の広い範囲は、釣鐘の形をした入海でしたが、今からおよそ350年前に、江戸幕府並びに諸大名の御用達として広く石材木材商を営んでいた吉田勘兵衛良信という商人が、この入海を埋立て新田を築きました。(=吉田新田)
寛文13年(1673)9月、新田の鎮守として、新田住民の安寧幸福や五穀豊穣を祈り、江戸の山王社(今の旧官幣大社日枝神社) より勧請し、山王社と併せて稲荷社を創建したのであります。

「日枝神社について」- お三の宮日枝神社 公式サイト
お三の宮 日枝神社
お三の宮 日枝神社

1638年創建の「矢向日枝神社」から35年後となる1673年に創建されたのが分かります。
ただ「矢向日枝神社」は、1920年に「日枝神社」と改称されました。
そのため、横浜市内に2つの「日枝神社」が存在していたのは、明治時代以降なのです。
このようなことから、それぞれ「お三の宮」「矢向」としていたのでしょう。
ただ、いつから区別して呼ばれていたか歴史的に明確な理由は現在も定かではありません。
紛らわしくなりがちな2つの「日枝神社」を区別するためであれば納得できますね。

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「矢向」という地名の由来について

それでは、神社の名前にも入っている「矢向」という地名の由来についてお伝えします。
古来から川が合流する場所「川口」のことは「やこう」と言われていました。
現在の地名である「矢向(やこう)」もここから来ているのでしょうか。
調べて見ると、地名の由来と街の歴史は、江戸時代までさかのぼります。

二ヶ領用水は、毎年のように洪水を繰り返す暴れ川多摩川の治水と新田開発のため、徳川家康の命を受けた用水奉行小泉次太夫によって
慶長2年(1597)に測量を始め、その2年後に開削工事が始まった。
全長32キロメートルの用水路は測量開始から15年の歳月をかけて1611年(慶長16)に完成した。稲毛領37村、川崎領23村、計60村の水田2700町歩(199ヘクタール)に網の目のように張り巡らされた用水路、稲毛領と川崎領の二領を潤したので二ヶ領用水の名がつけられた。
鶴見川を挟んで川崎寄りの市場・矢向地区は江戸時代には川崎領に属していたので、二ヶ領用水の恩恵を受けていた。
鶴見区域は、1927年(昭和2)に横浜市に合併し、潮田・市場・矢向地区にも水道が敷かれた。鶴見臨海部が埋め立てられ京浜工業地帯が形成されて、農地は宅地や工場用地に姿を変えた。二ヶ領用水は工業用水としても利用されたが、水道が普及し、農業用水としても生活用水としてもその役割を終えたとして埋め立てられて、そのほとんどが道路に変貌した。
鶴見区矢向には「二ヶ領用水路地跡」の碑がある。この碑は、1972年(昭和47)に矢向地区の人々が
二ヶ領用水路に架けられていた石橋を再利用して建てたものである。

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ここでは、詳しく分かりませんでしたが、当時は199haもの広大な水田があったそうです。
その水田のためにつくられた用水路が網目のように広がっていました。
現在の矢向が多摩川と鶴見川が合流する「川口(やこう)」だったからかもしれません。
矢向3丁目には「二ヶ領用水路地跡碑」という、当時の水路地跡の石碑が建っていました。
この看板によると、当時は飲料水としても利用されるほど、キレイな用水だったそうです。
その証拠に、夏にはホタルが飛び交い、ウナギやシジミなど海の幸もたくさん採れました。

また「矢向」という地名には諸説あるようで、このような由来もあります。
平安時代後期、関東地方には武蔵七党という武士団がいたそうです。
そのうちの1つに横山党(現在の八王子市が本拠地)という武士団がいました。
武蔵南部から相模西部を統一していた一族の師義は「やこう」に住んでいたそうです。
当時、一族は「やこう」と名乗っていましたが、漢字で「八国府」と表記していました。
千葉県にある地名で「国府台(こうのだい)」と読む場所があります。
古くは「国府(こう)」と読んだことから、この付近も「八つの国府」で「やこう」。
そこにあとから「矢向」という漢字を宛てたのが、現在の「矢向」とも言われています。
先ほどの一説から戦国時代〜江戸時代頃、すでに「矢向」という漢字が定着していました。

「二ヶ領用水路地跡碑」周辺の住宅街

他には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が敵と戦ったことから由来している説です。
合戦の合図として鏑矢を飛ばす「矢合わせ」で、矢の先端の方角が現在の「矢向」でした。
矢が落ちた向き「矢向」という漢字を「やこう」として後付けしたとも言われています。
どの由来が本当か定かではないものの、少なくとも矢向は歴史ある街なのが分かりますね。
ちなみに、隣接する「尻手」という地名は、かつてこの矢向村の一部だったそうです。
このように「矢向日枝神社」は、矢向という地域にあったことから来ているのでしょう。

矢向の住宅街から見える川崎エリア

矢向には神社や寺院がいっぱい

矢向には、歴史ある神社や寺院が多く点在しているのです。
矢向日枝神社の近くだけでも「良忠寺」と「最願寺」という寺院が2つもありました。
最願寺は、矢向日枝神社の目と鼻の先で歩いて約30秒の場所にあるのです。
そして、良忠寺は神社の境内を出て最願寺を通って裏側に当たる場所にあります。

どちらにも、木造と歴史を感じる山門や本堂があるほか、大きくて立派な鐘がありました。
そのため、年末年始になると、除夜の鐘や初詣で訪れる地元の方々が多く訪れます。
ちなみに「横浜の大晦日」と聞いて何をイメージしますか?
「除夜の汽笛」や「カウントダウンクルーズ」など、さまざまなイベントが開催されます。
ただ、このように地元でゆっくりと静かな年越しをして新年を迎えるのもアリですね。

良忠寺 本堂
良忠寺 鐘と手舎水

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矢向日枝神社への交通アクセスは?

それでは「矢向日枝神社」の交通アクセスについてお伝えします。
「矢向日枝神社」の最寄り駅は、JR南武線「矢向駅」です。
「矢向駅」から歩いて約9分で、線路沿いの住宅街に鎮座しています。
神社は、JR南武線の「尻手駅」と「矢向駅」の間に位置しています。
そのため、駅からの距離では「矢向駅」よりも「尻手駅」からの方が近かったです。

「矢向駅」から神社までの行き方をご紹介します。
駅の改札口を抜けると、クスの木が立派なバスロータリーとは言えない広場がありました。
広場を左に行くと、踏切が見えてきますが、この踏切は渡らずに手前を右に曲がります。

線路沿いの住宅街を道なりにまっすぐ進み、途中に踏切が見えてきますが、渡りません。
ここの踏切も右に曲がると、途中に貨物として使用されている単線の踏切が見えてきます。
ここを渡って住宅街でも広めの通りに出るため、ここを右に曲がるのです。
150mほど進んで3つ目の路地を左に入って行きます。
このとき、路地とは反対方向となる右側に「矢向幼稚園」が見えているのが目印です。
路地をまっすぐ進んで行くと、目の前に神社の境内入口である一の鳥居が見えてきました。

ちなみに「矢向駅」と「尻手駅」は、JR南武線のみで他路線に乗り換えはできません。
各駅停車のみとなっているものの、JR南武線は比較的運行本数が多くなっています。
矢向駅〜尻手駅〜川崎駅(約4分)となっているため、乗り換えのアクセスは抜群です。
また「矢向駅」の改札口は1つのみとなっています。

「尻手駅」まで歩いて約12分、「川崎駅」までは自転車で約10分となっています。
そして、駅前には「矢向駅前」バス停がポツンと1つだけあります。
ここからは「生麦 鶴見駅前行き」と「川崎駅西口行き」の2つが出ていました。
時刻表を見ると「鶴見駅前行き」の本数は少なく「川崎駅西口行き」の方が多いです。

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横浜のパワースポット「矢向日枝神社」へ行こう!

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで、鶴見区矢向にある「矢向日枝神社」の由緒や魅力などをお伝えしました。
少しでも参考になれば幸いです。
江戸時代に創建され、これまで改称や社殿破損などさまざまな苦難を乗り越えてきました。
普段の参拝では御朱印を頂けるほか、毎年10月には例大祭も開催されています。
厄除け・商売繫盛・安産祈願としても有名なパワースポット「矢向日枝神社」。
いつ訪れても楽しめる「矢向日枝神社」へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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